『阿修羅城の瞳』感想 八月十七日、観劇の記 劇団☆新感線初観劇。しかも新橋演舞場も初体験。 二階ロビーにて、開場を待つ間、売店の棚に置かれた、プログラムの見本に驚く。写真集とブックレットの二部式に団扇まで付いているという、デラックスでゴージャスで、高価な一品。値段はどうあれ、ハナから購入するつもりだったけれど、さすがに一瞬心が揺らいでしまった。シナリオも買おうと思っていたので。 開場五分前になると、館内アナウンス用スピーカーからは禍禍しい(笑)ヘビメタのナンバーが…苦笑いする若人
(おこがましくも小生を含めて)、一体何が始まるのかと、唖然としている演舞場常連らしき妙齢の御見物各位。 一階ロビーの物販にて、戯曲(ハードカバー・中島かずき氏サイン入り)と、プログラムを購入する。CDやTシャツはさすがに…(^^ゞしかし、物販コーナーの前は嵐のよう。最近観たお芝居の中では一番すごい。 戯曲を斜め読みし、加納さん演じる四世鶴屋南北の科白を少しだけチェック。お茶目なお爺ちゃんと読み取る。 三階席にて観劇。下手側コーナー。欄(てすり)すれすれの席で、プログラムを書見台のように膝と欄に差し渡しで置き、オペラグラス片手に、チラシの裏側に南北のコスチュームを書き込む準備。手始めは格子状のセットを描き取ったりしてみる。 新感線の舞台はテレビ中継では何度か観ていて、“ヘビメタなカブキ”アンド“関西系ノリ・ツッコミ”というイメージ。大音響の上に、科白がポンポン早口なので、かなり手強い。 序之景の後、吊られた薄幕に映し出されるタイトルのカッコ良さに雷が落ちたようにしびれてしまった。魅せかたが巧すぎ。 市川染五郎演じる、病葉出門は、妙に捉え所の無い男だった。 富田靖子嬢もつばきの時は、ストレートなキャラがはまっているのだけれど、阿修羅王は迫力に欠けていた。 加納さんの四世鶴屋南北は、芸のために、鬼に魂を売り渡した挙句、因果応報、今度は安倍晴明に操られてしまう、因業オジイチャンでした。登場時は娘の拵えだったり、役者髷だったりして、南北としては意外だったけれど、決めのポーズなどはいつも通り楚々としていて、役を本来の加納さんに引き寄せた形。新発見(裏切り)は無かった。 いっけい氏演じる刀鍛治、祓刀斎はめちゃくちゃカッコイイッ!!惚れたっ!!! 八月二十七日、観劇の記 初日にプログラムと買った戯曲を読んで、予習した後の観劇。 平田(満)さん、江波(杏子)さんは、ベテランですね、やっぱり。初日に完成されているものが、さらに磨かれている気がする。どちらも主役が張れる方たちですから、役不足かも。もっと見せ所を作ればよいのにな。 染五郎丈は、やはり、『淀五郎』だった。出門の所作や科白が身に馴染んではいるのだけれど、嬉しい、楽しいの心持で終始演じているのは、初日と変わらなかった。 古田さんの演じた安倍邪空は、キャラクターは、祓刀斎よりも好きなタイプなのですが、近付いたらほんまに切り殺されてしまいそうな程の執着の権化なので、好きになりきれなかった。 舞台がはねて、しばらく劇場前でうろちょろしていたのだけど、お酒の飲める店を求めて、友人と新橋駅方面に向かって歩いていると、博品館劇場の辺りで、止まったタクシーから、古田さんが出ていらした。
阿修羅は自分の娘を、闘いの神、因陀羅(インドラ)に嫁がせようと考えていました。 一つの事に執着し続けるのは愚かなことであると知りつつ、人はこだわりを捨てることが出来ない。 そこにドラマが生まれ、人々は共感するのにね。 ふと思った、男にとって女とは、鬼のような異形の者なのだろうか? |
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