KOKAMI@network
vol.2 |
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| 鴻上演出の舞台を、今回初めて劇場で観た。以前にもテレビ中継等で『天使は瞳を閉じて』や、『トランス』など観ていたけれど、やはり生で観るのが一番だと思った。 | |
| モニターの使い方がとても効果的な舞台だった。 物語が始まると同時に、正面にステージの大半を占める大きなモニターが降りてくる。そして両袖に三つずつ、計七つのモニターに、時に舞台の芝居を生で、そして撮影された画像が、とても巧みに流れる。 モニターはテレビであったり、背景であったり、心象風景にもなる。 物語の構造はかなり複雑な気がした。表層的な部分の笑えるところを楽しんでいると、いきなり深いテーマを突きつけられ、それにとらわれている余裕もなく、物語は展開していく。 最初に書かれた『デイドリーム』の結末では、芙蓉様が撃ち殺されてしまう。 カルト教団の祖芙蓉様は、現代の世間からは受け入れられない存在の象徴。しかし、彼のような人物を救いとする者がいることは、現実を見ても分かる。 |
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絵美の父親は、息子の事件に関して、世間への謝罪を拒んでいるが、山室と会った時、“現実と空想の区別がつかなくなる”と娘のことを語り、そのことで山室に迷惑が掛かっていないかと気にし、謝るという娘想いでもあり、とても常識的な面も持っている。 絵美の死後、山室に送られてきた新しい小説は、『デイドリーム』の書き直されたラストシーンだった。絵美は芙蓉様(=父)を撃つのをやめる。初めはマスコミという世間を操ることで、自分を守ろうとしたが、父や想いをおなじくする同志たちと家に篭城し、世間と闘うという道を選ぶ。山室や、『武装戦線無意味派』の広瀬と寺田も加わっている。 |
| 現実の山室は、絵美が生きている時、ルポライターという職業柄もあってか、物事を冷静に客観的に見詰めるために、暴走する彼女とは一線を画し、距離を持ち続けていたように見える。 しかし、新しい小説を読んで、自分の闘う相手、その意義を知ることとなる。 確かにこうして走り出すことを決意した山室は格好いい。ニの線だと思う。でも、あくまで理想論だな…と、観ている時から既に感じてしまった。格好良過ぎるから。 絵美と出会う前の山室はルポライターとは名ばかりで、仕事にも恵まれず、ただひたすらパソコンに向かっていた。テレビや新聞にも目を通さない。 弁護士に詰問される時、うろたえる山室の様子は、『祈る女』で、子供を斡旋していることを暴かれた時のスキタと少し似ていた。高見に立っていた者、傍観者だった者の違いはあるが、突然物語の当事者になってしまう、驚愕と否定と怒り。 |
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観た日:5月11日(thu)席:1FA列3 |
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