薔薇園〜under the rose〜最終話
作:蒼馬要
数日後、梨優さんから電話があった。
萱嶋さんが旧古河庭園で撮った写真が届いたので、家に見に来いというのだ。
夕方、学校帰りに教えられた住所を探して行くと、梨優さんが道路に出て手を振っている。
「こっちこっち」
車庫の脇の門扉を入り、敷石の上を歩いていく。ちょっと昔に建てられた感じの家だ。
洋風の応接間に通されて畏まっていると、お盆に湯呑を乗せて梨優さんが入ってきた。
「晩御飯食べてくでしょ?」
「え、あ…」
返答に困っていると、後から品の良い御婦人が入ってきた。
「母です」
僕が慌てて立ち上がりお辞儀をすると、梨優さんが僕を紹介してくれた。
「梨優がお世話になっています。この子我侭でしょ、ご迷惑掛けてるんじゃないですか?」
「お母さんっ、余計なこと言わないでよ」
「いえ、そんな…」
「お兄ちゃんの写真見せるから来て」
梨優さんは急かすように、僕を部屋に連れて行った。
階段を上がって、南向きの和室。ちょっと意外だった。
「これ」
ライトアップされたブルームーンを前に佇む梨優さんを撮った一枚が、四つ切サイズのパネルに仕立てられてあり、鴨居にフックで掛けてある。
「はあ…」
溜息混じりに感心するしかなかった。
「これがオリジナル」
梨優さんは茶封筒から八つ切りサイズの写真をガサッと取り出すと、一枚を見せてくれる。
「うん」
こっちには隣りに僕が写っている。これはこれでいいと思うけど、でもやっぱり梨優さんと薔薇という構図の方が画面が締まってるな。さすがプロの仕事って感じだ。表情の捉え方もいいし。
「これは洋館の中を撮った写真ね」
別の茶封筒を渡された。洋館内を撮影した写真の一枚一枚にも、萱嶋さんの個性がさりげなく出ている感じがして、撮り方などを考えるだけでも勉強になる。
「この写真、しばらく貸してくれないかな」
「いいわよ。お兄ちゃんもそのつもりみたい」
梨優さんは気が付くと自分の写ったパネルを見ている。よっぽど嬉しいのだろうな。
「わたし、小学生の頃まで、お兄ちゃんのモデルをしてたの」
「え…」
梨優さんに言われて気が付いた。萱嶋さんの初期に発表された写真集の中に、可愛い女の子がよく出てきていたのだ。
「あれ、梨優さんなんだ」
「お兄ちゃんの写真が初めて大きな会社のイメージ広告に採用されて、わたしも本当はすっごく嬉しかったんだけど、学校で男の子たちにからかわれて、それで何となく写真に撮られるのが嫌になっちゃったの」
萱嶋さんも残念だったろうな…
「だから久しぶりなんだ、撮ってもらったの」
梨優さんは目を細めてパネルを眺めている。
「良かったですね」
「うん、まあね」
彼女が萱嶋さんに自分で咲かせた薔薇の花をプレゼントしたいと考えている理由は、ここにあるのかもしれない。
彼女なら、本当に青い薔薇を咲かせることができるかも知れない…ふと、そんな気持ちになった。
帰宅したお父さんにも紹介されて、晩御飯にすき焼きをご馳走になった。
お正月に帰省した時以来、久しぶりの団欒で嬉しかった。
玄関でお礼を言って帰ろうとすると、梨優さんが外まで見送ってくれた。
「お兄ちゃんが帰ってきたら連絡するから、また御飯食べに来てよ」
「うん、ありがとう」
どうしようかな、今言おうかな…よし
「…あのさ」「何?」
「もし、写真撮られるの、嫌じゃなかったら…モデルになってくれないかな…」
突然の申し出、断られるかもという覚悟もしていた。でも萱嶋さんが撮った梨優さんの写真を見て思った。僕にしか撮れない梨優さんを撮ってみたいって。
「都合がいい時で構わないんだ…けど…」
梨優さんは僕の顔をじっと見ている。
「デート込みなら、考えてあげてもいい」
「え?」
梨優さんは悪戯っぽく笑って手を振る。
「おやすみ」
つられて僕も手を振った。
「おやすみ…」
OKってことなのかな…
帰る道すがら考えた。二年先か、三年先か、もっとずっと先のことになるのかも知れないけど、もし青い薔薇が咲いてしまったらどうしよう?彼女はどんなに驚くだろう?
青薔薇の秘密を知っているのは萱嶋さんと僕だけなんだもの。萱島さんが居ない時は僕が彼女に説明しないといけないのだ。
そんな心配をしながら眠りについたからだろうか。僕はその晩、青薔薇の夢を見た。
明け方のひんやりとした空気を鼻から胸一杯に吸い込みながら、僕は梨優さんの家に向かって歩いていた。角を曲がると、空気の中に今までに嗅いだことのない不思議な甘い香りが混じってきた。
次第に強まっていく香りに惹き寄せらるように歩いていくと、彼女の家に辿り着く。
梨優さんの家の庭が、一面薔薇の茂みになっていて、彼女は嬉しそうな、困ったような、怒ったような、泣きそうな、複雑な表情で満開の青薔薇の中に佇んでいる。
僕は何から説明しようかと戸惑った。僕だって青薔薇を見るのは初めてなんだもの。
僕はゆっくりと深呼吸をして、彼女に囁いた。
「秘密を、守れる?」
薔薇が一層青味を増した。
終わり