『その河をこえて、五月』あらすじ
2002年の春、ソウル市内を流れる漢河(ハンガン)の河原は、休日になると多くの人がピクニックに集う、憩いの場となっている。 語学学校の生徒は様々な年代、職業の人がいる。 一人また一人と集まり、花見が始まる。 韓国語の勉強を始めたばかりの生徒たちは、文浩や彼の家族たちとうまく会話が出来ずに戸惑うが、しだいに打ち解けられるようになり、道に迷った日本人観光客、桜井太郎も途中から加わり、賑やかに時が過ぎていく。 才浩は、母親にカナダ移住の話を切り出すが、思っていた通り、激しく反対される。クッダンには家と墓、そして国を捨てると言う才浩の、思い詰めた気持ちを察することが出来ない。 両国の、そして世代的な、そして個々の考え方の相違から、幾つものすれ違いや誤解が生じる中で、それでも相手への思いやりと理解をもって接することで、一人一人が新たな道を見つけようとする。 |
かんそう
春のうららかな午後の一日を舞台にして、過去からのわだかまりや、現状の問題、それらのためにこれからの一歩を踏み出すことに躊躇している人たちが、越えられそうにないと思っていた河を、越えられると気持ちから信じ、そして越えていこうとする姿を描いています。 出演者の半数が韓国の役者ということで、観ていて何を言っているのか、ついていけなかったらどうしよう…という心配がありましたが、韓国語の翻訳が橋脚の部分に映し出され、読みながら観るのも、視線があっちへこっちへと飛んで、ちょっと大変でしたが、ほぼ意味は分かり、とても面白かったです。 韓国に多少偏見を持っているサラリーマンの西谷(誓さん)が、興味本位から、相手を不快な気持ちにさせるような韓国に関する質問や発言をする場面で、何でそういう言い方をするんだろう…と観ていてハラハラしてしまった。悪意は持っていなくても、かなりデリカシーが無い人だなぁと思いました。 韓国語の“ケンチャナヨ”は、英語では“Don't worry!”か、“No probrem.”、中国語では“無問題(モウマンタイ)”のような感じ。日本語ではピタッとくる言葉が無い。“大丈夫”と言っても、“平気平気”といっても、そういう時って大概大丈夫じゃないし、ちっとも平気じゃなかったりする場合で、やせ我慢的に言うことが多いから。 わたしは日本人だけれど、日本の代表としてなどという立場になった経験が無いまま生きてきました。海外にも数えるほどしか行ってないし、国際的な場にも行かないから、“日本人のあなたは”などと問われることもなく今まで来たけれど、そういった自覚も必要なのかしらと思うようになりました。 韓国公演もあるそうです。どんな評価を得られるか、楽しみです。 観劇日:6月5日(wed)2:00〜 |