The April fools 最終話

作:蒼馬要


 「さっきロビーで捕まえてたの、佐倉美歌でしょ」
 タクシーの中で竹内が聞いてきた。
「ええ、一枚撮らせてもらおうと思ったら、断られました」
「機嫌悪そうだったからねえ…ああいう時はそっとしといてあげるのがいいんだよ」
「優勝出来なかったの、悔しそうでした」
「だろうね。片桐とは同じ学科の先輩と後輩だから、そりゃあライバル意識なんかも多分にあるんだろうな」
 片桐を撮った写真のフィルムを竹内に渡し、治樹はタクシーに乗って張り込み先に向かった。

 空港の駐車場に着き、出口付近に止まっていた社の車を見つけて運転席の窓をそっとノックする。車内には御厨がいた。
「お疲れ様です」
 途中で買った煙草と缶コーヒーを渡すと、御厨は力士が懸賞を受け取る時のように手刀を切って受け取り、助手席の方に移動した。治樹が運転席に乗り込むと、早速煙草の封を切り、一本目に火を付けた。

 「治樹」
「はい」
「編集長にはまだ話してないんだけど、俺またフリーになろうと思ってるんだ」
「え?」
「俺、来年三十になるからさ、それを機に…な…」
「…なって言われても…」
 いつも突然、こんな調子なのだ。治樹は仕方なしに苦笑する。
「前の出版社に居た時もそうだったんだけど、一っ所に長く居れば居るほど居心地は良くなってくるのに、どんどん窮屈になってく気がするんだよ」
「分からなくもないですけど…」
「今の編集部での仕事は楽しいし、遣り甲斐も感じてる。でも…なんかずっとこのままの状態が続いていくのかな〜と思うと、また同じこと繰り返してる感じがしてさ」
 御厨は経済的には何ら問題なく暮らしていける現状に以前から疑問を抱いているのだという。
「前回は何とかなるだろうって何も考えずに辞めちまったからすぐに頓挫したけど、今度はちゃんと計画立ててさ、こつこつ金も貯めてきたんだ。コネも色々出来たし…」
「でも、大変なことですよ」
「それは分かってる。経験者だからな。しかしまた大変な目に遭ってみたいたいってのが、正直なところかもしれないんだ」
 何故好き好んでそんな苦労をするんだろう…という呆れ顔で見ていると、御厨は言い訳する子供のように口を尖らせた。
「表現者ってえのは、基本ハングリーじゃないとイイもんが撮れないような気がしてな…」
 治樹はアメリカにいた頃のことを思い出した。最低限生きていくために必要なパンや水さえ節約に節約して、カツカツの貧乏旅行を続けていたが、毎日とても充実していた。撮った写真が世間に認めらるようになりたいという漠然とした野心はあったが、写真で金儲けがしたいなどと思ったことは無かった。写真を撮ることしか出来ないという状況に自分を追い込んでいたようにも思える。その感覚が御厨の言うハングリーと同じかどうかは分からなかったが。
 プロのカメラマンになってから、アマチュアの頃のような直向な思いにブレが生じているのではないだろうかと、ふと感じることがあった。本当に自分が撮りたいものを二の次にして、飯の種になる写真ばかりを撮っている気がしてならないという気持ちが治樹にも無いわけではなかった。しかし、フリーにならなくても、休暇や自由になる時間に好きなものを撮ればいいわけで、何故御厨がフリーになることにこだわるのかが分からなかった。
「御厨さんはフリーになって、どんな写真が撮りたいんですか?」
「具体的なことはまだ考えてないけど、フリーになったら、今よりもずっと命懸けのもんが撮れる気がするんだ」
「命懸け…ですか…」
「そう、命懸け…例えば戦場カメラマンとか…」
 八月の初め、イラク軍がクウェートに侵攻し、米軍を中心とする多国籍軍との間で始まった湾岸戦争。イラクの敗退で停戦したものの、紛争の火種は未だ燻り続けている。
 戦場の様子がテレビのニュースで放映され、海外の通信社のカメラマンが撮影した写真が新聞に載る度に、治樹は暗澹たる思いでそれらを見ていたが、御厨の考え方は少し、いや、かなり違っていた。
「写真週刊誌の仕事で交戦中の戦場や紛争地帯なんて行けるわけないもんなあ…でも、行けるもんなら行ってみたいんだよね、俺…」
 御厨がかなり向こう見ずな性格だということは分かっていたけれど、よりによって戦場カメラマンとは…
「御厨さん、そのコト、奥さんには相談したんですか?」
「あー、反対するに決まってっから言ってない」
「それは駄目ですよ。急に辞めたから…なんて言って済む問題じゃないでしょ?」
「済まないかなぁ?」
 御厨は面倒臭そうに呟く。
