薔薇園〜under the rose〜第六話
作:蒼馬要
萱嶋さんは目を閉じて話す。
「夢を見た。わたしは青い薔薇が一面に咲き乱れる野原に佇んでいた。今まで嗅いだことの無い不思議な香りに包まれていた」
翌朝、萱嶋さんはまだ夜も明けきらぬ薄暗い中で身体を揺すられ目を覚ました。旦那さんが枕元に立っていて、一緒に来るよう促されたそうだ。
「ゆっくり流れてくる朝靄は夢の中で嗅いでいた不思議な香りがした。靄が切れ切れになり、暗さに目が慣れてくると、村の全容が見えた」
村と言っても、質素な教会のある本当に小さな広場を中心にして、数件の家があるばかりの集落で、電気も勿論通っていないような所だったそうだ。広場を抜ければすぐ林道になり、森になる。ライフルを背負った旦那さんの後について、細い道をしばらく歩いていくと、突然広々とした、なだらかな谷あいの斜面が目の前に広がったそうだ。
「空が次第に白んできて、そこには一面野薔薇が咲いていたんだ」
「それが青薔薇だったんですか?」
萱嶋さんは首を横に振った。
「旦那さんは薔薇の花を指さして、これがそうだという仕草をした。わたしは目を凝らして薔薇を見たけれど、どれも白い薔薇にしか見えなかった。旦那さんは、待っていれば分かるといった様子で、石の上に腰掛けると、のんびり煙草を吸い始めた。わたしも訳が分からなかったが、待つしかないのかと、隣りに腰掛けてぼんやりと薔薇を眺めていた」
そして夜が明けた。薔薇はやっぱり白くて、日の出前だったからほのかに青白くも見えたけれど、青薔薇と呼べるような色はしていなかったそうだ。
「でも突然、山の端から僅かに朝日が覗いた瞬間だった。薔薇が突然青くなったんだ。旦那さんに肩を叩かれるまで、わたしはその色が濃くなっていく様子をただ呆然として見ていたよ。急かされて、慌ててカメラのシャッターを押した」
萱嶋さんはシャツの胸ポケットの中から、写真を取り出した。
「あ…」
僕は思わず声をあげてしまった。
淡い緑色の葉の上に、刺繍糸と同じ濃い青色の、まさしく青薔薇と呼べる薔薇がびっしりと咲き揃っている。花弁の枚数はあまり多くないタイプで、花の中央に覗く雄蕊雌蕊の黄色と花弁の青のコントラストが不自然すぎるくらいだ。青いフィルターをかけたとしたら、シベも葉の色も青味を増して、こんな淡く明るい色には写らないはずだ。
「わたしは恐る恐る薔薇の花に手を翳してみた。手の色と比べても確かに青かった。しかし、花弁に触れた途端、薔薇は見る見る色褪せて白くなってしまった」
旦那さんが無造作に手で辺りの薔薇の花をガサガサと撫で回すと、薔薇は同様に白くなったという。
「そして日が昇るにつれて、薔薇は自然にその青色を失っていった。ほんの十数分で白い薔薇に戻ってしまったんだよ」
萱嶋さんはその村に一週間滞在して、毎朝花を見に行ったそうだが、薔薇が青くなったのは最初のその日だけだったそうだ。そのうちに花は全て散ってしまったという。
「気温や湿度、日照条件、土壌の成分もあるだろう。それらが全て揃った時にだけ青く発色する薔薇なのだろうね」
僕は改めて写真を見た。時間とともに色を変える薔薇の一瞬を切り取った写真。
「旦那さんや奥さんに言わせると、青い薔薇を見たいという想いの強さが薔薇を青く染めるのだそうだ。最初の日にわたしが青薔薇を見られたのも、その想いの強さがあったかららしい。非科学的な理由だけど、何故かそうかも知れないと思えたよ」
この青色の深さは、萱嶋さんの想いの強さなのか…吸い込まれそうな色に、何だか頭がクラクラしてきた。
「この薔薇には、深い青色に発色する色素があるということなんですね」
「青い色でいられる条件は、非常に微妙で不安定だけどね」
「でも、この薔薇を研究すれば、色褪せない、本当に青い薔薇が出来るかもしれないんだ…」
「…君だったらどうする?」
「え?」
「こんな深い青色の薔薇が生産出来たら、確かに素晴らしいことだと思う。でもその研究が始まれば、あの村はこのままではいられないはずだ。否応無く利権も絡んでくる。外から無遠慮に訪れる沢山の人たちによって何もかもが変わってしまう恐れがある」
その村で一晩を明かさなければ見られない、しかも確実に見られるという保証も無い貴重な青薔薇。
「…そうですね…」
僕も萱嶋さんも黙り込んでしまった。