葛の葉〜黙阿彌異聞〜第一話
作:蒼馬要


 立春が過ぎると日脚はゆっくりと伸びていく一方で、江戸の町には雪の降る日が増える。
 風呂敷を背負い、その上から引廻の合羽を羽織り、編笠を被った芳三郎は、日本橋通りを南に向かって歩いていた。夕暮れになると人通りもぐんと減り、午後から降り始めた牡丹雪が地面に薄く積もり始め、サクサクと踏み締めながら歩いていると足袋の指先にじんわりと冷たさが沁みてくる。
 京橋を渡り、さらに数丁歩いていくと尾張町一の大店、貸本屋後藤好文堂に着く。
「おかえんなさーい」
 丁稚が大きな声を掛ける。
「ただいま戻りました」
 軒で笠と合羽を取り、雪を払い落として店に入ると、番頭が奥から顔を出す。
「芳さん、また芝居小屋にいたらしいね」
「へい、人形町の出店を廻った後、市村座と中村座に本の回収に廻っておりました」
 風呂敷を解いて本を取り出し、懐から帳面を出して番頭に渡す。
「そうかい、まあ、それはいいんだが…」
 番頭は帳面をチラリと見て溜息をつく。
「芳さん、お前さんは本にも詳しい。仕入れる本も評判だ。商才が無いわけじゃあない。しかしね、もう少し商売に身を入れて欲しいんだよ」
 芳三郎の父親は傾きかけた家を湯屋の株投資で再興し、現在芝の金杉町で質屋を営んでいる。芳三郎は長男なので、いずれは父の後を継ぐことがほぼ決っていた。何故ほぼかというと、芳三郎が現在勘当分の身であるという問題からだった。
 徳川十一代将軍家斎公の治政下である文化文政の時代、江戸の町では豊かになった町人たち素封家が芸術、芸能を培い、多くの文人や画人を排出する爛熟期に達していた。
 日本の各地で冷害や旱魃による不作や飢饉が打ち続いていた最中であるにも関わらず、江戸の町には日々を遊惰に暮らす富裕の若者が多くいた。
 文化十三(1816)年生まれの芳三郎も、まさにそのような放蕩息子であった。しかもかなりの早熟である。母親や姉から過分な小遣いを与えられて育ったため、十四歳で茶屋遊びを覚えてしまった。柳橋の料亭で遊興中の所を父方の伯父に見つかり家に連れ戻された。放蕩息子となった原因は自分たちにもあると考えた父親は息子を親戚の家に預けることにした。本当に親子の縁を切る勘当ではなく、反省を促す勘当分にしたのである。
 しばらくは身を慎んでいたものの、ほとぼりが冷めると、芳三郎は再び悪所へと通うようになる。しかし実家にいた頃に比べて金の工面が付かない。芝居や寄席に通えば小遣いの殆どは消えてしまう。かつての茶屋遊びのように羽目を外した豪遊は到底出来ない。
 家に戻って稼業を継ぐと言えば、両親や姉たちは喜ぶだろうが、そうなれば芝居小屋には当分近付けなくなる。まだまだ遊びたい盛りなのだ。
 幾らかでも自由になる金を稼ごうと思い、十七歳から始めたのがこの貸本屋の手代であった。職に就いていれば、親や今世話になっている親戚への体面も保てるし、何よりも毎日好きな本がタダで読めることが魅力だった。本を担いで色々な場所に通う。得意先の武家屋敷に出入りし、浅草、吉原、柳橋、両国、深川、品川といった色街や繁華街の出店を廻り、希望の本を届け、回収するのが主な仕事であった。また好文堂では院本と呼ばれる、浄瑠璃の詞章が全編揃った本を多く扱っていることもあり、芝居小屋の楽屋にも頻繁に出入りする機会が出来た。幼い頃から憧れていた芝居の世界を裏から覗き見ることが出来るのである。
 市村座では来月の弥生狂言の準備に追われていた。院本から各役者の台詞だけを書き写して一冊にまとめる抜書きという作業や、看板の下絵描きなど、裏方の人手が足りないと聞くと、芳三郎は貸本の商売そっちのけで手伝うこともしばしばであった。
「すみません」
