薔薇園〜under the rose〜第一話
作:蒼馬要
五月の中旬、僕はカメラと三脚を抱え、アパートを出た。南北線の西ヶ原駅近くの旧古河庭園が今日の撮影場所だ。
洋館の写真ばかりを撮っていた時期があった。
去年の秋の終わり、ここの洋館を一輪の薔薇を前景に撮影した。
初めは洋館をメインにして、薔薇はピントをぼかし、添え物的に撮っていたけれど、広角レンズを使って手前に大きく薔薇を写し込んだり、望遠レンズを使って離れた場所から撮ったりと色々な方法を試した。
後期演習の提出課題として、他の場所で撮ったものと一緒に提出したところ、いつもは厳しい評価しか言ってくれない教授がその薔薇と洋館の一枚を誉めてくれた。
「君の作品は、建造物を中心に撮ったものが多いけれど、こうして一つアクセントをつけると、画面が引き締まるんだよ」
「アクセント…ですか…」
小学生の頃から、プロのカメラマンになりたいと思っていた。高校卒業後の進路を決定する時期が来て、僕は写真学科のある東京の大学に進学することにした。
大学に入学して、写真についてのあらゆる基礎を学んだ一年。教室での講義も大切だけど、実際にカメラで撮影する演習や実習が一番楽しい。
その写真を現像した時、花と洋館なんて正直はまりすぎてて、まるで絵葉書みたいじゃないか…という気がした。
ファインダー越しに対象物を覗く時、縦長か横長、長方形のパネルを想定する。それには "絵葉書みたいな"という形容はもっともらしいものではある。ただ、絵葉書には撮る者の個性は必要とされていない。誰が撮っても構わないわけだ。そんな写真を撮りたくはない。だから僕の中では、有りか無しかで言えば無しの方だったけど、評価してもらえた。
「タイトルは、"無題"か」
教授は写真の裏に貼られたインデックスを見てしばらく考え込んでいた。
「無題は詰まらないな。何かタイトルを付けたらどう?芸術祭の写真展にも出すかも知れないんだから」
大学では毎年十一月の初旬に芸術祭が開催される。写真学科も展示を行なう。去年の芸術祭で前期に撮った写真を展示したけれど、見に来た人たちはほとんど素通り状態だった。自分がいいと思って選んだ写真だから、余計に落ち込んだことを思い出した。
心からの自信作ではなかったけど、教授に誉められた一枚だ。立ち止まって見てくれる人もいるかもしれないと胸が躍った。
「旧古河庭園の洋館なんですけど…」
「いや、それよりこの薔薇の名前の方がいいな」
翌日、僕は写真を持って、旧古河庭園に行った。二月の薔薇園の薔薇は皆葉が落ち、枝も短く切り詰められていて、洋館の前は閑散としていた。写真に写っている洋館の角度で、撮った場所の見当を付けようと、庭園内をウロウロ歩き回ったけれど、情け無いことに自分で撮っておいてどこから撮ったのか、すっかり忘れてしまっていた。
「何か探し物ですか?」
庭園管理の人が声を掛けてくれた。僕がかくかくしかじかと、写真に撮った薔薇の名前を調べていることを説明すると、
「この辺りですね」
すぐに突きとめてくれた。株の根元の名札には"マリアカラス"と書かれてあった。
「マリアカラス」
確か有名なオペラ歌手の名前だっけ…この写真のイメージとは違うな…などと思っていると、
「でもここに写っているのはマリアカラスじゃないですね」
写真の薔薇を見ていた管理人さんが呟いた。
「え、どういうことですか?」
「白黒写真だから何色か分からないですけど、マリアカラスの花色は濃いピンクなんですよ。だからこんなに白っぽくは写らないはずです」
確かに、写真の薔薇はほとんど白に近い淡いグレーだ。
「植え替えたってことですか?」
「ええ、全部ではないですけど、つる薔薇以外は十二月に植え替えをしています」
僕が撮った薔薇の花の名前はすぐに分かった。去年の薔薇の配置見取り図がまだ残っていたのだ。