The April fools 第二話

作:蒼馬要


 十時を回った頃から、代官山のカフェを貸し切って撮影は始まった。
 編集長の詫びと担当者の説明が通じたのか、治樹と初対面の橘も終始機嫌が良く、順調に撮影は進んだ。

 イメージは恋人との二人きりのクリスマスパーティー。シャンパンとケーキとキャンドルで飾られたテーブルの向かいで微笑んでいる橘は美しかった。

 撮影の合間、フィルム交換をするためのごく短い時間に、橘はフッと素顔に戻る。映画やドラマのようにガラリと変わるわけではないようだが、しっかりと役作りをして撮影に臨んでいるのだと気付いた。その合間に橘は緊張から解かれ、少し離れた場所で待機しているスタイリストやメイクアップアーティストと屈託無く談笑しているのだが、そんな表情にも自然な魅力が感じられたので、治樹は思わずシャッターを押してしまった。

 十二時前に無事撮影が終わり、治樹に任せて大丈夫だと確信したのか編集長は社に戻ってしまった。

 次の撮影現場は湯島近くの元は置屋だったという古い民家だった。本当はこちらの方で先に撮影する予定だったそうだが、橘のドラマ撮影が長引いたのと、金剛地が入院することになってしまったため、急遽後回しになった。
 橘には朝まで近くのホテルで休憩を取ってもらい、治樹はスタッフと一緒に打ち合わせをした後、セッティングに追われた。

 明け方、熱いコーヒーとサンドイッチの差し入れを持って橘が現場入りしてきた。
「あなた…萱嶋さんでしたっけ」
 スタッフの輪から少し離れて治樹がコーヒーを飲んでいると、日本髪に結い上げて、艶やかな着物姿に変身した橘がやってきて隣りにふわりと座った。
「『ショット』の専属カメラマンなんですって?」
「はい」
 治樹は慌てて崩していた足を座り直した。
「いつもは政治家や芸能人のスクープ写真を撮っているんでしょ?わたしも度々お世話になっていますけど」
 冗談交じりに笑顔ではあるけれど、目はやはり多少こちらを警戒している感じだ。
「ええ、そうです」
「じゃあ、本誌独占スクープ!みたいなのも撮ったりすることあるの?」
「いえ、僕今年『ショット』に入社したばかりなんです。もうすぐ一年になりますけど、仕事を覚えるのがやっとって状態で、大した仕事はまだそんなにしてないんです」

 治樹は大学四年の前期までにすべて単位を取り終え、夏休み前に卒論を提出すると、四年間バイトでコツコツと貯めてきた金でアメリカに渡った。武者修行と言えば聞こえはいいが、カメラを下げたバックパッカーである。蓄えが無くなるとレストランの皿洗いやビルの掃除をして金を稼ぎ、ほぼ一年をかけて合衆国を横断した。
 抱えきれない写真とフィルムを持って去年の秋に帰国すると、日本はまさに写真週刊誌ブームの真っ只中だった。出国する前から既にブームではあったが、フォーカス、フライデー、エンマなどに続けと各出版社が写真週刊誌を何冊も創刊して鎬を削っていた。
 治樹はあらゆる出版社に写真を持ち込んだが、アメリカで撮ってきた写真は、なかなか当時の時流に受け入れられなかった。どの出版社に持って行っても“もっとスキャンダラスなものは無いのか?もっとショッキングなものは無いのか?”と要求された。コネも無く、コンペティションの参加経験も無く、勿論知名度も無い。このままではカメラマンの職に就けないと思った治樹は、被写体の傾向をアメリカにいた頃とはガラリと転換させた。新宿や六本木、渋谷、原宿といった東京の盛り場を撮りまくった。自分が撮りたいものではなく、多くの人が見たいと思うものを撮ることにしたのだ。奇を衒うのは苦手だったが、若者の生態や風俗をありのままに映すのは得意だった。アメリカで鍛えた度胸のよさと逃げ足の速さには自信があった。
 写真週刊誌の編集部に狙いをつけて片っ端から採用試験を受けたものの、ことごとく不採用続きだったが、年末になってやっと『ショット』の専属カメラマンに採用された。

