薔薇園〜under the rose〜第二話
作:蒼馬要
僕の作品、"ブルームーン"は新学期が始まると、学校のカフェテリアの壁に他の学生の作品と並んで展示された。モノクロ写真であることが見る人によってイメージを膨らませるらしく、タイトルのネーミングなど、感想を書き込んでもらうアンケート用紙には質問も沢山書かれていた。
「撮ったのは昼間なんだ。"ブルームーン"て言うのは、この薔薇の名前」
昼休み、僕は何度も聞かれるその質問に答えていた。
「青い月、素敵な名前ねぇ」
よその学科の女の子たちにも噂が噂を呼んでいて、気軽に話し掛けられるようになった。容姿がカッコ良くてモテるのとは違って、僕の才能やセンスに関心を持ってもらえてるってことがとても嬉しかった。
「ここ、旧古河庭園でしょ?」
「そう…です…あ…」
背後からの質問に、振りかえりざまに答えて、僕はドキッとした。
「枯れかかってる薔薇がいいんだね」
腕組みをして僕の写真を眺めていたのは、特別講師として講演に来たこともある写真家の萱嶋さんだった。
「わたしもここにはよく撮りに行ったけど、花がいい時期に、花に合わせて撮っていたから、こんな雰囲気の写真は撮らなかったな」
萱嶋さんは、この大学を卒業した後、大手の広告代理店や一流出版社で商業写真を撮る傍ら、世界中を撮影旅行しているという。広告大賞などにノミネートされることも度々で、アート系のコーナーが充実している書店に行けば、萱嶋さんの写真集は必ず置いてある。好きなものを撮って飯が食える…僕にとってはものすごく理想の先輩だ。
以前、講演会で壇上に立っていた時にはスーツ姿でさっぱりとしていたけど、今は髪も髭も伸び放題。服装もかなりラフで、ダンガリーシャツにフリースのジップアップジャケット、下は履き古して裾がボロボロのストレートジーンズに丈夫そうなゴアテックスのショートブーツ。
大柄でがっちりした体格、黙っていると威圧感すら与える強面。危険な香りプンプンの萱嶋さんを見て、それまで近くにいた女の子達はさーっと居なくなってしまった。
「他にも撮ったのがあったら、見せてくれないかな?」
憧れの大先輩の言葉だったけど、僕は焦った。一緒に撮ったものは、何の変哲も無い洋館だけの写真ばかりだからだ。
「あの、僕、花をちゃんと撮った写真て、これが初めてなんです…」
周りに誰も居なくなったので、正直なところを白状した。
「それもレンズのテストみたいな感じで撮ったものだから…建物の前景なら、何でも良かったんです。ただ、偶然この薔薇が咲いてたっていうか…」
しどろもどろになって言い訳をしていると、萱嶋さんは僕の顔を見て、にっこり笑った。
ランチを食べながら、僕は萱嶋さんと話をした。萱嶋さんは、二月からつい最近まで、中東を旅していたのだという。
「トルコ、シリア、レバノン、イスラエル、ヨルダン…エジプトに居る頃、アメリカがイラク攻撃を始めたというニュースを聞いた」
新学期が始まって間もなく、イラクの主要都市はアメリカ軍に制圧された。国家元首は行方をくらまし、生死の確認も出来ない。ライブ中継で伝えられるニュースも実に呆気ないものだ。
「中東に居ても、それは大して変わらなかったな。シリアはトルコとイラクに挟まれた国なんだけど、トルコの空軍基地からイラクに向かってアメリカの偵察機が飛んでいくのを何度も見た。真昼の青空に白い飛行機雲の筋をたな引かせながら飛んでる偵察機を見上げていると、長閑な感じしかしないんだよ。戦争が始まってイラク国内では空爆で一般市民の犠牲が多く出たと報道されてからも、自分のいる場所はまず安全だと思うと、恐怖が麻痺してしまう」
萱嶋さんはプラスチックの湯呑の冷めたお茶を飲むと、ポツリと言った。
「煙草、いいかな」
僕が頷くと、トレーを脇に置き、煙草に火を点けた萱嶋さんは、灰皿を引き寄せる。
「萱嶋さんは何の撮影をしに行ってたんですか?」
「薔薇」
萱嶋さんは煙を吐きながらそう言った。
「薔薇?」
「そう、薔薇の道を旅してるんだ」
