The April fools 第六話
作:蒼馬要
休暇中は緊急呼び出しも無く、正月二日に出社した治樹は、橘の事務所から連絡があったことを知らされた。
「抗議の電話ですか?」
編集長は首を振る。
「詳しいことはよく分からないんだが、お前に写真を撮ってもらいたいというんだ」
「はあ?」
治樹が電話を掛けると、デスクマネージャーの桑折という女性が丁寧に説明してくれた。
橘が『美女百景』で治樹の撮った写真をとても気に入ったというので、社長とも相談し、宣材用の写真を是非とも治樹に撮ってもらいたいという申し出だった。
「僕はカメラマンですが、スチール写真やポートレイトみたいなのは大学の授業でやったきりで、専門外なんですけど…」
「構いません。橘はあなたの撮った写真がいいと申しておりますから。ご都合のよろしい時に一度うちの社長とお会いいただけませんか」
編集長に相談すると、宣材撮影ならばそれほど手間は掛からないだろうからと、特別に許可が下りた。
望月と橘の記事は、七日に天皇が崩御したため、自粛の対象となり、掲載が一月伸びた。
年号が平成に変わって、二月号には載ったものの、時期を同じくして行われた舞台製作発表記者会見のいい宣伝になってしまった。
治樹は『ショット』の仕事が終わると、橘の事務所に通って撮影の打ち合わせをした。
当初は宣材写真だけの予定だったのが、何度目かの打ち合わせの時、今年のデビュー五周年記念として挑戦する初舞台の写真集を出版する話があることを聞かされ、その撮影も任されることになった。
「舞台『クレオパトラ』は遼子の代表作になる。萱嶋さんにはその製作過程を、稽古風景から公演まで、記録を全て撮って欲しいんです」
事務所の社長河本はまだ三十代半ばの見るからに革新的な印象を受ける人物だった。父親はベテランからアイドルまで多くのタレントを抱える大手老舗の芸能プロダクションの社長で、河本も大学卒業後にマネージャーとして仕事を始め、行く行くは後継者になるものと考えられていたが、三十になる頃に短大生でモデルの卵だった橘と出会い、独立して彼女の個人事務所を立ち上げた。以来二人三脚で仕事をしてきたパートナーだった。
舞台写真というジャンルがあるが、それはあくまでステージの上を撮る仕事だ。また映画やテレビドラマの撮影現場で、記録画像として写真を撮るスチールカメラマンという仕事があり、今回頼まれたのはそちらに近いと言える。治樹は橘の専属として写真を撮ることを任されたのだ。
「そんな大事な撮影を、僕に任せてくれるんですか」
「先日、金剛地先生の事務所で美女百景の写真と一緒に、その合間に撮った写真を見せてもらったんですよ。遼子も気に入っててね。しかしあれは金剛地先生の所のものだ。君が撮った遼子の写真であっても、君やうちの自由にはならない」
舞台稽古は三月の顔合わせからで、九月には初日を迎える。半年間、毎日ではないが、橘に付っきりで撮影をすることになる。
「金剛地先生には遼子が新人の頃からお世話になっています。遼子の魅力を一番引き出してくれる写真家だと考えてこれまでずっとお願いしてきましたが、今回は新しい才能に賭けてみようと思っているんです。でなければ、スクープを撮られた週刊誌のカメラマンであるあなたにわざわざ依頼なんてしませんよ」
河本は片頬で不敵に微笑みながら右手を差し出した。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ…」
治樹は握手をしながら頭を下げた。
治樹は編集長に事情を説明し、『ショット』の仕事は宿直や夜から朝までの張り込み仕事に回して貰うことにした。
徹夜の張り込み明けで稽古場に行き、橘の写真を撮る。機嫌の良い時もあれば、レンズを向けただけで露骨に嫌な顔をしてそっぽを向くような機嫌の悪い時もあったが、何があっても必ず毎日撮り続けるというのが河本社長との約束だった。
「萱嶋君、今夜も張り込み?」
夕方、稽古が終わり、ドラマの収録のためにスタジオへ行く途中、治樹は途中で降ろしてもらう予定でタクシーに橘と同乗した。
「あ、はい…」
稽古場で貰った栄養ドリンクで目は冴えていたが、身体はどろりと重かった。
「疲れてるのね」
橘はじっと治樹の顔を見ている。
「身体が辛かったら、少しは休んでもいいのよ」
「引き受けた仕事ですから、全力を尽くします」
テーブルに座っての本読みから、台本を片手に舞台を模して作った稽古場のステージでの立ち稽古へと変わり、衣装こそTシャツにジャージ姿だが、日々進歩が見られて傍で写真を撮っていても興味深かった。
「でも、何だか変よね」
「何がですか?」
「あなたは本来、週刊誌のカメラマンなのに、その現場では張り込みばかりで、結局一枚も撮れないことだってあるんでしょう」
「ええ、そういうことの方が多いです」
「それなのに、こうして毎日私のことを撮ってくれてる。どっちがカメラマンらしい仕事なのかしら」
橘の笑ったり怒ったり、真剣だったり、ふざけたり、あらゆる仕草や表情を撮る日が続いている。恋人の千春のことだってこんなに密着して写真を撮ったことはない。
治樹は胸ポケットから写真を取り出した。渡米している頃に、姉に子供が生まれた。家に遊びに行った時には必ず写真を撮っている。仕事柄、陰惨な事件、事故現場などが続いて気持ちが滅入ることもあったが、幼い姪の笑顔を撮っていると、希望が湧いてくるのだった。
「姪っこです」
「あら、可愛いわね。いくつ?」
橘は写真に思わず顔をほころばせる。
「もうすぐ三歳になるんです」
「お名前は?」
「梨優って言います。梨に優しいと書くんです」
「梨優ちゃん…」
「秋に生まれたんで、姉が梨をせっせと食べておっぱいをあげていたからだそうです」
「まあ、ふふふ。わたしも早く赤ちゃんが欲しいなあ」
「え?」
治樹は慌てて聞き返した。
「だって、若いママって子供からしたら自慢でしょ?運動会で一緒に走ったり出来るし」
そう言って橘は無邪気に笑う。
「誰かお相手がいるんですか?」
週刊誌のカメラマンとしての職業意識が働いて、治樹そう聞くと、橘はあ、という表情をした。
「つい忘れてたわ。萱嶋君が『ショット』のカメラマンだっていうことを」
「で、お相手は…」
「ふふ、ご想像にお任せします。でもね、この前有名な占い師さんに見てもらったら晩婚で言われちゃった。今は仕事が恋人」
「仕事は恋人ですか」
「うん、だって仕事と結婚したら、本当晩婚どころか結婚出来なくなっちゃうでしょ」
週刊誌だけ見ていれば、派手な恋愛遍歴を連想させそうだが、しばらく同行して見ている限りでは、橘に浮いた様子は感じられない。