The April fools 第十三話
作:蒼馬要
翌日、定期券を発行した駅で真吾の家の住所が判明した。
真吾は親戚の家に下宿しながら都内の私立高校に通う高校一年生だった。真吾を預かっていた伯父夫婦は昨日の昼、学校の担任から電話をもらっていた。始業式を無断で休んだのだが、何か問題があるのかという問い合わせであった。真吾が事務室に確保された頃だ。
夏休みに入ってから行先も告げずに外出することが多くなり、深夜に帰宅したり、外泊することもあった。
二学期になっても不規則な生活習慣が抜けきらないのか、もしかしたら悪い遊び仲間に誘われているのではないかと心配し、帰宅したら厳しく問い質して、反省を促すつもりだった。
しかし連絡も無いまま昨晩真吾が帰ってこなかったので、心配した伯父夫妻は朝になって警察に捜索願いを出していたのだ。
伯父夫妻は真吾の遺体を確認してそれが甥であることを認め、実家に連絡した。家の者立会いの元、警官が真吾の部屋に入ると、壁中に橘のポスターやカレンダーが張られていた。本棚には新聞や雑誌の切り抜きをストックしたスクラップブック、橘の出演したドラマや映画のビデオテープも見つかった。屑入れからは脅迫文の書き損じと思われる紙が何枚か発見された。警察に呼ばれた支配人は、改めて脅迫状が届いていたことを説明し、脅迫状を証拠として提出することになった。便箋と封筒はもちろん脅迫状に使われていたのと同じものだった。
真吾は求人情報誌を読んで、以前からファンだった橘が主役を勤める舞台を担当する美術製作会社で、スタッフのバイト募集をしていることを知った。
連絡先などを偽ったのは応募規定が十八歳以上であったことと、バイトを禁止している厳しい校則の学校や親戚、親たちに内緒で働くためだった。初めのうちは夏休みの間だけ働くつもりだったが、真面目に仕事をしている態度が上司の中川に評価され、九月の公演中にも裏方の仕事をしてみないかと誘われた。今更本当は高校生なので学校に行かなければいけないとも打ち明ける事が出来ず、そのまま仕事を続けることになった。
脅迫状を書いた真相は分からなくなってしまったが、九月が近付いてきて、舞台と学校との板挟みとなり、真吾は相当悩んでいたと思われる。舞台が中止されれば…と衝動的に考えて書いたのではないかということに落ち着いた。
夜遅くに上京した両親が、検死を終えた真吾の遺体を引き取り帰っていった。
事故の記事は翌週の『ショット』に掲載された。しかし真吾が未成年であることから、際どい写真はどうしても自粛せざるを得なかった。一番乗りで現場に居合わせ、まだ息のある状態の写真が撮れたのに…と、治樹は内心とても悔しかった。
実家で執り行われた葬儀にも治樹は希望して取材に行った。
息子の突然の死を悲しむ家族、友人の訃報に涙する同級生たちの姿を何枚も撮ってはきたものの、それでは全くインパクトが無い。
地元でも親しい友人はあまりおらず、葬儀に参列したクラスメートだったという少年たちに話を聞くと、皆口を揃えて目立たないタイプだったと証言した。
「でも、真吾がそんな脅迫状なんか書いたりするとは、俺どうしても思えないんです…」
小、中と仲が良かったという、まだ小柄な詰襟の制服を着た同級生は他の少年たちが帰った後も真吾の不可解な行動について、週刊誌の記事などを読んだのか、怪訝そうな顔で記者に聞いていた。
「本当に、真吾が自分がやったって言ったんですか?」
「ああ、証言したそうだよ」
記者はメモを取りながらそう答える。
「でも、あいつ昔からずっと橘遼子のファンだったんですよ。あんなことをしたら嫌われるってことくらい分かってたはずです…」
熱狂的なファンの中には、自分勝手な思い込みで暴走し、異常な行動を取るという例もある。しかし真吾がそのような思考で橘を危険な目に遭わせるようなことをしたとは思えないというのだ。治樹も最後に振り返った真吾の笑顔を思い出すと、思い詰めたりはしても決して凶悪な性格だとは思えなかった。
