The April fools 第九話

作:蒼馬要


 劇場の支配人室には支配人と演出家の五十嵐と舞台監督の秋月、そして河本社長が待っていた。
「これ、先週分の写真です」
 封筒を渡すと、五十嵐と舞台監督と社長は熱心に何かを探すように写真を見ている。今週は劇場入りして、立ち稽古が始まった。社長は舞台の袖に佇む橘の写真をじっと見ている。
「秋月さん、ここにいるの…」
「そうです…ね、五十嵐さん」
「萱嶋君」
 途中から入ってきた橘に腕を引っ張られて、治樹は廊下に出た。
「どうしたんですか?」
 橘もあまり話したがらない。
「劇場に脅迫状が届いたんだって」
 横から望月が口を挟む。
「望月さん!」
 望月も事情を知っているらしく、楽屋に残っていたようだ。
「脅迫状…ですか?」
「まだ本当かどうか分からないのよ。だから騒ぎを大きくしないでってボスも言ってたでしょう」
「でも、萱嶋君の写真で確認してるんでしょ」
「僕の撮った写真で何か分かるんですか?」
 今朝、劇場宛てに差出人不明の手紙が届いた。支配人室に置かれていた手紙は夕方まで開封されなかったが、その手紙を読んで支配人は驚いた。
「『クレオパトラ』を上演するなという内容らしいんだ」
 望月は先日ドラマで演じた名探偵明智小五郎よろしく、顎に手を当ててポーズを決めているが、いかんせん着ているのがバスローブなので今一つ様になっていない。
「いたずら?嫌がらせか何かですか?」
「それが本当かどうか、今調べているのよ」
 そういう類の手紙や電話はたまにあるらしいのだが、それが予告どおりに実行されることは滅多に無い。事件として騒がれることで喜ぶ愉快犯というやつだ。
「僕は絶対脅迫状だと思うなあ。だって、もし舞台が上演されるようなことになったら、ヒロインの身に何が起きても知らないという文面なんだというから」
 しかも届いた手紙には切手が貼られていなかった。直接劇場の郵便受けに入っていたことから、劇場まで来ることが可能である人物だということが分かる。愉快犯が実行犯に転じるとも考えられるのだ。
「そんなことをして、一体どういうつもりなんですかね…」
「差し詰め遼子ちゃんの熱狂的なファンが、僕とのラブシーンに焼きもちを焼いて送ってきた嫌がらせか何かだろうと思うよ」
 さっきは脅迫状だとか言って騒いでいたのに。
「もう、望月さんは暢気なんだから」
 橘にたしなめられると、望月は首を横に振る。
「ところが、僕はそういうことをされると、かえって燃えちゃうタイプなんだよね」
 冗談交じりに場を和まそうとしているようだけど、やはり脅迫状とは穏やかではない。
「僕って罪な男だなあ…」
 橘はいつもこうなんだからという顔で治樹を見て笑っていたが、じっと凝視している。
「萱嶋君、口に赤いものが付いてるわよ」
「え?」
 手の甲で慌てて唇を擦ると千春の口紅が手に付いた。
 橘はその後何も言わなかったけれど、口紅であることには気付いていたようだ。

 「萱嶋君、ちょっと」
 支配人室から河本社長が顔を出した。
「話は聞いた?」
「少し…あの、僕が言うのも差し出がましいと思いますが、警察に届けた方がよくないですか?」
 社長は一枚の写真を治樹の前に差し出した。
「差出人の見当は一応ついてるんだ」
「え」
 舞台の上手から登場するきっかけを待っている橘を下手袖から撮った一枚だ。後ろにはセットの転換を受け持つスタッフが控えている。
「手紙を送ってきたのは多分この男だ」
 以前、橘の事務所にファンレターを送ってきたことがあるのだという。橘も少し辟易しながら熱烈な内容の文面に目を通していたが、途中で読むのをやめて、他の郵便物と一緒に自宅に持って帰ったらしい。
「その時に私もファンレターに入っていた写真を見せられたんだ。少し前にあったサイン会の会場で、遼子と一緒に写っている写真だった。秋月さんのところに面接の時に持ってきた履歴書があるんだが、それには写真が貼られていなくてね。遼子も手紙や写真は前のマンションから引越しした時に処分してしまったというから、同一人物かは私も確信が持てなかった。だから、君の撮った写真で確かめようと思ったんだ」
 青年は橘を背後からじっと見つめている。治樹も知っている青年だった。

