The April fools 第八話
作:蒼馬要
編集長の心配は現実のものになった。
その日の午後、ライバル誌『キュリオス』から来週号に掲載したいと、親しげに会話をしている橘と治樹のツーショット写真が送られてきた。記事の仮原稿には治樹は橘のマンションに泊まるまでの関係になっていると書かれていた。
「あの日だけなんですよ、泊まったのは…それも体調が悪かったから、橘さんが善意で泊めてくれたんです」
治樹がなんと言っても、掲載を差し止めることは出来なかった。橘の事務所のコメントも特別な関係があったといえばあった、無かったといえば無かったという、あいまいな返答で、来月の公演と、写真集の宣伝に利用する意図が見え見えである。
河本社長から治樹に電話があり、仕事は従来通り、千穐楽まで続けてほしいという要請だった。
「しかし、こんな状況で…」
「スクープがでっち上げだというのなら、不用意に怯んだりしないで、堂々としていた方が賢明だと思いますよ」
電話の向こうで、河本はまた不敵な笑みを浮かべているのだろうなという気がした。
編集長は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「向こうの方が一枚も二枚も上手だな」
「どうしましょう?」
「勝手にしろ」
投げやりに言われた。そもそも編集長も治樹が橘の仕事の方に比重を置くことにはあまりいい顔はしなかった。貰っている給料分は働かないといけないとは分かっているのだが…
「…はい、行ってきます」
橘にも直接謝らないと。治樹はカメラとバッグを持って劇場に向かった。
劇場の楽屋で支度をしていた橘はかえって治樹にすまなそうな態度だった。
「萱嶋君、ごめんなさいね」
「いえ、僕の不注意です…やっぱり家に帰るべきでした」
「あの時は萱嶋君の身体のことが一番心配だったんだもの」
「僕はいいんですけども、橘さんに余計な迷惑を掛けてしまって…」
「いいのよ、わたしはもう慣れてるから」
橘は同業者の俳優や、スポーツ選手、ミュージシャン、アーティスト、文化人などとの交友範囲が広いせいか、何かしらの話題で間断無く週刊誌を賑わせている。
「わたしだって、根も葉もないゴシップ記事を書かれてうんざりすることもあるわ。でもボス…社長はね、人気もバッシングもわたしが注目されているからなんだっていう考え方なのよ」
橘は河本社長のことを普段ボスと呼んでいる。
テレビや雑誌の好感度調査では恋人にしたい、結婚したい女性ランキングで上位にいながら、同性からの印象としては友達になりたくない、一緒に仕事をしたくない女性としても必ずランクインしてしまうそうだ。先輩女優からの意地悪にも悩まされてきたというエピソードを聞いたこともある。しかし橘は表向きには強く逞しく仕事をこなしている。
「わたしが本物のダイヤモンドだったら、決して傷は付かないものなんだって」
いかにもあの社長が言いそうなことだなあと治樹は思った。
「望月さんとは…」
つい口が滑ってしまうと、橘は目を見開いてクスクス笑った。
「わたしね、酔っ払うとキス魔になっちゃうの。だから望月さんにもキスしたことはあるわ。それに誰彼構わずってことじゃないのよ。望月さんとは舞台で恋人役を演じることになったから、親しくならなきゃっていう気持ちもあったし」
治樹には分からなかった。ダルトンのエレベーターの中でのあの濃厚なキスが橘にとっては挨拶代わりだというのだろうか。
「社長も言ってたでしょ?萱嶋君もあんな記事を書かれたくらいで怯まないでね」
「はあ…」
発売当日の夜、『キュリオス』を手に千春は治樹のマンションまで押し掛けてきた。
「何なのよ、治くん!」
「千春…」
「会社の友達から教えられて…わたし…もう…もう…うわーんっ!」
玄関先で泣き出した千春をなだめながら部屋に入れた。
「だから、これは根も葉もないでっち上げなんだよ。泊めてもらったのは事実だから仕方ないんだけど、いくら説明しても証拠は無いから信じてもらえないし、橘遼子の事務所も舞台の宣伝に使おうとしているんだ」
「治くん、橘遼子の写真撮ってるなんてこと、わたしに一言も言ってくれなかったじゃない…」
週刊誌の記事には写真集のことなども書かれていた。
「進行中の仕事だから、関係者以外には公表しなかったんだよ」
「治くん…」
「ん?」
「ほんとに橘遼子とは何でもないのね」
「当たり前だよ」
千春を抱き寄せると、泣きじゃくりながらしがみついてくる。
「治くん…」
すすり泣きながら身体を任せてくる千春に愛おしさがこみ上げてきて、思わず興奮してしまった。
「千春…」
「あん、口紅付いちゃうから…」
「かまうもんか…千春…」
「治くぅん」
盛り上がってきたまさにその時、電話のベルが鳴った。
「あ…」
むくれる千春に拝みながら出ると、河本社長だった。
「萱嶋君、頼みがあるんだけど」
「何でしょう」
「今週劇場入りしてから撮った写真が現像出来てると思うんだけど」
「はい、今手元にあります」
机の上に置かれた写真に目を遣った。
「これから劇場まで来れないだろうか、その写真を持って」
「明日のゲネプロに持って伺う予定なんですが…」
「出来れば今夜来て欲しいんだ」
社長の神妙な口調に治樹は何かあると感じた。
「分かりました」
「悪いね」
治樹は家に置いてあったここ数日の間に撮影し、現像したばかりの写真をかき集めて、封筒に入れると、ブリーフケースに詰め込んだ。
「治くん、どうしたのよ?」
「千春、俺これから劇場までこの写真を届けに行かなきゃならなくなった」
治樹の真剣な顔を見て、千春は頷いた。
「仕方ないなあ…」
「千春…」
「…無理しないでよ」