The April fools 第十七話

作:蒼馬要


 橘にプロポーズした相手は程無くして判明した。あの望月が薄っぺらいと毛嫌いしていた槙原である。槙原の会社のイメージキャラクターとしてCMに出演することになり、急速に親しくなっての今回のプロポーズとスピード婚約だった。

「遼子ちゃーん」
 テレビ局で久しぶりに橘と再会した望月は駄々っ子のように口をへの字に曲げて不満の気持ちを示している。
「遼子ちゃん、これは一体どういうことよ?」
「どういうことって?」
「俺絶対に認めないからね、ホントにどういう了見なのよ?」
「このこと?」
 橘は左の薬指に付けた、大きなダイヤの付いたリングを見せて笑った。
「君はダイヤモンドに目が眩んだのだな」
 以前演じたことのある『金色夜叉』の貫一を真似ておどけてはみたものの、橘が槙原のような男と本気で結婚しようとしているのだと思うと望月は情けなくなった。しかし橘に限って詰まらぬ打算などで動く筈はないとも信じたかったので、自分には分からないあの男の良さのようなものに橘は惹かれたのだろうと思うことにした。そう思わなければやりきれない。
「…おめでとう…」
 ため息混じりに望月は祝福の言葉を述べた。
「ありがとう、望月さん」
 望月は頭の中で『金色夜叉』のあらすじを辿っていた。お宮は貫一を洋行させるために資産家の富山に嫁ごうと決心するのだ。橘にとっての貫一とは…
「ねえ、遼子ちゃん、君もしかして河本さんのために…」
 望月がそこまで言いかけると、橘はキッと表情を硬くした。
「違うわ」
 その目の真剣さに望月は圧倒された。やはり勘繰り過ぎてしまったようだ。
「…おめでとう、遼子ちゃん、お幸せに」
「披露宴には御招待しますね」
「あのねぇ、どんな顔をして出席すればいいのよ?」
「うふふふ」
 こうして笑っている橘は幸せそうに見える。

 橘の婚約発表会見は十一月の上旬、写真展の最終日に当たったため、治樹は取材から外された。
 午後のワイドショーなどでは各局こぞって中継画像を放送していて、治樹はスタッフルームに置かれた小さなテレビでその様子を見ていた。
「この槙原っていう人、ロビーに飾ってある、あの大きな胡蝶蘭を贈ってきた社長さんでしょ?」
 会場スタッフの女の子たちが小声で話している。
「ここには一度も来ていなかったわよね」
「だってもう前からお付き合いしてたんでしょ?わざわざ見に来なくたって…」
「そっか、直接会ってたんだ…」
 治樹も望月同様、複雑な気持ちだった。自分と橘の間に、特別何があったというわけではない。しかし半年以上橘の写真を撮り続けていた。どんなに些細な変化にも誰よりも早く気付いてシャッターを切っていたはずなのに、橘の考えていることは結局何も分からなかったのだ。
 このモヤモヤとしたもどかしい気持ちが恋心なのかと自問しても、まさかという答えしか出なかった。治樹には千春というれっきとした恋人がいるのだ。

 千春との約束をすっぽかしてしまった翌朝、千春から電話があった。
 仕事で帰りが遅くなることは以前からよくあったので、千春もさして怒ってはいない様子だった。それでも治樹は電話口で繰り返し謝り、写真展が終わって落ち着いたら、ちゃんと会って埋め合わせがしたいと申し出た。
「無理しなくてもいいのよう、嬉しいけど…」
 橘が言っていたような、車の後部座席一杯にバラの花…とまではいかないが、印象的なプロポーズをしようと決心していた。

 昼食を取りに外へ出た帰り、宝飾店に寄った。
「御婚約指輪をお探しですか?」
 ショーケースの中の指輪を見ていると、愛想のよい店員が声を掛けてきた。
「え、ええ…どんなのがあるのかなあと…」
 人気の品などを幾つか勧められたが、まだ本気で買う様子には見えなかったようで、他の客が来ると、
「ごゆっくりご覧下さい」
 と言ってそっちの方に行ってしまった。
「給料の三か月分とか言うけど…」
 橘が貰った指輪は公表こそされなかったが一千万ともそれ以上とも推測されていた。

