The April fools 第二十二話

作:蒼馬要


 大阪の花博取材から帰ってきて二ヶ月程の間、関東近郊を中心とした仕事が続いた。
「治樹、後藤と取材、一件行ってくれ」
「はい」
 橘は婚約中であるにも関わらず、程無くしてまた新しい恋人が出来た。相手は舞台で共演する倉田誠也である。前にドラマで恋人役で共演していたこともあり、今回稽古が始まり一緒に居る時間が増えたため、まことしやかにその関係が噂されるようになった。
 倉田にもアイドル時代から長く交際している女性歌手がいて、お互いに婚約解消?破局の危機!と週刊誌やスポーツ紙などを賑わせていた。
「公開舞台稽古の後に橘の取材ね」
 舞台の話題以外は聞かないという制約はあるにしろ、橘は治樹が同行すれば知り合いのよしみで、立ち入った近況も語ってくれるのではないかとの編集長の狙いだった。
 知り合いも何も、酔った弾みとはいえ、一度関係を持ってしまった橘に会うのは、正直大変気まずかった。

 舞台は大正か昭和初期の日本。橘演じる帝都劇団の看板女優、村井紫玉は夏の旱魃に喘ぐ公演先の石川県金沢市にある兼六園で奇怪な琵琶法師と巡り合い、雨乞いをするように勧められる。法師の言葉を信じ、パトロンの男爵から貴重な白拍子の装束一式を借り受けた紫玉は勇んで設えた法壇の上に登り儀式を行うが、一向に雨の降る気配は無く、嘲笑と汚辱に貶められる。紫玉は悔しさから発作的に大池に身を投げてしまう。法師は白山の姫神の眷属で、姫神が雨を降らせるために稚児の姿となって里に下りて来た際、紫玉がその稚児に取った態度や、女優としての人気に嫉妬したために起こした怪異であった。姫神は紫玉の前にその神々しい姿を現し、大雨を降らせると法師とともに白山へと帰っていく。
 タイトルの『伯爵の釵』は紫玉に鸚鵡の細工を施したプラチナの釵を贈った若い伯爵に由来し、この釵が紫玉を翻弄し、物語を膨らませている。
 倉田誠也は美青年の伯爵と醜い琵琶法師の二役を演じ、演出家の加茂は自分の劇団でも女形を演じているが、この舞台でも姫神と、好色なパトロンの男爵二役を演じる。
 演出家が違うと稽古場の雰囲気がこうも変わるものかと治樹は感心した。『クレオパトラ』の時と違い、殆どの役者が浴衣姿で、所作なども極めて和風であり、役作りも演出の加茂とじっくりと話し合いながら作り上げている。

