The April fools 第十話

作:蒼馬要


 河本は履歴書を眺めている。
「この履歴書は、例の青年が秋月さんの所に面接に来た時に持ってきたものです」
 脅迫状と履歴書を机の上に並べている。
「脅迫状の文字は定規を当てて書いたような少し不自然な感じだが、履歴書の字と癖が似ていると思いませんか」
「なら、直接本人に聞けば…」
 治樹がそう聞くと、
「支配人がこの手紙を見つけたのは夕方で、彼が帰った後なんだ。連絡先に電話したが誰も出ない。電話局に問い合わせたら公衆電話の番号だった」
「ちゃんと確認しなかった私が軽率でした、済みません」
 秋月が頭を下げる。
「アパートで一人暮らしをしてるということだったので、家には電話を引いていないとは言っていたんですが、いつも向こうからかけてきていたもんですから…」
 勤務態度は真面目で遅刻をしたことも無く、一切問題は無かったという。
「住所も多分でたらめだと思います。他のスタッフにも聞いてみましたが、彼がどこに住んでいるのか誰も知らないようなんです」
「じゃあ、最初から犯行目的でスタッフになったんでしょうか?」
 支配人も苦りきった顔をしている。
「明日はゲネプロだ。外部のマスコミも大勢観に来る。他の役者やスタッフにも影響が出ては困る。だから警察を呼ぶわけにはいかないんだ」
「どうするんですか」
「私たちもただ腕を拱いて何もしていなかったわけじゃないですよ。河本さん、さっきの話をお願いします」
 支配人が声を掛けると、河本は席を立って部屋にいる全員に向けて話し始めた。
「彼はまだ私たちが脅迫状を書いたのが誰か分からないと思っている。ですから明日、彼は何食わぬ顔をして劇場に来るはずです。そこで彼をこの支配人室に呼び出します。怪しまれないように秋月さんの指示ということでいいでしょう」
「はい」
 秋月は頷く。
「そこで、支配人が脅迫状を書いたのかどうか確かめます。本人が認めて、それが遼子に危害を加えるような悪質なことを計画していたのだとしたら、警察に引き渡すことを検討しましょう。それでいいですね、支配人」
「はい、ただのいたずらであれば、事情を考慮して警察沙汰にしなくてもいいわけですからね。事件が未然に防げれば、我々としてもそれに越したことは無い」
 治樹もそれが一番穏便に済む方法かもしれないと思った。

 「萱嶋君、どうだった?」
 写真を河本社長に渡して外に出ると、望月が近付いてきた。
「支配人たちに任せましょう」
「でも僕たちも何かしないといけないんじゃないの?」
「何もしないでいいと思いますよ」
「ああ、じれったい、僕も聞いてこよう」
「望月さんっ」
 しばらくして憮然とした望月が出てきた。
「何もするなって頼まれた」
「でしょ」
 望月はとぼとぼと帰っていった。

 翌日の午前、治樹はカメラやフィルム、撮影機材を取りに出版社に寄り、劇場に向かった。橘の楽屋に行くと、衣装係と蓮見に手伝われて、仕上がったばかりの衣装を着ている最中だった。
「萱嶋君、見て見て、どお?」
「あ、きれいです」
 シャンパンゴールドカラーのクリスタルビーズやスパンコールがワンピース型の衣装にびっしりと縫い付けられ、さらに簾のように垂れ下がっている。
「ビーズの粒を一番小さなのにしてもらったんだけど、重いわあ…」
 橘が努めて明るく振舞っているのは河本社長からの指示なのだろうか。これから秘密裏に進められる捕り物について決して周囲に気取られてはいけないのだ。
「ゲネは一時からですよね」
「今日のマスコミ取材は五十嵐先生が一手に引き受けてくださっているの。支配人さんも今日は楽屋の方には外部の人間は入れないようにって計らってくださったわ」
 蓮見が答える。
 もっと慌しい現場を想像していたが、わりと落ち着いていたのはそのためだった。
「ゲネの前に軽く食事をしたいの。萱嶋君一緒にどう?」
「はい」
 劇場の地下階にあるレストランへ行こうと楽屋口を出ると、裏方のスタッフが数人入れ違いに入ってきた。
「遼子さんおはようございます」
 例の青年ではなかったが、橘は一瞬びくりと震えた。
「おはよう、今日もよろしくね」
「こちらこそ」
 行き過ぎてしばらくすると、橘は治樹を見て笑った。
「駄目ね、こんなんじゃ」