 「そうなの…え、あなた年いくつ?」
「二十四です」
 橘はクスクス笑った。
「あら、わたしのほうが一個上だわ」

 橘遼子は短大生の頃にスカウトされてモデルの仕事で芸能界入りした。大手繊維会社の水着キャンペーンガールに選ばれて、グラビアやCMなどで活躍し、大学卒業後、女優に転向した。初めの頃はモデル上がり、人気先行、すぐに消えてしまうだろうなどと様々に言われていたが、仕事にも縁にも恵まれていたのか、めきめきと実力をつけていき現在に至っている。

 「昨日からずっと寝ていないんでしょ、お疲れさま」
 女優やアイドルの近くで仕事をする機会はあっても、直接口を聞けるなどということはそう無い。それにスクープカメラマンといえばただでさえ敵対心を持たれても仕方ないのだ。そんな相手から思いの外の優しい言葉を掛けられて、治樹は思わず照れて俯いてしまった。
「いえ…徹夜は張り込みや宿直で慣れていますから…」
 治樹がついそう言うと、張り込みという言葉に橘は少し顔を顰めた。
「張り込みって、何だか刑事さんみたいね。差し詰めわたしは容疑者ってところかしら」
「あ、そういうつもりじゃ…」
「でもね、別に悪いことをしてるわけでもないのに、ずっと後を付け回されたり、行く先行く先で待ち伏せされたりするのって、あまりいい気がしないものなのよ」
「…はあ、すみません…あまりお邪魔はしないように以後気をつけます…」
 治樹に文句を言っても意味が無いと橘も分かっているのだろう。素直に謝られて橘は吹き出してしまった。
「あなた面白い人ね。カメラマンてみんな頑固で自分勝手な人ばかりだと思ってたけど、萱嶋君はそうじゃなさそうね」
 さっきはさん付けだったのに、君に変わっている。年下だと分かったからだろうか…
「それにしても、金剛地先生はお気の毒ね。インフルエンザだなんて、忙しい時期なのに…」
 代官山での撮影前、橘の現場マネージャーが編集長に金剛地の入院している病院名と住所を聞いていた。見舞いの花か何かを届ける算段でもしていたのだろう。
「じゃあ、後半もよろしくお願いしますね」
 橘は慎ましやかにお辞儀をした。
「こちらこそ…」
 治樹もつられて再び正座をして頭を下げた。

 室内での正月らしい雰囲気の撮影を終え、外が明るくなるのを待った。
 橘はコーヒーのカップで手のひらを温めながら、縁側の廊下に出て窓の外を見ている。着物にステンレスのマグカップというのは少し変な取り合わせではあったが、仄青い外光に浮かぶ端正な横顔に治樹はカメラを向けた。シャッターを切ると、橘はゆっくりと治樹の方に向いて微笑んだ。
「わたしね、こうして朝の空を眺めている時が一番好きなの」
「僕も朝、好きですよ」
 張り込み明けの朝、しょぼつく目で眺める朝日は気持ちいい。
「萱嶋君は、本当に仕事が好きなのねえ」
 治樹の話に橘はそう言って目を細めた。
「橘さんも女優の仕事お好きなんでしょう?」
「そうだけど…わたし前は普通のOLになるんだって思ってたし…」
「女優なら、色んな仕事が演じられますよね」
「ええ、OLの役もやったことがあるわ。でも演じるっていうのはあくまでも演技。本物ではないでしょ…わたしが本当にしている仕事はモデルと女優だけなのよ」
 随分醒めた考え方をするんだなあと思った。

 すっかり明るくなった湯島天神の境内に移動し、早咲きの梅の下でおみくじを開き、大吉を嬉しそうに見せる橘を撮影して、全てのスケジュールが完了した。
「萱嶋君も引いてごらんなさいよ」
 境内を後にしようとすると、橘が治樹のジャンパーを引っ張った。
「え、僕もですか?」
 自動販売機形式のおみくじを引いて開くと、治樹よりも先に橘が顔を覗き込んで見てしまった。
「あらぁ…」
 橘は大袈裟に驚いている。結果は凶だった。
「こういうのって吉しか入ってないと思ってたけど、ちゃんと凶も入ってるものなのねぇ…待ち人来たらずですって」
 同情気味には言っているけれど、顔は笑っている。
「わたしは大吉だったから持って帰るけど、凶が出たら、結んでおくのよ」
「…後でやります」
 治樹はおみくじをジャンパーのポケットに入れて、カメラからフィルムを取り出し、ロケ車に返しに行った。

 「お疲れさまでしたー」
 ダウンジャケットを羽織って笑顔でタクシーに乗り込む橘を見送り、治樹はホッと息をついた。
「眠い…」


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