The April fools 第四話

作:蒼馬要


 「治くん、遅ーい。何してたのよぅ」
 クリスマスイヴ。原宿のオープンカフェに約束の時間よりも一時間以上遅れて着くと、千春がむくれていた。
「ポケベルに何度もメッセージ入れたんだからね」
「ごめん、編集部に居たから、電源切ってた…」
「もう、信じらんなーい」
 可愛い子なんだけど、少しうざったく感じる時もある。
「イヴは一緒に過ごそうねって、ちゃんと約束したじゃない」
 千春は大学時代のクラスメートだ。クラスでも一番可愛いくて、千春と付き合いたいと思っている連中はかなり多かったけれど、治樹からモデルになってくれないかと頼んだことがきっかけで一年の頃から付き合い始めた。といってもキスまでの友達以上恋人未満という関係がしばらく続き、一線を越えたのは三年生の時だった。治樹の渡米が具体的になって、バイトが立て込むようになってから、お互い連絡が途絶えがちになり、後はお決まりのパターンで自然消滅のようになってしまった。
「ちょっとぉ、ちゃんと聞いてる?ホントに反省してるの?」
 『ショット』に入社して間もなく、OLになった千春とばったり街で再会し、再び付き合うようになった。定時に出社し、定時に帰ることのできる待遇だから、治樹の仕事を分かってはいるつもりだろうが、結局会うことに障害が起これば機嫌が悪くなるのだ。治樹は軽く溜息をついた。
「年末年始だって一緒に温泉に行けるじゃないか。無理言って休み取らせてもらったんだから…」
 先輩たちの当直を代わっていたおかげで、いい時期に休みを取れた。
「わたしは今夜のことを言ってるの」
 千春はぷうっとむくれる。
「レストランだってもう予約した時間一時間も過ぎちゃったから、さっきキャンセルの電話したのよ…」
 キャンセル代払うのは僕なのに、何でこんなに責められるんだよ…
「じゃあすぐホテル行こう。飯はルームサービス頼めばいいんだし、その方が手っ取り早いよ」
「…治くんのエッチ…」
 カメラマンの仕事は時間に余裕が無いものの、給料は普通の大卒サラリーマンよりも破格に良いからレストランやホテルだって贅沢な所に行ける。今夜も夜景のきれいな高層ホテルをリザーブしてある。
「まっ、いいわ、ティファニーのオープンハートで許してあ、げ、る」
 千春は治樹の頬にキスをして、にっこり笑う。この笑顔にいつも蕩けてしまうのだが、支払いはいつも治樹がしていた。時々俺って金づるなんだろうかと思うことがある。

 ホテルに行って一時間、シーツに包まったまま二人で夜景を見下ろしながらサービスのシャンペンを飲んでルームサービスのディナーを待っていると、カフェで電源を入れたポケベルが脱き散らかした服の中で鳴り出した。
 習性ですぐに飛び付いて番号を確認するとやはり編集部からだった。
「仕事?」
 電源を切ってベッドに戻ると、千春が不機嫌そうな声で聞く。
「ん、んん…」
「今日は行かなくてもいいんでしょ?」
「んん…」
 気持ちが上の空であることに千春は頬を膨らませる。
「わたしシャワー浴びてくる」
 二度目のバスルームに行ってしまった。
 水音がし始めて、治樹は我慢できずに電話を掛けた。
「もしもし、萱嶋です」
「今どこだ?」
 編集長の少し苛ついた声だ。
「…新宿ですけど…」
「おおそうか、都内に居たか。済まないが、赤坂ホテルまで御厨のサポートに行ってくれるか?」
 多分他のカメラマンたちは全員ポケベルの電源を切ってて、返事を寄越したのは自分だけだったのだろう。
「わかりました、すぐ行きます」
 習性でまたそう答えてしまってから、あっと思った。
「治くん?」
 バスローブ姿の千春が仁王立ちしている。
「仕事入った」
 振り返りざまにそう言うと、ハイヒールが飛んできた。
「痛っ…」
「何よぅ、馬鹿馬鹿っ!」
「しょうがないだろ?都内で連絡付いたの俺だけなんだから…」
 埋め合わせはするからとペコペコ頼み込んで、急いで服を着ていると、ボーイがディナーを運んできた。ローブ一枚の千春はベッドに隠れてしまった。
「ありがとう、これ取っといて」
 伝票にサインして、チップをボーイに渡して帰すと、靴を履きながらパンとラムチョップのハーブ焼きを手掴みで持って慌しく口に押し込み、シャンパンで飲み干した。
「どうするのよ、これ」
 千春は料理を指差す。
「あとは任せた」
「一人で食べろって言うわけ?」
「腹減ってるんだろ?」
「そういうこと聞いてるんじゃないでしょう?」
 千春はキーキーと治樹の背中に向かって怒鳴ったが、一々聞いている暇も無い。
「必ず戻ってくるから、ね、ね…」
「知らないっ!」
 治樹は急いで部屋を出た。一応やることはやった後なので、そんなに未練は無いというのが正直なところであった。