「君、小、中って一緒だったそうだけど、部活も一緒の写真部だったの?」
大きなカメラを持った治樹に聞かれて、少年はこくりと頷く。
「あ、はい。俺たち中学の時、駅前の本屋で橘遼子のサイン会があるからって一緒に行ったんです。その時俺が撮った二人が一緒に写ってる写真、二枚焼き増ししてくれって言うんで、どうするのか聞いたら、一枚を橘遼子に送るんだって言ってました」
「君もじゃあ持ってるの?」
「家にあります」
「見せてくれるかな?」
プロカメラマンの言葉に少年は頬を上気させる。
「はい。でもうち、ちょっと遠いんですけど…」
後ろのガードレールに立てかけてあった自転車を曳いてきた。
「いいよ、行くよ」
「おい、治樹」
記者が小声で怒り、腕時計を指す。すぐに戻らないと記事が書けないという。
「俺、ちょっと気になることがあるんです」
治樹は撮り終えたフィルムを記者に渡した。
「用が済んだらすぐ帰りますから」
「…編集長には言い訳しといてやるから、手ぶらでは戻ってくるなよ」
「はいっ!」
少年の家の前で治樹は写真を見せてもらった。コンパクトカメラで撮ったものらしく、三年前の日付が付いている。橘と一緒に写っているのはまだ顔立ちに幼さの残る真吾で、サインをしているテーブル越しに、二人が身を寄せ合って写っている。河本社長はこの写真のことをすぐに思い出したというが、最近の真吾の顔を見てすぐにこの写真の少年と同一人物だと分かるものだろうか。
「この写真、貸してくれないかな」
「いいですよ」
少年はアルバムから写真を抜いた。
「二枚あるから、一枚あげます」
「ありがとう」
舞台『クレオパトラ』は、真吾の事故死のニュースによってさらに注目され、チケットは全公演完売し、毎日補助席の出る盛況ぶりだった。
河本から話を聞いたのであろうか、橘は治樹のことを非難した。
「あなたは倒れている人を目の前にしても、救急車を呼ぶ前に写真を撮る人なのね」
絶対に避けて通れない道なのだが、これがカメラマンと普通の人との意識の違いなのだ。
カメラマンにだって人間性はある。一刻一秒を争う病人や負傷者がいれば助けることを優先するだろう。しかしその前にいい写真を一枚でも撮りたいのだ。いい写真を撮らなければプロのカメラマンとは名乗れない。その一点が普通の人と違うだけで、非常識だとか、最悪人間のクズ呼ばわりされることもある。橘の言い方は、極力気持ちを抑えてはいるけれども、ヒシヒシと治樹の行動を責めていた。
橘は真吾の葬儀に弔電と献花を送り、公演後に改めて弔問に伺うことを遺族に申し出た。
表向きは不慮の事故死ではあるが、あの日事務室で自分が真吾を責めて追い詰めてしまったのではないかという後ろめたさがあった。警備員がしっかり見張っていれば死ぬことはなかったのにと他者のせいにも出来たが、真吾は昔から橘のファンだったのだ。過剰な行為ではあったかも知れないが、自分のせいであのような脅迫文を書いたのだとしたら、そこまでしてしまった真吾の気持ちを、もっと理解してやるべきだったのではないかと悔やまれた。
公演中、舞台の上でふと視界の端に上手や下手の袖が入ると、その暗い中から真吾がこちらをじっと見詰めているような気がして、橘は慌てて目を逸らし芝居に逃げた。
「遼子ちゃん、今日も台詞飛ばしてたでしょ」
「え…?」
望月と一緒に遅い夕食を劇場の近くの割烹で取っているとそう言われた。
「…そうでしたっけ…」
台詞が飛んだこと自体、橘は覚えていなかった。望月のフォローがあり、観客にもほとんど気づかれてはいなかったのだが。
「ごめんなさい」
橘が頭を下げると、望月は微笑んだ。
「疲れてるんじゃない?色々あったから」
望月のような鷹揚な性格の者にそう慰められると、橘は気持ちが緩んで涙がこみ上げてしまう。
「望月さん…」