和宮様御留 あらすじ 安政の大獄によって尊王攘夷派を弾圧した大老井伊直弼は安政七年三月、水戸の浪士によって暗殺され、その年、孝明天皇が即位し、年号は万延に改まる。 幕府は公武一和の政策に乗り出した。朝廷を取り込んで、反幕思想の尊攘派を抑えつつ、幕府主導の政治を行なうための幕藩体制再編強化であり、その一環として天皇の妹皇女和宮(嶋倉雷象)を将軍家茂に降嫁させるという井伊の遺策が実現へと動き始め、京都所司代の酒井若狭守忠義(水下きよし)は幕命として朝廷に申請した。 朝廷側は初め、この婚儀申し入れに強く反対した。和宮がまだ若く、しかも有栖川宮熾仁親王という許婚もいること。それに皇女が将軍家に降嫁する前例が無かったためである。 和宮の生母観行院(加納幸和)も降嫁を強固に反対しており、兄で宰相中将の橋本実麗(桂憲一)は降嫁を迫る九条関白尚忠(松原綾央)と妹観行院の間に挟まれて苦悩の毎日を送っていた。 天皇は寵愛する堀河掌侍の弟で侍従の岩倉友視(原川浩明)に公武合体の必要を説かれた。和宮が降嫁することで、朝廷側も政治的に優位な立場に立つことが出来るというのだ。さらに幕府からも先に井伊大老が結んだ諸外国との仮条約を撤回し、七・八年から十年以内には必ず攘夷(鎖国復帰か攘夷戦争)を行なうとの条件が提示された。 和宮降嫁の際、御附の女官として江戸に随行する者が、勾当内侍長橋の局(横道毅)によって選ばれ、宰相典侍庭田嗣子(八代進一)と能登命婦(秋葉陽司)に決まった。二人とも和宮の面識はなかった。 実麗や観行院の叔母で大奥の年寄を勤める勝光院(溝口健二)が桂御所の和宮に謁見するが、和宮は御簾の裏に隠れ、フキが和宮として会う。和宮の足が悪いと聞いていた勝光院は全く支障無く動けるフキの様子に訝しがるが、観行院の機転で切り抜ける。 桂御所で隔絶された生活を送るフキが唯一頼みに出来るのは、和宮の乳母藤(山下禎啓)の妹で世話をしてくれる少進(北沢洋)だけであった。 降嫁の日が迫り、長橋の局に支度金を頼む嗣子だったが、なかなか支給されず、しかもかなり減額されてしまう。 和宮は生まれ育った橋本家の屋敷に出向き、実麗に挨拶を済ませると、藤とともに姿を消してしまう。 和宮降嫁を実現させるため、岩倉は若い侍土井重五郎(橘義)に、薩摩や幕府の動向を調べさせ、逐一報告させていた。 その年の暮れ、朝廷は幕府の外交政策が一向に攘夷へと向かないことを理由に降嫁を延期し、翌年の文久元年十月が和宮降嫁の日に決まる。 実麗がその勤め上(宰相中将とは政と近衛を兼務する役職なので、朝廷を離れられない)和宮降嫁に同行出来ないことを知った観行院はフキを実麗に会わせた。身替りを降嫁させることを知って驚く実麗に、観行院は、和宮が以前から足の悪いことを理由に塞ぎ込んでいること、そして江戸に行けばより多くの好奇と嘲笑の目に晒されることを憐れに思った親心を打ち明ける。実麗は事の重大さ、恐ろしさに体調を崩してしまう。 十月二十日、和宮は桂御所を発輿し、二万と伝えられる大行列が東海道を進み、その日は大津で宿を取った。 場所は変わり、江戸高田村。花火屋であった新倉覚左衛門(溝口健二)は現在高田村の名主。妻志津(松原綾央)との間にもうけた娘宇多絵(大井靖彦)と暮らしている。江戸に帰ってきた重五郎は愛馬の雷丸を駆り、宇多絵に会いに来た。宇多絵は生まれながらに左手が不自由であったが、明るく気立ても良く、重五郎と近々祝言を挙げる予定であった。 和宮の一行は東海道を通り、22日には草津から中仙道に入った。この婚儀に反対する反幕派が和宮を奪回するという噂があったためである。 早朝、新倉覚左衛門の家に土井重五郎がやってくる。すぐに宇多絵を貰い受けたいとの申し出に、覚左衛門と志津は重五郎が家督を継ぐことが決まったために宇多絵を連れて国許に帰るのだと勘違いして喜ぶ。宇多絵に婚礼のために誂えた着物を着せ、盃を交わさせ送り出した。 十一月十五日、江戸に到着した和宮の一行は、翌月十二月十一日に江戸城本丸に登城し、翌年文久二年、二月十一日に婚儀を挙げ、和宮は正室となった。 ※黒字は史実、青字は小説によるフィクションです。 完 |