 しおらしく頭を下げはしたものの、自分はつくづく商売人には向いていないのだと思い知るのだった。
「分かればいいんですよ」
 親戚の家でも夕食を出してくれるが、芝まで帰る頃には身体が冷え切ってしまう。芳三郎は途中、屋台のかけ蕎麦を食べて腹を温めた。
 家に着く時分には雪はもう止んでおり、空には星が瞬いていた。
「芳さん、芳さん…」
 裏のくぐり戸を入ろうとすると、後ろから声を掛けられた。振り返ると太い木刀を抱えた袴姿の少年が立っている。粂三郎、遊び仲間の間では熊と呼ばれている。
「ああ驚いた、熊さんかい」
 熊は手を合わせた。
「すまねえ、今晩泊めてくれねえか」
 熊は大伝馬町で太物問屋を営む武蔵屋七右衛門と深川の芸妓辰弥との間に生まれた。母親は落籍し名を辰と改め、そのまま妾となり、八幡宮近くの不動裏に建てた別宅で暮らしている。正妻に子が出来なかったため、跡取りとしてお玉ヶ池の本宅に引き取られたが、養母との折り合いがあまり良くないらしい。熊は今年十二歳、芳三郎と違って悪所通いなどはしないものの、厳しいことを言われたり、気に入らぬことがあると、ぷいと家を飛び出しては仲間の所を点々としている。芳三郎と知り合ったのはまだ深川にいた時分のことで、芝居見物で桟敷の隣席となったことがきっかけだった。
「とにかく中へお入り」
 熊を部屋に押し込むと、芳三郎は台所から膳を持って戻ってきた。
「さ、お食べよ。腹が減ってるんだろう」
「でも、芳さんの分だろう」
「帰りしなに蕎麦を食べてきたから、そんなに腹は空いてないんだ」
「じゃあ…」
 芳三郎は火鉢の炭を起こすと、茶をすすりながら、息をつく暇も惜しんで飯を掻き込む熊の様子を眺めていた。
「稽古の帰りかい?」
「んん」
 お玉ヶ池と言えば、北辰一刀流で有名な千葉道場があるものの、こちらの門下生は武士に限られている。そのため父親が武州多摩郡の出身であることから、熊は同郷の武芸者で、四年前に三代目宗家となり、去年市ヶ谷に屋敷を構えた近藤周助に天然理心流を習っている。まだ正式には道場の看板を出してはいないが、知人の子息を集め指導をしている。
「市ヶ谷からだと、御府内を半周してきたのかい、疲れたろう」
「ううん、八王子の道場に行くのに比べりゃあ、大したことないさ」
 天然理心流は町人や農民にも武術を教える門戸の広い流派で、稽古には真剣と同じ重さの太い木刀を使うのが特色であり、その門人はすぐにそれと分かる。華奢だった熊も道場で鍛えられ、随分と逞しくなった。
 しばらくすると熊の着物の合わせがもそもそと動き、子猫が顔を出した。
「にゃあ」
 黒胡麻の牡丹餅みたいな小さいブチである。
「さっきここに来る途中でこいつを拾ったんだっけ」
 熊は懐から猫を摘み出すと、齧りかけの目刺を懐紙に乗せて子猫にやっている。
「うまいか、そうか、そうか…」
 食べ終わると、熊は改めて頭を下げた。
「いいってことよ。それより明日はちゃんと家に帰るんだぜ」
 一つの掻巻の中で、熊は色々話をした。
「芳さんが貸本屋に勤めるようになってから、斯波連中も皆ばらばらになっちまってさ、伊之さんも竹さんも近頃じゃ家の仕事が忙しいとかで…」
 いずれも放蕩息子の名を返上し、家業を継ぐことになったと芳三郎も聞いている。
「俺が初めて茶番狂言に加えてもらった…ええと」
「飛鳥山の花見の時かい?」
「一昨年の春だっけね、あの頃は…楽しかったなあ…」
 瀧亭鯉丈の小説『花暦八笑人』は、通人を気取った道楽息子たちが茶番狂言を打って花見の見物客たちをアッと言わそうと画策するものの、悉く失敗し、散々な目に遭うという笑い話である。
 勘当分となった芳三郎は金をかけずに遊ぶ方法を考え出した。遊び仲間の伊之助、竹蔵らと斯波連中を名乗り、まさにこの『八笑人』の主人公、左次郎を地でいく暮らしを楽しんでいたのである。