 稽古が始まって数日経ったある日、スタジオに行くと立派な宮殿が組み立てられていた。ステージの感覚に不慣れな橘のために、稽古場にも実際の舞台とほぼ同様の仮セットを作ることになったのだ。
「見て見て、萱嶋君、すごいわねえ」
 橘は柱に手をかけてポーズをとっている。
「あ、橘さん、そこまだ固定してないんで、寄り掛からないでください」
 舞台監督の秋月が慌てて駆け寄ってくる。
「中ちゃん、そっちはいいから、こっちを早く仕上げてよ」
 手際良く反対側の柱を組み上げている美術スタッフの中にその青年はいた。
 セットが出来上がり、稽古が始まった後も、不具合が無いかチェックするために美術スタッフは居残って秋月の指示を聞いていた。
 稽古中、治樹が橘を撮っている様子をずっと興味深そうに見ていたので目が合った。
「カメラに興味あるの?」
 休憩時間になって声を掛けると、青年は恥ずかしそうに笑った。
「…小中って…写真部だったから…」
「ふーん、高校では写真部じゃなかったの?」
「あ、高校には写真部が無くて…」
 困ったように俯いてしまう。
「そう、でも趣味で撮ったりすることはあるんでしょ?」
「はい、時々…だけど、僕が持ってるのはホントに安物のカメラだから…」
「値段は関係無いよ。使い慣れてるのが一番いいんだよ。持ってみる?」
 使っていない方のカメラを貸すと、大事そうに受け取って、こわごわとファインダーを覗いている。
「すごく軽いんですね…」
「新製品なんだ。プラスチックの部分が多いだろ?だからごっつい望遠レンズを付けても楽に持てるんだよ」
「やっぱりこういうのって、高いんですよね?」
「うん、モニターで使わせてもらってるから、借り物なんだけど、買ったら高いだろうね」
 テーブル席で演出家と打ち合わせをしていた橘が一段落したのか、ミネラルウォーターのペットボトルを持ってやってきた。
「盛り上がってるわねぇ」
 橘が親しげに近付いてきたので青年はサッと顔を赤らめた。
「僕が橘さんを撮っているの見ていたから、話し掛けたらカメラが好きだっていうんで、ね?」
 治樹がそう言うと、青年は困ったような顔で頷く。
「あ、はい…」
「そうなの、萱嶋君は『ショット』の名カメラマンなのよ」
「名なんて、からかわないでくださいよ」
 橘が調子に乗って大げさなことを言うので治樹は苦笑した。
「『ショット』って…あの写真週刊誌のですか?」
 それまで殆ど返答だけしかしなかった青年が小さな声で聞き返した。
「そうなのよぉ、だから本業はスクープカメラマンなのよね?」
「ええ、まあ…」
 言葉を濁すと、橘はケラケラ笑う。
「わたしなんかグラビアを撮ってもらったすぐ後に、望月さんと一緒にいるところをスクープされちゃって、もうたーいへんだったんだからぁ、ふふふ」
「…グラビア…あの年末年始号の『美女百景』ですか?」
「そうそう、見てくれたんだ?ありがとう」
 橘にお礼を言われて、青年は耳まで真っ赤になっている。
「でも『美女百景』って、金剛地賢太郎の連載ですよね…」
 橘は声を潜めて、
「あのね、大きな声じゃ言えないんだけど、撮影当日に金剛地先生が急病で入院しちゃったの。それでこの萱嶋君がピンチヒッターになってくれたのよ。その号まだ持ってたら見てよ。金剛地賢太郎監修ってちっちゃく載ってるから」
「…あ、そうだったんですか…気付かなかったです…」
「でしょ、それで、この萱嶋君に素敵な写真を撮ってもらえたから、今こうして無理を言って記録写真を撮って貰っているの」
 しばらくすると秋月に呼ばれ、青年は治樹と橘にお辞儀をしてカメラを返すと走って行ってしまった。

 青年は劇場入りしてからも秋月の下でスタッフとして働いていた。真吾とか、シンと呼ばれていたが、ちゃんと名前を聞いたことは無かった。それでも目が合ったり擦れ違うと、挨拶をしたり、二言三言話をすることもあった。
 おとなしくて一見とっつきにくそうな印象だったが、礼儀正しくて、とても罪を犯しそうなタイプには見えなかった。しかし、見た目では分からないという事件はいくらでもある。


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