The April fools 第二十三話

作:蒼馬要


 取材を終えて、治樹はそのまま橘の張り込みを任された。
 稽古場のあるビルの前の道路に車を止め、橘が出てくるのを待っていた。
 殆どの役者とスタッフが帰った後、橘と加茂が一緒に出てきた。親密に話をしながら駅前の繁華街に歩いていく二人の後を見失わないように、付かず離れず少しずつ車を走らせて追うと、細い路地の奥の小さな居酒屋に入っていった。
「一度編集部に電話しとくか…」
 シャッターの閉まった店の前に車を止めて、公衆電話で編集部に居る場所を報告し、缶コーヒーを買って車に戻った。ラジオをつけると学生時代によく聞いていた曲が流れてきた。

 今日も何気なく 日暮れてしまいそう
 いつもと違うのは 胸の焼ける思い…

 YMO、イエロー・マジック・オーケストラのアルバム『浮気なぼくら』に入っていた『FOCUS』という曲だ。タイトルそのままに写真週刊誌の先駆け『フォーカス』をイメージして作られた曲だという。

 いきなり街角に 渦巻くジェラシー
 忘れもしない顔 連れ添う影はシークレット…

You’ll be burning with the new love tonight.
And I’ll be burning old pictures of my in mind…

 アルバム発売当時は、『君に胸キュン』や『LOTUS LOVE』といった甘い感じの曲の方が好きで、テープにダビングして千春と一緒にウォークマンで聞いていた。
 カメラマンになる勉強はしていたが、まだ進路のことなんて考えてもいなくて、まさか自分が写真週刊誌のカメラマンになるなんて思いもしなかった。
 改めて聞き返してみると、現在の心境にダブっているような気がして胸が切なくなった。
 橘が加茂と親しくしているのではないかと疑い、その関係をこれから暴こうとしている自分は、二人に嫉妬をしているのだろうか…
「まさか…」
 友達でも、ましてや恋人でもない、ただの知り合いなだけなのに…

 三時間くらい張り込み続けていると、店の暖簾と看板が店内にしまわれてしまった。慌てて腕時計を見る。
「閉店?もう出たのか…」
 裏口から帰ってしまったのだろうか。
「あ…出てきた…」
 橘と加茂が店から出てきた。橘は足元がフラフラしている。結構飲んでいるのだろう。ずっと二人きりで今回の芝居について話し込んでいたのだろうか。終電はもう出てしまった。タクシーを拾うのなら先回りした方がいいな…
 駅前のタクシー乗り場でタクシーが来るのを待っている二人を、治樹は対向車線に止めた車の中から眺めていた。
「あ…」
 二人は唐突にキスを始めた。あまりに急なことで、治樹は身動きも出来ずただぼんやりとその様子を見ていたが、その直後にパッと二人に向かってフラッシュが焚かれた。慌てて身体を離した二人はフラッシュが焚かれた先を探している。
 車の助手席側の窓をコンコンと叩かれ、目を遣ると車の前を回って道路を渡り、橘と加茂の方に小走りで近付いていく御厨の背中が見えた。
「ああ…」
 絶好のタイミングを逃してしまったのだと気付いた治樹は青くなった。
「加茂さんと橘さんですね。週刊『ショット』の御厨です」
 御厨は加茂に名刺を渡して挨拶をしている。
「週刊『ショット』って、昼間取材に来ていた?」
「はい。でも担当は別です」
 御厨はまだ事情が飲み込めていない加茂に対して説明している。
「急に撮るなんて、君、失礼じゃないか…」
 加茂はこれまで写真週刊誌にスクープされたことなど無かったのだろう。御厨に掴みかかったりということはしないまでも、語気には怒りがこもっている。
「加茂先生…」
 御厨と加茂の間に入って橘が取り成している。
「こういう仕事なんです。御理解をお願いします」
 この場に居なかったことにしたかったが、そういうわけにもいかないので仕方なく車の外に出ると、橘と目が合った。
「萱嶋君…ずっとそこにいたの?」
「…はい、こんばんは…」
 治樹は頭を下げた。
「君は今日稽古場に来ていた人だよね」
 加茂は治樹にも何か言いたげだった。
「ごめんなさい、加茂先生…」
 しかし橘に謝られると、グッと堪えて睨んでいる。
 しばらくするとタクシーが二台来たので、二人は別々に乗って行ってしまった。
「後は追わないでもいいかな」
 御厨は後ろに庇っていたカメラを前に回し、近くに止めてあった自分の車に乗り込んでフイルムを取り出している。
「すみません…」
 治樹をチラリと見た御厨は、皮肉っぽく首を傾げて見上げた。
「知り合いだから写真撮るのを躊躇したってこと?」
「い、いえ、そんなつもりは…急だったんで…」
 言い訳にしかならないが、プロとしては最悪の失態だった。
「急でも何でも、カメラはいつでも構えられるようにしておけよ」
「すみません…」
「社に戻ろうか」

 編集部に帰ると、空腹なのを思い出した。昼食の後コーヒー一本だけで張り込みをしていたのだ。
「御厨さん、ラーメン食いますか?」
「んー、うどんのほうがいいな、俺」
 カップ麺を作りながら、御厨が来てくれたいきさつを聞いた。
「編集長に治樹が張り込みしてるけど、三時間くらい連絡が無いから、応援に行ってこいって言われてさ、様子見に来たらものの四・五分でブッチューだもんな、グッドタイミングだった。お前の車の陰からバッチリ撮らせてもらったよ」
 あの二人にとってはバッドタイミングだったんだな…自分一人だったら完全に撮り逃していただろうから。

 橘と加茂がキスをしている現場をスクープした写真は翌週の『ショット』に掲載されることになった。
 橘にも今年の秋に式を挙げる婚約者がいるが、加茂にも劇団創立時から一緒に芝居を続けてきた同棲中の女優がいる。今回加茂の劇団の役者が多く『伯爵の釵』に出演するが、彼女は出演せず、同時期に関西にある他劇団の公演に客演するため、今月から大阪に行っていて留守にしていたのだ。
「もし、あそこで泳がしていたら、どっちかの家かホテルまで行ってたかも知れないんだけどな…」
「え…」
 写真を撮られた二人はいい意味で冷静になり、それ以上の行動には進まなかった。
「じゃあ…御厨さん…」
 御厨は二人がそういう関係になることを予測していて、食い止めるために写真を撮ったというのだろうか。
「まさか、お前に撮られる前に撮らなきゃと思っただけだよ」
 本当かどうかは分からないけれど、あながち嘘ではないように思えた。御厨は治樹に限らず、同僚のカメラマン、そして他誌のカメラマンに対して常にライバル心を剥き出しにする人なのだ。
「でも、キスしてたってだけでも、勘繰る奴は勘繰るからな」
 それぞれの事情がこのスクープ写真でどう転がるのか、本当は一々そんなことに気を遣ってなんかいられないのだが気掛かりではあった。


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