The April fools 第十八話
作:蒼馬要
橘が言っていたような、車の後部座席一杯にバラの花ということは無理だったが、次の休日に治樹は千春の好きなカサブランカの大きな花束を買ってドライブに出掛けた。上着のポケットには銀座の宝飾店で買った指輪が入っていた。
「わあ、きれいなお花。どうしたの?」
「うーん…」
どうしたのと聞かれても答えようがなく、治樹はサングラスをかけてキーを回した。
「今日は旨いもん食ってゆっくりしよう」
「うん」
横浜で一日過ごし、夕方山下公園で治樹は千春に指輪を渡した。
「今の仕事を続けていると、これまでみたいに約束が守れないこともあるだろうけど…千春とはこれからもずっと一緒にいたいと思ってる…すぐじゃなくていいんだ。でも…俺、ゆくゆくは千春との結婚を考えてる…」
そう最後まで言い切ろうと思っていた。しかし“千春とはこれからもずっと一緒にいたい”と言いかけた時、胸ポケットの中のポケベルが鳴った。編集部からだ。治樹はスイッチを切った。
「電話、掛けなくていいの?」
「ああ、後で掛けるからいいんだ…」
気勢をそがれてしまった。いつものように公衆電話を探しに走った方がどれだけ楽だったか。
「千春」
「うん?」
「俺たち、結婚しよう!」
指輪も押し付けるように渡してしまった。
「え…これ…」
すぐでなくてもいいという部分を飛ばして、単刀直入にプロポーズをしてしまった。千春は戸惑いの表情を見せる。
「ねえ、今すぐ返事しなきゃ駄目?」
「い、いや、そんなこと無い」
治樹はブンブン首を振った。
「俺の中でのけじめみたいなもんだから…」
千春はフッとため息を吐いた。
「じゃあ、少し考えさせて…」
「分かった…」
橘のように即OKとはならないものなのだなあと、少し憮然としてしまった。
「車に戻ってて、俺電話してくるから」
「すぐ戻るの?」
「いや、今日は休ませてもらうよ」
編集部に電話を掛けると、都内にいた他のカメラマンが現場に向かってくれていた。
千春はその日、家の前で別れるまで、ずっと神妙な様子だった。やはりいきなりプロポーズをしたのがショックだったのだろうか。
家に帰っても気持ちが昂ぶっていたのか、ビールを飲んでも寝付けず、溜まっていた未整理の写真を整理することにした。
撮影日を記録した手帳と照らし合わせながらファイルを作っていると、手帳から一枚写真が落ちた。真吾の葬儀の取材に行った際に、友人の少年に貰った橘と真吾が一緒に写っている写真だ。真吾の顔写真は既に編集部の方にあったため、昔の写真一枚くらいでは結局収穫にもならず、遅れて帰った治樹は自腹で帰りの切符代を払う羽目になった。
「あれ…」
二人の後ろに河本がいつも持っているステッキが写り込んでいる。
「河本社長も付いて行ってたんだ」
三年前というと、橘がモデルから女優に転向して二年、初主演ドラマがヒットした頃だ。橘を売り込むために今よりもずっと親身になって精力的に行動を共にしていたのだろう。
『ショット』の仕事が元に戻り、その日は現場帰りで宿直当番だった。カメラの手入れをしているとデスクの電話が鳴った。
「はい、『ショット』編集部です」
淹れたてのコーヒーを飲みながら電話に出ると、受話器から御厨の声が聞こえた。
「治樹か?」
「はい、お疲れ様です」
「今、六本木で張り込みかけてるんだが、応援に来れないか?」
「今夜宿直のカメラマン僕一人なんですよ。ポケベルで招集しましょうか」
「お前が来てくれるのが一番都合がいいんだけどな…橘絡みなんだ」
「…橘さんですか」
「ああ」
御厨はここしばらくの間、今年社会人野球からプロ入りしてプライベート面でもかなり派手に遊ぶようになったある野球選手を追いかけていたそうなのだが、その選手が今夜橘と一緒に食事をした後、タクシーに同乗して六本木のバーに入って行ったのを確認したのだという。