 最終日は早目に会場を閉めて撤収の作業に入る。運送業者が搬出を始めた九時頃、河本社長がやってきた。パネルなどは橘の事務所で保管することになっていたので、その様子を見に来たのだ。
「十時には終わる予定です」
「そう、じゃあ一緒に食事でもどうです?遼子抜きだけど」
 河本に誘われるのは初めてだった。

 河本は治樹を連れて会場から歩いてすぐ近くの高級寿司店に行った。
「何でも好きなものを頼んでください」
 そう言われても、壁にはお品書きも無く、全てが時価らしく、何から頼んでいいのか分からず身が竦んだ。
「特に苦手なものが無ければ大将にお任せしますか?」
「ええ、その方が僕も助かります」
 正直に答えると、河本は愉快そうに笑った。
「ははは、じゃあ大将、お願いします」
 備前焼の大きな皿の上に瑞々しい葉蘭が敷かれ、その上に手際よく二貫ずつ小振りの握りが載っていく。
 軽く炭火であぶった松茸と昆布締めの鯛を重ねて握った寿司を塩と酢橘で食べ、河本は冷酒を飲んでいる。治樹は車で来ていたのでお茶を飲んでいた。
「橘さんの婚約、随分急で驚きました」
 治樹がそう言うと、河本はクスクスと笑った。
「私もだよ。先月末に突然聞かされた。まあ、遼子らしいとも言えるけどね」
 あの晩、治樹が六本木の店に行く前に橘は社長と一緒だったという。その時に話したのだろうか。
「橘さんに彼を紹介したのは河本さんだそうですね」
 記者会見で槙原がそう言っていた。
「ああ、学生時代からの知り合いなんだ。私は勉強もせずに遊んでいたけれど、彼は在学中から会社を興してバリバリ働いていたよ」
 食事を終え、二人は同じビルの上の階にあるバーに行った。
「写真展の初日に金剛地先生がいらっしゃったの、ご存知ですか?」
「ああ、芳名帳に名前があったね」
「会場内を案内させてもらっている時に先生から聞いたんですが、最近株や不動産に投資をしているそうですね。写真集の撮影を金剛地先生から僕に替えたのは…」
「金剛地先生からどう言われたのか知らないが、私は君の才能を買って選んだつもりですよ。遼子だってそう思っている」
 河本から面と向かってはっきり正論を言われると、さすがに圧倒されてしまうが、金剛地が言っていたように、やはり版権でも金銭面でも河本が優位に立てることに違いは無い。
「萱嶋君は撮影者として著作権がある。写真集の売り上げに相応して印税だって入ってくるんだ。それに何か不満でもあるのかね?」
「いえ、そういうことではなくて…」
 治樹は橘が単に河本の金儲けの手段になっているような気がしてならなかった。橘の女優としての演技力やルックスといった実力や才能だけでなく、本来ならば悪い印象にもなりかねないスキャンダルやゴシップまでも利用して、無理やりに人気を盛り立てているのではないかと。
 今回の槙原との電撃的な婚約発表もそうだ。橘本人が婚約したことを心から嬉しいとは感じていないように思えるのだ。話題作りの一環だけで軽々しく婚約したり結婚したり、そんなことを続けていて、果たしていいのだろうかという思いが胸の内に沸々と湧いていた。
「…橘さんからプロポーズされたと打ち明けられた時に、僕は彼女がちっとも嬉しそうには見えなかった。店に僕を呼んどいてそのまま酔い潰れてしまったんです…」
「私には槙原と婚約したからと嬉しそうに話してくれたけど」
 自分に見せる顔と河本に見せる顔は違うということなのか…どっちが本心なのだろう。

 「プロポーズなんて、一世一代のことじゃないか…結婚するって決めるんだから…」
 帰りの車の中で、ハンドルを握る手に力が入った。


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