萱嶋さんは以前、あるガーデニング雑誌の特集で英国庭園の撮影をしたことがあったそうだ。庭を彩る様々な薔薇と、その薔薇を育てる人に興味を持ち、親しくなった園芸家に花の由来や歴史を聞いて、その奥深さにますます惹かれるようになったのだという。
薔薇は世界の各地にその原種が自生していて、花の大きさ、香りの良さ、色の美しさなど、その原種の薔薇の特徴を利用して様々に品種改良が繰り返されてきた。
「西アジアにはガリカという花弁が多くて、濃いピンク色の原種がある。古代バビロニアや、ローマ、エジプトへ地中海伝いにもたらされた薔薇だと言われてる。イラクやサウジアラビアにも黄色い薔薇の原種があって、全ての黄色い薔薇の元になっているんだ」
実際に咲いている薔薇だけでなく、建造物、美術工芸品、服飾に至るまで、萱嶋さんはあらゆる薔薇を追って撮影旅行をしているのだそうだ。
「一つの場所に何日か滞在していると、薔薇ばかり写真に撮っている変な東洋人がいるって噂になって、小さな子が野薔薇を摘んで持ってきてくれたり、お年寄りが大切にしまってあった家宝のタピストリーや絨毯を見せてくれたりするんだ」
萱嶋さんは胸ポケットから何枚か写真を取り出して見せてくれた。少女が大きな薔薇を持っているバストショットだ。身なりはかなり質素で着古した服はお世辞にもきれいとは言えない。だけど、はにかんだ笑顔は見ていると涙が出そうなくらい美しい。
「薔薇の写真を撮って伝えられるのは、薔薇がいかに美しい花であるかということ。でも薔薇を愛する人たちと一緒に撮ると、薔薇は一層美しさを増すんだ」
薔薇の咲く中庭で、古びたタピストリーを背に佇む老人の表情も、どこか優しく懐かしい気がする。
「僕も、こんな写真が撮りたいです…」
ふと口をついて出た言葉だけど、言ってみて、より自分の中で実感がこもった。
「僕、古い洋館が好きで、去年は色んな所に撮りに行ってたんです。外観だけじゃなくて、内装や家具や、磨り減った床や壁、階段の手摺りなんかを撮っていると、そこで昔暮らしていた人たちの生活感や息遣いまで感じられる気がするんです」
萱嶋さんは黙ったまま相槌を打ってくれる。
「教授はアクセントが無いって言うんです。僕は別にそんなこと殊更に意識する必要はないと思うんです…でも、薔薇があるからいいって、あの写真、展示してもらえたんです」
僕と萱嶋さんは写真の前に戻って来た。
「わたしの個人的な感想を言うとね、この写真は誰かの心の中にある景色みたいなんだ」
「心の中の景色…ですか?」
そう指摘され改めて眺めてみると、昼の日差しに薔薇も洋館も庭全体が明るく照らされている一方で、深く高く濃い晩秋の空がモノクロだと一層暗く沈み込んで見える。空も、洋館も、薔薇も、何となくちぐはぐで、同じ時間、同じ空間にその場所にある光景だとすると、妙に不自然な感じがしてくる。
「ホントだ…一つの構図の中に収まっているのに…」
「記憶の中の一つ一つが張り合わされて出来あがったような不思議な景色なんだ。偶然撮れた一枚かも知れないけど、とてもいい。面白い」
萱嶋さんは誉めてくれるけど…
「でも、偶然じゃ、駄目なんですよね。偶然いい写真が撮れるだけじゃ、プロにはなれないんですよね」
偶然じゃない一枚が撮れなければ駄目なんだ。
「僕あの薔薇、また撮りに行って来ます!」
ブルームーンの名前を調べに行った時、五月に薔薇と洋館のライトアップがあると聞いた。普段は夕方の五時に閉園してしまうそうだけど、五月の初旬から中旬にかけての十日間、九時まで延長されるという。そのことを思い出した。
「あのブルームーンて、夕暮れがとてもきれいだって、庭園管理の人が言ってたんです。だからまた撮ってみようと思います…いいのが撮れるかは…自信ないですけど…」
プロの大先輩に対して、ずいぶん偉そうなことを言ってしまったなと、言った後でしまったと感じた。
「ブルームーンは青薔薇だからね、明け方や日没直後は青色が冴えるんだよ」
レンズの上にブルーのフィルターをかけて撮った写真は、対象物の青味がきれいに映る。朝夕の光色は自然のブルーフィルターなのだと、萱嶋さんは説明してくれた。
「とにかく何枚も撮ることだよ」
「はい、ありがとうございます」