意見具申にみる確認・糾弾行為

  確認・糾弾についての地域改善対策協議会の具申 

           地域改善対策啓発推進指針について・昭和62年3月18日
           総地第43号より総務庁長官官房地域改善対策室長通知                    

(オ)差別事件の処理の在り方

 ある個人又は企業等が差別発言等の差別事件を起こしたとき、その個人、企業等はいかにすべきかを啓発することも、59年意見具申及び61年意見具申並びに部会報告で指摘されている「こわい問題、面倒な問題である」との意識の発生を防ぎ、新たな差別の発生を防ぐ上で重要である。この場合、啓発すべき内容としては次のようなものが適当である。
 差別事件を起こしたと指摘された個人、企業等は、法務省設置法により権限を付与された法務省人権擁護局並びに法務局及び地方法務局の人権擁護(部)課(以下「人権擁護行政機関」という。)の人権侵犯事件調査処理規程(昭和59年8月31日法務省権調訓第383号)に基づいた事件処理等に従うことが法の趣旨に忠実であることである。
 したがって、個人、民間運動団体等から差別事件を起こしたとして、追及を受けた場合、所轄の人権擁護行政機関に訴えてくれれば、その事件処理に従う旨を追及者に告げることが肝要である。相手がそれに応じない場合は、自ら所轄の人権擁護行政機関に出頭し、同機関の事件処理等に服する旨を申告することができる。このようにすれば、法に基づく妥当な事件処理が行われることになるのである。
 今一つのみちとしては、全く任意に民間運動団体の主催する確認会、糾弾会に出席することが考えられる。この場合、出席が本人の自由意思によるものであり、出席しない場合は、民間運動団体の激しい抗議行動が予想される等の強制的要素がないことが重要である。また、集団による心理的圧迫がないこと(出席者を糾弾側、被糾弾側同数とし、かつ少人数に絞ること等の工夫が必要である。)、確認糾弾の場を権威を持って取り仕切ることができる中立の立場の仲裁者が居ること、プライバシーの問題が無い場合は、第三者にも公開されて冷静な客観的論議ができる環境が保証されていることの各要件がすべて満たされている必要がある。

 しかし、このような理想的な確認・糾弾会が開かれることは、これまで皆無に近かった。前述の法の定めるところに従った人権擁護行政機関の事件処理によることが適当であるとされるゆえんである。

 エ 民間運動団体の行う啓発の問題点

・・・・・民間運動団体の行う意識的、無意識的啓発活動の中には同和問題解決に逆行する結果をもたらしているものがある。例えば、59年意見具申でも指摘されているところであるが、行政施策の必要性を強調するため、同和地区や同和関係者の社会的低位状態を強調し過ぎることは、かえって心理的差別を助長させてしまう結果をもたらすおそれがある。また、一部の民間運動団体が自他への教育と位置付けている確認・糾弾行為も、被糾弾者を大衆の面前に引き出すことによって、また、時には大勢で激しく非難することによって、被糾弾者のみならず、一般国民に、こわいという意識とともに、接触を避けた方が賢明という意識を助長している傾向が見られる。これは、部会報告でも明らかにされているように、それが始められた頃の社会環境と今日のそれでは極めて大きな違いがあるにもかかわらず、一部の団体においては運動理念及び形態が従来のままであるということに起因するとみられる。同和問題解決のためには、民間運動団体の啓発の在り方についても再検討が望まれる。

(ウ)自由な意見交換のできる環境づくり

・・・・・差別事件を起こしたとしても、その人は個人としては無力なのであるから、差別解消という大義名分を掲げて、組織や集団の力を背景に大勢で非難するということでは、部会報告でも指摘されているとおり、私的制裁以外の何物でもないと言われても仕方がないであろう。これは、人々の尊敬を得る道ではない。もしも良心的な人々の尊敬を得ることを軽視し、恐怖感の利用を肯定するならば、それは明らかに民間運動団体の行き過ぎであり、61年意見具申でも指摘されているとおり、同和問題はこわい問題であり、避けた方が良いとの意識を発生させ、えせ同和行為の横行の背景となる。今、それぞれの民間運動団体の構成員は、一人一人良心に照らして考えるべき時ではないだろうか。
・・・・したがって、憲法の趣旨に従い、法を率先して遵守すべき国又は地方公共団体の職員が確認・糾弾の場に出席し、差別事件の処理を私的制裁にゆだねるがごとき印象を一般国民に与えていることは、行政職員として好ましくないことである。さらには、確認・糾弾については、民間運動団体の間にも厳しい批判があるところであり、このような場に行政職員が出席することは、行政の中立性の要請からみても、望ましくないことは明らかである。行政職員が憲法の趣旨に忠実な法の遵守と中立性の堅持を第一義とすることなく啓発を行っても、国民の心からの受容を期待し難いのは当然である。行政が姿勢を正さずして、真の啓発はあり得ない。