 橘はランチのドリアを半分ほど食べると、カレーを食べていた治樹にくれた。
「萱嶋君は煙草吸うんでしょ」
「ええ…」
 橘はかなり酒を飲むが煙草は全く吸わない。喉があまり強くないので健康管理に気を遣っているのだという話を前に蓮見から聞いたことがあったので、治樹も橘の前では吸わないようにしていた。しかし身体に匂いが染み付いているのだろう。
「身体のためには吸わないほうがいいわよ」
 アイスコーヒーを飲みながら、橘は昔世話になっていた知人が肺癌で死んだ時のことを話した。名前を聞くと治樹も知っている有名な小説家だった。末期癌と告知されて、治療中であるにもかかわらず煙草と酒はやめなかったそうだ。

 脅迫状を送りつけたと考えられている青年、真吾は楽屋入りすると、廊下のベンチに腰掛けて、コンビニで買ってきたパンをかじっていた。
「シン、秋月さんが探してたぜ。見つけたら事務室に来るようにってさ」
 大道具スタッフのチーフ中川が声を掛ける。
「…え、何だろう」
「さあ、達矢が急に休むことになってさ、フォーメーションに変更があるかも知れないから、そのことを言われるんじゃないかな」
「達矢さん、来ないんですか?」
 真吾は怪訝そうに聞き返す。
「まったく最近のバイトは無責任で…あ、お前はよくやってくれてるよ。それ食い終わってからでいいから、事務室に顔出してくれよ」
「はい、分かりました」
 真吾はベンチに座り直して、牛乳を飲んだ。

 ゲネプロの始まる一時間前、真吾は事務室に行った。支配人と舞台監督の秋月、河本社長は警備員を一人加えて、真吾を椅子に座らせると周りを囲んだ。
「君に聞きたいことは幾つもあるんだが…」
 支配人は厳しい口調で話し始めた。
「まず、履歴書のことだ。君は一体何者なんだ?」

 橘と治樹がレストランから戻ってくると、事務室のドアの外で望月が耳をくっ付けて中の様子を聞こうとしている。
「望月さん?」
「しぃー」
「いるの?」
 橘も声を殺す。
「ああ、入っていくところを見たから」
「望月さんは支度しないでいいんですか?」
 一応念のために聞いてみた。
「ご心配無く、十五分あれば間に合います」
 突然ドアが開いて、秋月が出てきた。
「望月さん」
「はい?」
「あっち行っててください。こんなところをうろうろされたら、他の役者やスタッフに怪しまれてしまいますから」
「何か分かったら教えてくださいよ」
「はいはい」
 望月は残念そうに退散する。秋月も真吾の取調べから抜けて舞台に行くようだった。

 橘と治樹が楽屋に入ろうとすると、スタッフの達矢が来た。
「遼子さん、おはようございます、どうぞよろしくお願いします」
「おはようございます」
 チーフの中川がやってきた。
「あれ、達矢、今日休みなんじゃ…」
「まさか。だって俺、今朝秋月さんから電話貰って、追加の機材があるからレンタル会社まで取りに行ってくれって頼まれて、トラックに積んで運んできたんですよ。ねえ、秋月さん」
「そうなんですか?」
 中川は訳が分からない様子で秋月を見る。
「ああ、そうそう。中ちゃんも達矢も、早く舞台裏に行くぞ」
「で、真吾は?事務室に行くよう言っときましたけど」
「むむ、ああ、真吾には急で悪いんだが別の仕事を頼んだんだ。最終ミーティングをするから来い」
「はあ…」
 不思議そうな顔をしている中川と、何も知らない達矢を秋月が慌てて連れて行く。
 橘の楽屋の前でのそれらの会話を、治樹はドキドキしながら聞いていた。
「支配人さんとうちの社長がちゃんとやってくれるわ」
 浴衣の合わせをぐっと開いてメイクを始めた橘は鏡越しに治樹を見てそう呟いた。
「そうでなきゃ、困る。わたしの大事な舞台なんだもの…」
 細くて白いうなじと華奢な背中、それと対照的に鏡越しに見える凛とした表情の強さに治樹はシャッターを切った。


第九話 第十一話