 下りエレベーターのドアが開いたので乗り込むと、奥にカップルが一組いた。この階より上というと、スペシャルスイートか、最上階のバーラウンジで飲んでいた客だろうか。
 俯き加減で乗り込んだので、二人の足元だけチラリと見えた。キャメル色のカシミアコートを腕に抱えた男は高級スーツにピカピカに磨いた靴、女の方はくるぶしまで隠れそうな長いシルバーフォックスの毛皮を着ている。
 治樹がすぐに出られるようにドアのすぐ前に立っていると、カップルは背後で何か囁いては笑っていたが、次第に盛り上がってきて何と治樹がいるのにキスを始めた。男は人目があるからと困惑気味だったが、酔った女の方はかなり大胆で男の方も次第に興奮してきたらしい。
 間も無くして一階に着き、治樹は苦笑しながら先に飛び出した。
「見せつけるなあ…」
 未練は無いといっても、やはり寒い街に一人で出ていくのは少し情け無かった。

 原宿から新宿のホテルまで来る時、タクシーに乗ったが道が随分混んでいたので、地下鉄を選択した。
 永田町で降り、案内板に従ってホテルの新館の方に向かう。正面玄関口の数十メートル手前の路上パーキングに社の車が止まっていたので窓を叩いて乗り込んだ。
「お疲れっす」
「おう、早かったな」
 御厨は目線をホテルの玄関から外さずに答える。
「地下鉄で来ました」
「正解だな…酒飲んでるの?」
 治樹の顔の傍で御厨は鼻をくんくん言わせた。
「ええと、シャンパンを二杯くらい…まさか呼び出しが掛かるなんて思ってなくて、飲んじゃいました…」
「そうか、お楽しみのところを、編集長も無粋なことしたな…」
 身体から石鹸の匂いもしていたので御厨はニヤリと笑った。
「いえ、何かあったらすぐ呼んでください。飛んできますから」
 治樹は鞄の中からカメラを出し、ダッシュボードに上着のポケットに入れてあった煙草とライターを置いた。
「編集長にはここに来いっていう指示しか貰ってないんですけど…誰が来るんですか?」
「一本もらうぞ。俺も別のとこで張り込みしてたんだけど、召集かかってな」
 御厨は治樹の煙草を一本取って火を付けた。
「今夜、もうすぐここに大物俳優が」
 御厨は小指を立てて、
「コレとしけ込むって情報が編集部に入ったそうなんだ」
 男の方は新劇俳優の望月美津留だという。芸能界屈指のオシドリ夫婦として有名で、ベストファーザー賞なども受賞しているが、共演女優とのゴシップには毎度事欠かないお騒がせ人物という面も持っている。
「で、相手は誰なんですか」
「聞いて驚け、橘遼子らしい」
「ええっ!」
「うまくいけば年明け新年号に載せられるぞ」
 御厨は腕時計を見る。
「十時にダルトンのラウンジを出たっていう情報だから、もうすぐ来る頃なんだけど、道が混んでるから遅れてるのかもな」
「え、ダルトンですか?」
「ああ」
「俺、さっきまでいました…編集長に電話貰って、ホテル出たの十時ごろっす」
「…お前地下鉄で来たんだよな…」
 御厨は口をあんぐりと開けたので、くわえていた煙草をポロリと落としそうになった。
「…はい…タクシーだと道混むだろうと思って…え?…」
 そう言えば…そう言えば…さっきエレベーターで乗り合わせたカップルって…
「アホッ!お前の首に下げてるカメラは飾りかっ?!」
 狭い車の中で思いきり怒鳴られた。
「だ…だって…」
 まさかターゲットと同じエレベーターに乗り合わせるなんて思わないではないか。
 御厨は大きな溜息をついた。
「すみません…」
「…玄関の方見張ってろ」
「はい…」
 望遠カメラで玄関の出入りを見ていると、御厨は二本目の煙草に火を点ける。
「どこのタクシーに乗ったか…見てねえよな…」
「はい…二人よりも先に飛び出してきたもんですから…見てません…」
 御厨は煙を吐きながらハンドルに凭れ掛かって呟いた。
「…治樹、お前は運がいいのかも知れないが、それに気付く勘がまだ鈍いんだな」
 しょげ返っている余裕も無く、数分後、一台のタクシーが治樹たちの乗っている車の横を通り、ホテルに入る車線に滑り込んだ。
「御厨さん、あれ…そうじゃないですか?」
 御厨は煙草を揉み消すと、車を発進させた。
「タクシーの後ろに付けるから、お前が撮れよ」
「は、はい…」
 御厨に限らず、同行したカメラマンと車でターゲットを追うという仕事はこれまでにも何度か経験している。だがいつもは治樹がハンドルを握り、先輩カメラマンの後方支援を任されていた。今日は自分が先陣を切って撮りに行かなければならない。今更ではあったがカメラを持つ手が震えた。


第三話 第五話