薔薇園〜under the rose〜第四話
作:蒼馬要
モノクロフィルムで洋館と薔薇を何枚か撮った。夜の撮影って難しい。しかもライトアップされている。絞りとシャッタースピードを調節しながら、あちこち移動して撮影をしていると、いきなり背後から肩を叩かれた。
「わっ」
振り返ると、あの女の子だった。女の子はニコニコして人差し指を上に立てている。
「え…?」
「あれ」
指の差す方を見上げると、空に月が出ていた。
「ブルームーン」
色を深めつつある青色の夕空に、ふわりと開いたブルームーンの開きかけの蕾にそっくりの月だ。
「ほんとだ」
ぎこちなく僕が笑うと、女の子もカメラを手にしている。
「月と一緒に、薔薇撮れるかな?」
「う、うん、撮れるよ…」
塔のような円筒形の枠組にカクテルというつる薔薇が絡ませられていたので、その手前に三脚とカメラを据え、ファインダーを覗きながら月と薔薇が入るように調整する。ピントは薔薇に合わせ、フラッシュはたかずに撮ったほうがいいな…
「フラッシュを使わないとシャッタースピードが長くなるから、手ぶれに注意して…」
僕のカメラでまず撮ってみせた。
「デジカメってコンパクトカメラと同じ機能だと思うから、多分これで撮れると思うけど」
要領を説明して、三脚からカメラを外した。
「はい、ここに乗せて撮ればぶれないよ」
「ありがとう」
女の子はデジカメを三脚の上に乗せ、地面に片膝をつけて、カメラの裏にある画面を覗きながらシャッターを押している。
「あ、駄目だ、薔薇がぼやけた…」
何枚か撮っているうちに、上手くピントが合ったのが撮れたらしく、嬉しそうに笑って見せてくれた。
「こんな感じ」
名刺より少し小さいくらいの画面に、薔薇と月が写っている。
「帰ったら、プリントアウトしようっと」
撮ったのがすぐに見られるっていいな…モノクロ写真はうちで現像してるけど…デジカメ欲しいの針がさらに傾いた。
「向こうにブルームーンが咲いていたけど、薄紫色なのね」
「青薔薇ってああいう色のものを指すんだそうです。朝や夕方にはもう少し青い色味が増しますけど」
萱嶋さんに会ってから、僕も薔薇について調べてみた。
「薔薇同士の交配を繰り返しても、本当に真っ青の薔薇はまだ作り出せないそうなんです」
僕と女の子は階段を上がり、ブルームーンの植えてある洋館の横に来た。白熱電球のライティングで照らされているためか、昼間のように赤味の強い藤色に見える。
「カーネーションも薔薇と同じで、青い花は咲かないそうなんですけど、何年か前に食品会社のバイオテクノロジー研究室で、青色に咲く別の花から青い色素の遺伝子を取り出して、カーネーションに組み込むことに成功したそうですよ。最近では薔薇そっくりの青色の八重咲きトルコキキョウが販売されるようになったそうです」
何日か前の学校帰りに、電車の中で夕刊を読んでいるサラリーマンの向かいに座っていて、新聞の一面に青紫色の花の写真が載っているのを見つけた時は、本当の青薔薇が出来たのかと思った。でも、薔薇に青色の遺伝子を組み込むのはまだまだ困難らしい。
「薔薇もいずれは本当に真っ青なのがこういう庭園や、花屋さんで普通に目に出来るようになるのかもしれないですね」
実家の庭には、夏になると鉄線や紫陽花、桔梗の花が次々と咲いた。青い花は夏の庭に似合う。昼の強い日差しを好む向日葵は夏の花の代表選手だけど、早朝に開いて昼前にはしぼんでしまうムラサキ露草や、青い朝顔の花の涼しげで儚い姿が美しいと思うようになったのは、東京に出てきてからだ。
「わたしもそのニュースの記事読んだけど、すごく不自然なことしてると思った」
「え?」
「色素の遺伝子だけだって言うけど、要は遺伝子組換えってことでしょ?トウモロコシや大豆の遺伝子組換えは、口に入るものだから、みんな神経質になってるけど、花なら何をしたっていいのかってことよ」
女の子は下唇をキュッと噛んだ。
「人間て、どうしようもなく勝手なんだわ」
女の子の唇と、怒って少し赤らんだ頬は、いわゆる薔薇色と例えられる暖かなピンクに染まっている。
「青い薔薇は不可能を意味するそうですからね。でも不可能なことに憧れたり、挑戦したりする姿勢は大切だと思うな…」
「男の人ってロマンチストが多いのね…」
胸にグサッときた。
高校時代、同級生のガールフレンドに、カメラマンになりたいから一般の大学には進まずに、写真の勉強が出来る学校か、プロに弟子入りして働きながら勉強がしたいと話したら、どうして?と聞き返された。カメラマンを目指すとしても、大学を卒業してからだっていいじゃないと言われた。目的が決まっているのに、遠回りするつもりはないと言っても、もし駄目だったらどうするの?夢を追ってるだけじゃ生きていけないのよ。ロマンチストなのにも限度があるわ、とまで言われた。以来僕に"ロマンチスト"という言葉は禁句なのだ。
僕がちょっとムッとしてしまったからか、女の子は慌てて付け足した。
「夢を追うのは素敵なことよ。わたしも叶えたい夢があるもの…」
口調は少し乱暴だけど、悪気があって言ったのではないんだなと分かった。彼女は僕の事情なんて知らないのだし。
「今一番青に近い薔薇は日本のアマチュア育種家が作ったものなんだ」
薔薇の花越しに話し掛けられ、僕と女の子はそっちを見た。
「あ、萱嶋さん…」
カメラを首から下げ、一脚を小脇に抱え、ゼロハリのケースを肩に掛けた萱嶋さんが立っていた。髪も髭も服装もさっぱりしている。
「"青龍"と言ってね、濃い青色ではないんだけど、人工交配で作ったものではもっとも青いんだ」
女の子は怪訝そうな顔をして萱嶋さんを見ている。あ、そうか僕が紹介しないと。
「こちら、僕の学校の先輩で、写真家の萱嶋さんです。こちらはさっき知り合った…ええと…」
名前知らなかった…
「梨優です」
女の子は、萱嶋さんにではなく、僕に向かって頭を下げた。
「え?」
どういうこと?
「お兄ちゃん、遅刻よ」
女の子は低い地声で言うと、腕時計を指した。
「ええ?」
僕があたふたしていると、
「わたしのお母さんの弟、叔父さん。典型的なロマンチスト」
女の子は眉間と鼻にちょっとだけ皺を寄せて言うと、こちらに回って来た萱嶋さんを小突いた。
「遅刻してないよ。兄ちゃんはお前が来る前からずっとここにいたのです」
「うそ、さっきから探してたんだから」
女の子は口を尖らせる。
「許可を貰って、洋館の中で撮影させてもらってたの」
「あ、じゃあ、僕が写真撮ってるのも?」
「見てたよ。手ぇ振ったんだけど気付かなかった?」
「ブルームーンを撮ってる時?」
「そう、こっちにカメラ向けたから、急いで隠れたんだけど、写っちゃったかも知れない」
なんだ、さっきの人影は気のせいじゃなかったんだ。
「ハクション!」
梨優さんが突然くしゃみをした。
「薄着して来るからだぞ。風邪引いたか?」
「グス…だとしたら、遅刻したお兄ちゃんのせいだからね」
「だからー、遅刻はしてないんだってば」
「つべこべ言わずに晩飯おごれー!」
「はいはい、ねぇ、君も一緒にどう?」
成り行き上、お言葉に甘えた。