The April fools 第十四話
作:蒼馬要
店を出てタクシーを拾おうと大通りに出ると、スーッと二人の前に大きな車が止まった。
「望月さん、橘さん」
後部のウィンドーが開き、顔を出したのは今日舞台を観に来ていた槙原という男だった。河本の知り合いで、通信機器の製造販売をしている会社を経営している。
「槙原さん」
「さっきまで河本さんと飲んでいたんですよ」
まだマスコミには発表していないが、槙原の会社の最新衛星を使ったカーナビの新製品CMに橘が出演するという話が進行中だった。
「家まで送りしましょうか?」
この時間帯、この辺りではタクシーはまずつかまらない。
「どうする?遼子ちゃん」
望月は未練ぽく橘の顔を覗きこんだ。二人だけでもう一軒ほど飲みに行きたいという下心があった。
「駅前まで行けばタクシー拾えますから。ね、望月さん」
「う、うん」
橘はお辞儀すると歩き始めた。望月も橘の後を追う。
「じゃあ、駅までお送りしますよ」
槙原は車から出てきた。橘は振り返って槙原を見た。
二人は槙原の車に乗って駅に向かった。
「私は舞台というと、これまではオペラと歌舞伎しか観たことがありませんでしたが…」
バーカウンターの付いたシートに腰を沈めて、槙原は酔い覚ましに炭酸入りのミネラルウォーターを飲みながら気取って話を続ける。
「今回初めてお二人の舞台を拝見して、同じくらいに感動しましたよ」
「ありがとうございます。そういう言葉が舞台に立つ者には一番嬉しいですよ」
橘か無口な分、望月はニコニコと愛想良く笑って話し相手になっていた。
「最近ではどんなものをご覧になったんです?」
「そうですね、先月の国立劇場で観た『勧進帳』は久々に堪能しました」
「槙原さんは成田屋がご贔屓ですか?」
「ははは、『勧進帳』というと、普通は弁慶役を一番に見てしまいがちですがね、私は少し違うんですよ」
槙原は望月の質問に切り返してきた。
「ほう」
「弁慶役に幾ら華があっても、富樫役に肚が無いと台無しです。その点で高麗屋の富樫は派手さこそ成田屋には劣りますが、弁慶をしっかりと受け止める器があります。経営者の仕事というのは、荒事のように見えて実際には実事のようなコツコツとした積み重ねの繰り返しなんです。私が歌舞伎から学ぶことがあるとすれば…」
望月は笑いながら槙原の話を聞いていたが、内心彼の態度の薄っぺらさに胸がムカムカしていた。訳知り顔で歌舞伎の話をしてはいるが、多分経営セミナーかどこかで聞いた話をそのまま喋っているに過ぎないといった体なのは見え見えだ。歌舞伎自体にも大して興味がある風でもなく、単に自分のステータスを高めるためのアクセサリーのように観ているといった感じなのはすぐに分かる。
「そうですか、高麗屋が贔屓なのでしたら、ミュージカルもご覧になったら如何ですか?」
「は?」
槙原はぽかんとしている。
「来月から帝劇で彼主演のミュージカルがありますから。『ラ・マンチャの男』ですよ、ご存知でしょう?」
「ああ、そうですか…来月でしたか…秘書にスケジュールを空けてもらわないといけません」
歌舞伎役者は歌舞伎しかやらないと思っている程度なのだ。饒舌な槙原が急に無口になって、車内は気まずい沈黙に包まれた。
客待ちをしている空のタクシーを見つけたので、望月は礼を言って車を降りた。
「じゃ、遼子ちゃん、お先ね、また明日。槙原さん、また舞台を観に来てください」
タイミング良く言い負かして少しは胸が清々した望月は橘にウィンクして帰っていった。
「おやすみなさい」
望月を見送ると、槙原はグッと橘に身を寄せた。いつもそばに付いている女性マネージャーも今夜は見当たらないので、大胆に迫ってきた。
「家まで送りましょう。いや、是非送らせてください」
橘はやや眉間に皴を寄せて槙原を見たが、全く退く気の無さそうな強引さにため息を付いて少し微笑んだ。
「ええ、お願いします」
「そうこなくちゃ」
「家には蓮見がおりますけど」
槙原は橘が蓮見と同居していると知り、少し残念そうな表情になった。
九月の末、舞台『クレオパトラ』は千穐楽を迎えた。
カーテンコールで演出家の五十嵐から大きな花束を貰い、微笑みながら涙を浮かべている橘を最後尾の通路から望遠で撮っていると、肩を叩かれた。
振り返ると河本が立っていた。
「お疲れ様」
大変だったが、いよいよ最後かと思うと、ホッとするのと同時に寂しさも感じていた。
焼肉屋での打ち上げと、スナックでの二次会が済んで、治樹は店を出た。
「萱嶋くーん」
河本とタクシーに乗り込もうとしていた橘が、治樹の姿を見つけて声を掛けた。
「もう一軒飲みに行くんだけど、付き合いなさいよ」
「…はい」
六本木の少し裏道に入った地下の店に行き、ここでは三人だけで写真集撮影終了の打ち上げ祝いとなった。蓮見は酒がまったく飲めないので、一次会には顔を出していたが途中で退席し、事務所に寄って先にマンションに帰ってしまったそうだ。
「乾杯」
各自好きな飲み物を頼むと、去年からの思い出話が始まった。
明日からドラマの撮影があるということで、橘は先に席を立った。
「また一緒に仕事しましょうね、約束よ」
橘は治樹に抱きついて、頬にキスをした。治樹は照れて目のやり場に困り、河本を見た。河本は我関せずといった態度で水割りを飲み、ふっとため息をついている。
「おやすみなさい」
橘が店を出ると、河本は治樹の方に身を乗り出した。
「早速だけど、来週から写真集の編集会議があるから、萱嶋君も参加してください」
「はい、もちろん」
自分の名前が載る、初めての写真集だ。
「君に任せることが決まってから随分横槍も入ったけれど、結果的に私は間違っていなかったと確信しています」
「横槍?」
橘はモデル時代からずっと金剛地に写真を撮ってもらっていたそうだ。それは河本が金剛地に頼んでやってもらっていたことで、一流のカメラマンが撮った作品に関して、不満は無かったというが、女優としてさらにステップアップするためには、新しい表現者の才能が必要だと考えていた。無名のカメラマン治樹に舞台写真を撮らせることを、橘の希望もあったがほぼ独断で決めた後、金剛地の方からも真っ先にクレームが来たという。
「遼子の今後の仕事にも関わってくるとも脅されもしたが、その時が来たらまた考えればいい。続けて君に依頼するかも知れないし、また新たな人材を探すことになるかもしれない…」
こんな強気な河本の態度に反感を感じている者も決して少なくないのだろう。
「河本さんは、間違っていないとおっしゃいますが、河本さんのしていることは、橘さんが望んでいることなんでしょうか」
酒が入っているせいか、治樹はついそう聞いてしまった。言ってからしまったと思った。
「遼子が君に何か言ったの?」
「…いえ、橘さんは何も…」
「ならその質問に対する答えはイエスだよ。遼子のことは私が一番分かっているつもりだ。私は遼子を一流の女優として芸能界で成功させたいんだ」