『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』
感想

“俺たち何も悪いことをしていないのに、どうして死ななきゃいけないんだ?”

 そう、処刑されるのは、本当はハムレットのはずだったのに、要領が悪くて代わりに死ななければいけなくなった二人。それがローゼンクランツとギルデンスターン。

 先日、テレビでケネス・ブラナーの『ハムレット』を見たけれど、そこでも二人はほとんど取り上げられていなかった。

 そもそも何故二人がここに居るのか、何をしようとしているのか?
 ロズとギルは、かつてハムレットと学友だったというだけの理由で、彼の気鬱を探るために召し出された。二人に関するデータはそれしか与えられていない。
 それだけの糸口で、どうしろというのっ!?って言うくらい分からない二人なのです。

 関西弁で喋るロズとギル。これはやたらと親近感がありました(わたしは生まれも育ちも東京なのですが)。二人の会話はまるで漫才の掛け合いのようで、緊迫感がなければいけない場合にも、かなり締まり無く笑ってしまいました。彼らを見ていると、待ちぼうけもトラブルも不運も悲劇も、人生そのものが滑稽に見えてくるのです。しかし、その滑稽さというのは、同時に“もののあはれ”であって、この二人に限らず、自分にだってあてはまる、人生の悲喜だということが分かってくるのです。

 このお芝居の中には、“死とは何か”という言葉がよく出てきます。

 城の外でロズとギルに出会い、後にハムレットに呼ばれ、宮廷で父王謀殺の再現芝居を演じる旅役者たち。彼らは舞台の上で、死を幾度も幾度も演じ続けている。
 はじめのうち、ロズとギルの二人はただ漫然と生きています。いつ来るか分からない使者(目的)を待ち続けているのです。それは暇つぶし的な生に身を置いている。“死らしきもの”を演じる役者たちも、最初は格好のからかい相手に過ぎなかった。本当の死ではなく、より死らしい、死と呼ぶにふさわしい、死ではない死のようなもの。
 死のようなもののあわれさは、しばらくしたらむっくりと起き上がって、ペコッと観客にお辞儀をする時にあると思います。

 本当の死とは、消えて無くなること。ロズとギルの二人は次第に死を意識し始めます。それに苛立ち、役者たちに当たったりします。

 旅役者の座長が演じるルシアーナス(=ハムレット)は、右目に赤いメイクをしています。何で片方だけなのか?色々考えられますが、狂気と正気が一人の人間の中に在ることをイメージしているのではないかと感じました。右側は左脳が支配し、左側は右脳が支配しているというあれです。理論の左で狂気を演じているという風に見たのですが、如何に。

 旅役者の連中が移動する際に奏でている楽器、そして芝居の最中の下座など、パーカッションの太鼓やカズー、金属の細い板が箱についていて、それを弾いて音を出したり、シャラシャラ鳴らす鈴や貝みたいなもの。これらはメロディの無い、リズムの楽器です。これが欧風フォークロアな感じでもあり、雅楽が入ってくる以前の、古代日本の楽器みたいでもあります。

 善人だろうと悪人だろうと、死は必ずやってくる。ロズとギルはそのことに気がついたのでしょうか?
 ハムレットたちのように格好良く死ねない二人は、何か悪足掻いてでも、生き延びていそうな気がします(旅役者のうちの二人がロズとギルの格好をしていたから、そいつたちを身代わりにしたりして…)。そして物語にもならないような冒険をして、物語にもならないような野たれ死に方をする。その方がロズとギルらしいと思います。

観た日:2月4日(fri)席:2FBL列6
2000.2.11(fri)


あしゅけのお気に入りは、座長の上着。ニの腕部分のフリフリです(矢印のトコ)。

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