 文政十三年の春、前年の十一月に亡くなった四世鶴屋南北の追善と称し、斯波連中は大川端で初めての茶番狂言を打った。
 花見客の間を、大きな早桶に天秤棒を差し、男が二人担いで現れる。頃合を見計らって担ぎ手がつまずくと、落ちた桶がバラバラに壊れ、中から首の無い仏がドサリと転がり出る。花見客たちはギョッとする。身体から離れた血まみれの首がコロコロと地面を転がり、女子供ばかりでなく大の男も足元に生首が転がってくると悲鳴を上げた。勿論これはハリボテであるが、多くの人でごった返しているため本物かどうかの見分けなどつくはずもない。そうこうしているうちに首無しの死体がむっくりと起き上がるものだから、恐怖も騒ぎも最高潮に達する。死体は転がった自分の首を追ってよろよろと歩き、拾って小脇に抱えると見得を切り「首が飛んでも、動いてみせるわ」と大南北の名作『東海道四谷怪談』砂村の隠亡堀での民谷伊右衛門の台詞を決める。それを合図に担ぎ手はわっと叫んで駆け出し、死体役も襟の下からにょきっと本物の顔を出し、尻を絡げてその場から逃げ出す。呆気に取られていた見物客たちはやっと茶番狂言であることに気付き、どっとどよめき歓声をあげる。
 死体役を勤めた芳三郎は背中にその反響を聞き、全身にゾクゾクと寒気の走るような心地好さを感じていた。
「巧くいったな」「付けがはいりゃ上々吉だ」
 以来、茶番狂言は斯波連中の恒例となった。初めはケレン味を狙うばかりの筋書きであったが、次第に工夫を凝らしていった。また春だけでなく、夏や秋にも茶番を打つようになった。仲間も次第に増え、多い時には十人以上にも膨らんだ。
 熊が懐かしがって話している天保三年の飛鳥山での狂言の時には、全員が女装をした。熊の知り合いで呉服屋の倅が仲間に入り、古着屋に廻す前の御殿女中たちの豪華な着物を貸してもらうことが出来たのだ。
 飛鳥山は鳴り物や仮装といった余興の類が許可されており、俄仕込みの仮装を楽しんだり、歌を歌い、踊りを踊ったりしながら花見をする者も多くいたが、斯波連中の凝りようはそれらの比ではなかった。
 角隠しで月代を覆い、狐の面で顔を被ってしゃなりしゃなりと桜の下を練り歩く異様な一団は衆目を集めた。次第に野次馬も集まり、やれ東下りの歌舞伎役者か、いや上臈のお忍びだと、あれやこれやと謎の一団の正体を囁き合いながらぞろぞろと後をついてくるその長蛇の行列は、大晦日に装束稲荷の榎の元から王子稲荷へと練り歩く狐の行列のようでもあった。
 山の上に来ると、一団はパッと狐の面を取った。たっぷりと白粉を塗った顔は剃り落とした眉の上に細く眉墨を引き、耳たぶや頬、爪先を薄紅で染め、唇には下地に墨を塗った上に紅を差し贋笹紅に輝かせた。普段箸よりも重いものを持ったことのないひょろついた連中、また中には前髪立ちの少年も混じっていたため、かつての若衆歌舞伎をも彷彿とさせた。
 艶なるかな、妖しげな一行は一転賑やかに、流行りのかんかんのうを歌い踊りながら、野次馬を残して山を下り、料理茶屋の扇屋へと繰り込むと、そのまま座敷で宴会となった。
「あの時の玉子焼は、美味かったなあ…」
 箸で押すと蜜がじんわりと染み出してくる甘い甘い玉子焼は扇屋の名物である。釜焼きを二つ注文し、酒もそこそこに皆たらふく玉子焼を味わった。
「熊さんは花よりも茶番よりも玉子焼か」
「ふふ…また食べてえなあ」
 熊は胸に子猫を抱えこみにんまりとした。
 その後、芳三郎は好文堂の手代となり、茶番狂言も終演となった。
 芳三郎は行燈の灯を消すと目を閉じ、ぼんやりと考え事を始めた。今日一日にあったことを思い返しながら、三題噺や川柳を作っているうちに何時の間にか眠りに落ちる。
 茶番狂言…飛鳥山…玉子焼…


第二話につづく