The April fools 第三話

作:蒼馬要


 社に戻ると編集長が珍しく上機嫌だった。
「済まなかったなあ、疲れただろう、今日はもう帰っていいぞ」
 一服していると、張り込みから戻ってきた先輩カメラマンの御厨に羨ましがられた。
「あーあ、ちゃんと宿直やってれば良かったよ」
 御厨が宿直で戻っていたら、金剛地の代役は当然御厨になっていただろう。
「駄目駄目、お前には頼まないよ」
 編集長が笑う。
「ええ、何でですか」
「お前はスクープ写真専門だろうが」
「そんなことないっすよ。ヌードだって何だって撮りますよ。いや、むしろそういう仕事を優先的に回して欲しいんだけどなあ」
 人それぞれ、確かに得手不得手というものはあるが、一通り何でも撮れることがプロカメラマンの条件なのだと言える。しかし御厨は生々しい事件、事故現場、凶悪犯罪者のスクープ写真を撮らせると社内でも右に出る者が居ない。金剛地と同じく御厨も治樹の出身大学の先輩だ。御厨は学生時代から海外に行っては過激な写真を撮っていて、それが雑誌に載ったことがきっかけで在学中から既にプロとして活躍していた、治樹たち後輩にとっては伝説の人で、まさか同じ出版社にいるとは思っていなかった。御厨は以前所属していた出版社を辞めた後、一・二年フリーで活動していたそうだが、治樹よりも少し先に『ショット』と契約して籍を置いているのだそうだ。

 「ほら、無駄口叩いてないで、ちゃんと寝とけ。張り込みの交代に遅れるなよ」
「はいはい、お先」
 そんな先輩と一緒に働けることだけでもすごいことなのだが、基本的な年功序列を別にして、普段は誰もが全く同じラインで仕事をしている。時間ばかり掛かって実利の少ない張り込みにもベテランの御厨は普通に参加するし、どちらかというと他のカメラマンが行きたがらない、汚い・きつい・危険という3Kの現場にも嬉々として出掛けていく。
 治樹も入社早々から御厨に同行することが多く、取材の後二、三日肉の類いが食べられなくなるような経験も度々味わっていた。最近ではかなり馴れてきたものの、御厨のようになれるのはまだまだ先のことだろう。

 数日後、治樹の撮った写真が金剛地のオフィスで現像されて編集部に届いた。テスト用のポラ写真も全て持って行かれてしまったので、治樹の手元には当日の記録というものが全く残っていなかったのだ。
「これ全部治樹が撮ったの?」
「はい」
 そうは言っても、当日の記憶がまるで夢か何かのようで、正直自分が撮ったという実感からは程遠かった。
「萱嶋、お前なかなかやるじゃん」
「被写体が良かったんですよ…」
 実感が薄い分、客観的に見ることは出来た。思っていたのよりもずっときれいに撮れている。
「いや、よく撮れてるよ。金剛地先生もこの写真の出来をご覧になって、監修ってことで納得してくださったから、この中からもう一度改めて選んで貰って掲載する」
 編集長はピンチを切り抜けてホッとしているのだろう、機嫌がいい。

 沢山あるようだが、かなり選別されていて、十分の一以下には減っている。他の写真は全部ボツになってしまったのだろうか。無理なこととは分かっているが、記念に一枚くらいは手元に残しておきたかった。
「あー、ホントだったら俺が撮ってたのに…」
 御厨はまた悔しそうにそう言うと、治樹の頭を乱暴に撫でた。
「編集長、何で治樹なんかに撮らせようなんて英断したんです?」
「なんかにって…」
 治樹も何故か知りたかった。もし出来が悪くて、金剛地の許可が下りなければ、大事な連載に大穴を開けてしまうかもしれなかったのだ。
「萱嶋が面接に来た時、撮りためていた写真を持ってきただろう」

 ちょうど一年前のことだ。ベタ焼きした写真や、大きく紙焼きした写真をポートフォリオに入れ、マウントしたポジフィルムをどっさり鞄に詰め込み、色んな出版社を回っていた。日本に戻ってきてから撮った写真の方が売りだったけれど、瀬田編集長は持ってきている全ての写真全てに目を通してくれた。
「うちに入って、どんな写真が撮りたいの?」
 そう聞かれて治樹は“何でも撮ります。どこにでも撮りに行きます”と即答した。選り好みなんてしていたら採用されないと思ったからだ。それまで回った出版社は軒並みそう答えても不採用だったから、治樹も焦っていた。
「何でも撮って来てくれるのは有難いがな…」
 編集長はアメリカで撮った写真の一枚を指差して、
「うちにはこういう写真を撮る奴が居ないんだ」
 そう言った。緊張していた治樹はその言葉を“こういう写真を撮る奴は要らないんだ”と聞き間違えた。ここも不採用か…そんな落ち込んだ気持ちで編集部を後にしたのだったが、後日採用が決定したという連絡が入った。
 その時編集長が指差していたのは、小さな街の花屋の店先で撮った写真だった。可愛い女の子が新聞紙で巻いた花束を抱えて満面の笑みを浮かべている。新聞のトップには十月、ニューヨーク株式市場で史上最大の株価大暴落、ブラックマンデーの記事見出しが大きく写り込んでいた。向こうで最後に撮った一枚で、現像してから新聞の見出しのことは気付いたものだった。

 「うちの方向性とはかなり違っていたんだが、こういう奴が一人くらいいても面白いかなと思って採用したんだよ。意外なところで役に立つもんだな」
「なぁんだ、そういうことですか」
 御厨は治樹の脇腹を突付いた。
「今度俺にもその写真見せてくれよな」
「は、はい…」
 治樹はもう一度写真を眺めた。代官山でも湯島でも、時に仕事ということを忘れてしまいそうなくらい楽しい撮影だった。
 自分の名前が載らないのかと思うと、出来がいいだけにかなり残念な気持ちになった。
 ポートレイトにはニュース性のある報道スクープ写真とは違った被写体の描き方が出来る。
 治樹は被写体のタイプを独自に分類している。大きく分けて、撮ってくれと主張してくるタイプと、撮らないでくれと拒絶するタイプだ。
 週刊誌のスクープ写真は後者の場合が断然多い。一方ポートレイトは前者である。前者の方が撮る方としても気持ちは楽だが、刺激は少ない。
 橘の写真を撮った時は、スクープとは違う、かといってポートレイトとも違う感覚だった。橘の誰にも見せたことのない表情を撮りたい。橘自身も気付いていない表情を撮ってみたいという気持ちになった。
 アメリカにいる頃はただひたすら各地を歩き回り、興味の赴くままにシャッターを切っていた。バスも滅多に停まらないような外れの外れにも村や町があって、そこに住む人たちの暮らしがあるのだ。それが面白かった。未知の世界が知りたくて、さらにその先まで行ってみたい、見てみたいと足を運んだ。その先にあるものを捉えたい。
 橘の写真を撮りながら、カメラマンになるきっかけとなった想いの原点に還れるような気がした。


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