 「この場面で紫玉は徐々に法師に心惹かれ始めているのですから、恐ろしいと感じながらも目を離せなくなっているんです」
「怖いけれど、離れがたい…」
 まだ台本を片手に持ったままの橘は、首からさげているボールペンで台本に書き込みをしながら加茂の話を聞いている。
「ええ、それが次第に恍惚感へと繋がっていくわけです…」
「先生、僕はもっと紫玉に縋り付くような感じでもいいんですか?」
 負けじと倉田も加茂に話しかける。
「むしろ嫌がっているのを楽しんでいるくらいの風情でもいいですよ」
 和気藹々と話しながらも、演技には熱が入ってくる。
 撮影許可が無かったのでカメラのレンズにはキャップをしたままだったが、橘始め役者たちがいい表情を見せる度に、治樹は無意識に右手人差し指をピクピクと動かしていた。
「じゃあ橘さんは休憩時間の後、各社の取材に入ります」
 取材の順番が回ってくるまで、『ショット』の記事に使える可能性は低かったが、治樹は許可を貰って他の役者が稽古をしている様子を撮らせてもらった。
「萱嶋さんは、以前遼子さんの写真集を撮られた方なんですよね」
「はい」
 演出家の加茂とも少し話をすることが出来た。加茂は去年橘の舞台を観に来ていたそうだ。
「加茂先生はユニークな演出をされますね」
「五十嵐先生とは全然違うでしょ?」
 加茂は優しそうな表情で頷く。
「ええ、五十嵐さんは頭の中に完成しているものに役者を嵌め込むような感じでした。嵌め込むって言うと、押し付けてる感じで少し語弊があるんですが、五十嵐さんのビジョン通りにすると、確かに素晴らしい役が出来上がるんです」
 舞台の演出を生で見たのは五十嵐のものが初めてで唯一だったが、いかにものやり方で、どこも大体同じようなやり方なのだろうと思っていたが、加茂の演出方法は随分と異なっていたので治樹も興味を持った。
「僕もそういう演出に憧れているというのが正直なところですね。でも、それだけじゃ詰まらないと思うんですよ。色んな役者が集まるというのは、その数だけ多彩な感性が集まるってことですよね。僕一人の感性では思いも寄らない発見も出来る。その方が絶対面白いものが出来る。それで話し合いという現在のような作り方をしているんです」
「なるほど」
 演出家なんて皆ワンマンで威張り散らしてるって感じだと思っていたけれど、このような人がいるのか。
「一応僕も演出を任されているので、経験の浅い役者にはリードして本人も気付かない魅力を引き出す感じ。ベテランの役者にはイメージを大事にしつつも、そのイメージをどこまで壊せるかという期待をしながら仕事をしています」
 落ち着いた口調と穏やかな物腰の加茂は、プロフィールに載っていた年齢では、治樹より三、四歳年上でまだ三十前だ。
「遼子さんも今回自分の型から飛び出そうと意欲的ですよ」
「自分の型?」
「橘さんほどの方は世間のイメージが固定化していますよね。そのイメージを護るために、あれは駄目これも出来ないと、様々な制約があったらどうしようかと心配していたんです。ところが顔合わせの時から橘さんはまず何でも試してみたいと申し出てくれて、稽古が始まってからも、毎回あれこれとパターンを考えてきてくれるんです」
 加茂がしきりと橘を誉める様子を聞いていて、治樹は感じるものがあった。

 「治樹、そろそろ橘さんの取材だから支度しといて」
 後藤記者に呼ばれたので、治樹は加茂にお辞儀をして稽古場を出ると、ロビーの一角に用意されたインタビュー用の場所に向かった。
「…後藤さん、僕の勘なんですけど…」
「何?」
 治樹は声を潜めた。
「演出家の加茂先生と橘さん…ちょっと気になるんですけど…」
「え、倉田誠也とじゃなくて?」
 後藤は興味深そうに話に乗ってくる。
「なるほど…倉田とはカモフラージュってこともあるな…でも、何で気付いたの?」
 それは聞かれても返答しようがなかった。
 橘に言い寄ってくる男は沢山いるだろう。財力や地位、外見の魅力などで自分をアピールしてくる男に対して、橘にはかなり免疫があるだろう。男のそのような虚飾は橘にとって全く魅力とならないのだ。
 しかし、橘は直向きな男に惹かれる傾向がある。
 加茂の演劇に対する真摯な態度に新鮮な魅力を感じ、橘が急速に惹かれているのではないか。治樹はそう直感したのだ。
「面白そうだな、少し探りながら取材してみよう…」

 「週刊『ショット』の後藤です」
 ロビーで待っていた橘に、後藤は名刺を差し出して挨拶をした。治樹も名刺を出そうとすると、
「萱嶋君、お久しぶり」
「あ、はい、お久しぶりです」
 橘はにっこり笑って治樹の名刺は要らないからという様子で頷いた。
「では早速お話を伺います。今回の舞台は…」
 橘の座っているソファーの脇には大きな植木鉢が置かれている。こういった場所によくあるような観葉植物と違い、赤紫色の小振りの丸い花が沢山咲いていて、甘い芳香を漂わせている。治樹は寄りの写真の他に、花が上手く写り込むようにアングルを考えながら写真を撮った。
「この薔薇、紫玉という名前なんですよ」
 インタビューも終盤に差し掛かった頃、橘がそう話した。
「紫玉というと、橘さんが演じられる女優の役名と一緒なんですね」
「ええ、薔薇に詳しいファンの方から贈っていただいたの」
 大きくて華麗な薔薇よりも、この位の可憐でほのかに甘く香る薔薇の方が橘には似合っていると思った。


第二十一話 第二十三話