「橘は今婚約中なんだろ?」
二人がそのままホテルかどちらかのマンションにでも行けばスクープは間違いない。
「御厨さん…」
「俺は橘の婚約がどうなろうと関係ないけど…」
治樹は辺りを見回した。
「行ってこい」
瀬田編集長が電話のやり取りを聞いていたのか、デスクに背を向けて座ったまま手を振っている。
「編集長」
治樹はカメラとバッグを掴むと外に飛び出した。
「御厨さん」
「来たな」
御厨は煙草を吹かしている。
「一足違いだった。ついさっき橘だけ先に一人で帰ってったよ」
「そうですか…」
橘は河本社長の車で帰り、入れ替わりに河本が店に入っていったのだという。
「あ」
御厨は吸っていた煙草を揉み消しエンジンを掛けた。店からターゲットの野球選手広川が出てきた。橘と一緒に居る写真は既に何枚か撮ったそうで、決定打には欠けるが密会デート程度のタイトルでなら掲載出来るらしい。
「俺は念のためにこのまま奴さんの後を追うけど、お前はどうする?」
治樹は河本と話がしたかったので御厨の車を降り、店に入った。
河本社長は一人でカウンターに座って飲んでいたが、治樹が店に入るとパッとこちらを見た。
「やあ、萱嶋君」
「こんばんは」
「仕事の途中ですか?」
河本は治樹の持っているカメラをちらりと見た。
「ええ…うちの同僚が橘さんとさっきまでこの店に居た広川選手を追っかけていまして…僕は援軍で呼ばれたんです」
「そう…遼子は先に家に帰ったよ。ドラマの収録で朝が早いんだ」
「そのようですね」
治樹が突っ立っていると、河本は隣の席を叩いて座るよう勧めた。
「前から聞いてみたかったんだが、君は今の仕事に満足しているのかね?」
席に腰掛けると、河本は治樹の顔を見ながら聞いてきた。
「はい、遣り甲斐があります」
「遣り甲斐ね…遼子は君のことが好きだったようだが、君が写真週刊誌のスクープカメラマンをしていることに関しては嫌だったらしい」
真吾が車に撥ねられて倒れている様子を写真に撮った事を言っているのだろうか。
「僕はカメラマンですから、写真を撮ることが最優先なんです」
「私もそういう態度はいい心掛けだと思うよ。そうやって自身に義務をインポーズすることは大事だ。飲まないの?」
「また社に戻らないと。外に車が止めてあるんです」
マスターはジンジャーエールを出してくれる。
「僕も河本社長に聞きたいことがあったんです」
「何だね?」
「社長、あなたは真吾君が脅迫状を書いていたことを、支配人よりも早くから知っていたんじゃありませんか?というか、真吾君がスタッフになっていたことを随分前から知っていたのではないですか?」
社長はじっと治樹の顔を見ていたが、軽く鼻で笑った。
「ええ、知っていました。あの子が黙っててくれと言ったんですよ。だから黙っていた」
河本社長が真吾を初めて見掛けたのは稽古場でだった。
「前にも言ったかも知れないが、私は一度見た顔は忘れないんです。あの子がスタッフとして参加しているのを見て、以前に見たことのある顔だなとすぐに気付きました」
「そうですか…」
「彼は夏休みの間だけの内緒のバイトと考えていたらしいが、仕事熱心な態度が気に入られてああいうことになった」
「あの脅迫状は、社長が書くように勧めたんですか?」
「まさか…劇場で完成したステージを見せてもらっていた時、舞台裏であの子を見掛けたんですよ。来週から新学期なんだろうと聞いたら、相当困っているようだったから…」
真吾は他のスタッフが居ないと分かると、河本社長にどうしたらいいか尋ねてきたのだという。今更自分から辞めたいとは言えないという。
「どう言ったんです?」
「ゲネプロの時に、君がちょっとした事故かトラブルを起こせば、スタッフから外されるんじゃないかとは言いました。私が言ったのはそれだけです。なのにあんな脅迫状まで書いてしまって…騒ぎが大きくなってしまった」