「それに、危険な現場でもしものことがあったらどうするんです?フリーになったら、何の保障も無くなっちゃうんですよ…」
 御厨に対して意見しながら、治樹は妙な気分になった。自分には御厨の生き方をどうこう批判できる筋合いなど無いのに、常識的に尤もなことを言って、これではまるでただ足を引っ張っているようなものだ。
 治樹の強い言い方に御厨は黙ってしまった。
「あの…別に反対してるわけじゃないんです…大事なことだから、よく考えて欲しいっていうか…」
 御厨はうんうんと頷く。
「治樹、今俺が言ったこと、絶対に他言無用だぞ」
「…はい」
 周囲が何と言おうと、御厨は本気でフリーになるつもりなのだなと感じた。
「治樹は仕事以外で撮りたいものってないの?」
 仕事の合間に好きなものを撮ればいいと思っていながら、改めて考えてみると本当に撮りたい物が何なのか、深く考えたことが無いことに気付いた。
「アメリカに行ってた頃は、とにかく何でも撮ってやろうって勢いでしたけど…笑ってる人を撮るのが好きでしたね…」
 宿代を浮かせるために暖かい季節は公園などで野宿をしていた。子供たちが遊びに来ると一緒に遊びながら写真を撮った。
「笑顔ね…他には?」
「そうですね…最近いいなあと思ってるのは、四月に大阪に花博の取材に行ってきたんですけど、花っていいですよね」
 人は何故か花に惹かれる。
 すぐに萎れてしまう脆くて儚い花に、心の潤いを求めているのだという人もいれば、全財産を注ぎ込んでも望む花を作り出そうとしている人までいる。
 千春にプロポーズした時、ダイヤの指輪と一緒に百合の花を贈った。永遠に壊れないもの象徴が貴金属なら、花はもっとも壊れやすいものの象徴だろう。両極端な二つの物を自分の気持ちを伝えるために贈ったのだ。
 人は形にならない想いを花に託すのかもしれない。
「ふーん、花ね…まあ、ある意味エロチックではあるわな」
「そ、そういう意味で好きなんじゃ…」
「いいから、いいから。」
 明らかに誤解されている…
「編集長や金剛地先生に評価されたんだから、そっち系の写真にいってもいいんじゃない?」
 そっちというのは、アート的なものを差しているのだろうか。
 写真集が出版されて一年、治樹の口座にも毎月印税が振り込まれて、通帳記入する度に驚かされる。来年の確定申告はかなり厄介になりそうだった。しかも恋人もいない今、仕事で忙しいだけで使う暇すら無い。
「まだ今の仕事も半人前なんですから、一枚でも多くいい写真が撮れるように頑張るしかないです」
 半ば自棄気味に言ったが、今よりももっとというのは本心だ。
「納得いって次のステップっていうのが筋だからな」
 御厨は欠伸をコーヒーで飲み込んだ。
 言えば多分、冗談言うなと一笑に付されてしまうのだろうけれど、治樹にとって御厨は数年先の理想像なのだ。撮りたい被写体はもちろん異なるだろう。しかし御厨のようにカメラマンであることに誇りを持ち、天職だといって憚らない人間になりたい。その数年が順当な三、四年後になるのか、十年以上先になるのか、それは自分次第なのだ。
「御厨さん」
「あん?」
「御厨さんが内緒の話をしてくれた代わりって訳じゃないですけど、僕も他言無用の話してもいいですか?」
「お、共犯者になれってか?」
 御厨はニヤニヤしている。
「…実は僕、橘遼子と…」
 そこまで言いかけると、御厨はガバッとフロントガラスに身を乗り出した。
「出てきたっ」
 沖縄にお忍びで婚前旅行に行っていたという芸能人カップルがタクシーに乗り込もうとしていた。最終便で人もまばらなのに油断したのか、サングラスも帽子も被らず、無防備に素顔をさらしている。
「治樹、車回してくれ」
「はいっ!」
 御厨はカメラを掴んで車外に飛び出すと、タクシーに向かって突進して行った。治樹は車をタクシーの車線の隣りに持ってきて、車内の写真を撮った御厨を乗せると、逃げるように走っていくタクシーの後を追った。
「撮れました?」
 息を弾ませて乗り込んできた御厨は渋い顔をして首を横に振る。
「いやぁ、こっちがシャッター切ったのとほとんど同時にサングラス掛けやがったから、顔の特定が出来るかどうか自信無いな…よし、次の信号で止まったら横付けしてくれ、もう一回トライしてみるから」
「分かりました」
「治樹、お前さっき何か言いかけてたよな。橘遼子が何とかって…」
「いえ、何でもないんです。何でも…」
 治樹はハンドルを切って隣りの車線に移動し、アクセルを強く踏み込んだ。


第二十六話