『南北オペラ』かんそう

 “面白い”のと、“分かる”のとは、必ずしも一緒ではないと思う。とはいえ、ある程度、自分で納得出来る範囲で分からない部分があると、どうしても面白いと思えない。

 『南北オペラ』の初日を観た時、“これは面白いのかも知れないが、なんだかなあ…”という気持ちになった。これは分からなかったからだと思う。
 持っている絵の具を全部キャンバスに塗りたくったような、使ってない色が一色も無いような、派手さ、どぎつさに相当ビックリはさせられたけれど、果たして楽しめたのだろうか?ということになると、やはり駄目でした。ノリが悪くてノリ切れなかった。

 自分であらすじを書いてみてやっと、物語としては各場面、とてもセンシティブだったり、ダイナミックだったり、エンタテインメントだったり、そしてあらゆる緩急を含んでいるものだとの糸口が掴めたのですが、舞台の印象は、ただただ音と光の大洪水という感じでした。

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 東京公演千穐楽の後、外に出ると雨が降り始めていた。急遽近所のマックで雨宿り。
 雨足が弱くなったら、そのまま勢いで大手町の将門の首塚にお参りに行こうと思ったけれど、やはりやみそうになく、そのまま家の最寄駅まで帰り、ファミレスで窓の外の稲妻を眺めつつ、色々と語ることしきり。
 こうだったね、ああだったね、あれは何だったんだろう、わたしはこう思う…分からないことばかりだったから、とめどなく話しが続き、気がつけばすっかり夜。雨もやんでいました。

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今でも分からない幾つか

其の壱:七綾姫の影武者となった元乳人御厨は死んでしまったのか?
 
謎です。生きている人と死んだ人との境が曖昧なものは、曖昧なままでもいいのだが…

其の弐:滝夜叉姫実は将門の怨霊の謎。滝夜叉姫の身体を憑坐(よりまし)としているのなら、“乳房無ければ飢渇の苦”という一節や、坂東太郎に身体を許さないのが解せない。
 気持ち的に男将門だから、男と寝るのは嫌だっ!という気持ちや、妻の滝夜叉姫を他の男のものにしたくないという心境だろうか?でもおっぱいはあるはず。

其の参:お清と忠文(御厨も含む)は、“七綾姫憎し”の念が募って、蛇になり、鬼になったような人たちだから、七綾姫にそっくりな花子となったけれど、滝夜叉姫実は将門の怨霊が何故、頼光にそっくりな花夫になったのか?
 平家の将門と源家の滝夜叉姫という敵同士の家柄であるのと、朝敵の子をもうけたという理由から断罪に処されなければならなかった我が身。それと同罪である頼光と七綾姫の関係に対して、羨ましさと憎らしさが募った上での花夫なのだろうか。

※わたしはこう思うというようなご意見があったら、伝言板等に寄せてくださると、嬉しいです。

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蛇足の幾つか

蛇足其の壱:歌詞が聞き取れなかった。
 初日は本当に理解不能だった。シナリオを熟読して楽日に臨んだけれど、それでも難しかったです。というか、シナリオを読んで、どうしてこれがあの舞台になるんだ?という方が驚きでした。演出や生身の役者の動きでこんなにイメージが変わるものなんだなあと。

蛇足其の弐:サイケ、ヒッピーなお衣装だったので、足元が素足やタイツ、靴下というのが…
 
やっぱりフレディ・マーキュリー風(?)のグラムロックな坂東太郎さんにはロンドンブーツとかを履いてて欲しかった。すぐに脱ぎ履き出来ないし、踊ったりするのにはやっぱり邪魔だったんだろうな…

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 忠文は良かったです、改めて思ってみても。様式美があるのだろうか。『オペラ座の怪人』は観たこと無いけど。
 七綾も“結局お兄ちゃん助からなかったんだもん、契約なんて不履行よっ!”と跳ねつけちゃえばいいんですね(笑)
 お清もそうですが、ただ自分の想いだけを相手にぶつけられれば、相手の気持ちやその後のことなんかどうでも構わないっ!という自己中心的な態度が、恋を暴走させてしまうのかなと思いました。
 でもどんなに憎んでも、やっぱり忘れられない。恋するお馬鹿さんですね。

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 頼光と七綾姫は、『怪誕身毒丸』のインドラとヤマ。この後に続く物語の主人公といった感じ。
 世を忍ぶ仮の姿の山伏暮らしを適当に楽しんでいた、わりといい加減な頼光が、パワフルな七綾姫に引っ張られて、めきめきと頭角を現していく。そして、いずれは京にはびこる鬼を退治し、まつろわぬ関東の土蜘蛛一族を退治する、朝廷のスーパーヒーローになる(はず)。
 昔の人はそうした先の物語を沢山知っているから、スパッと切り落とされるようなエンディングでも、面白がれるのだろうな。

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