D 死:Death
娘「お母さんこのパソコンどうするの。?」
母「どうするのって、とっとくわよ。」
娘「当たり前だよ、そんな事聞いてないよ。
中に何が入ってるか見てみないの。?」
母「そうだわね。メールが着てるかもしれないしネ。」
娘「えぇーっ、お父さんから。?」
母「馬鹿ね。お父さんに着るって事よ。」
娘「冗談だよ。でも待ってればほんとに着たりして。」
母「着ないわよ。だってお父さんパソコン持って行かなかったでしょ・・・。
そうね。何故そうしなかったんでしょ。
持って行けば着たかもしれないのにね。」
娘「まだ知らない人もいっぱいいるよね。たぶん。」
母「そうね。そういう人がメールよこして何故返信が着ないのか、
不思議がってるかもしれないわね。
お父さんのふりして返信しちゃおうかしら。」
娘「そうだよ。きっとわからないよ。そうしてみれば。
何かおもしろそう。
んぅーーん、でもやっぱ見ない方がいいかもよー。
不倫のメールとかもあるかも。」
母「そうね。その位色気があれば良かったけど。
仕事一所懸命しすぎたかしら。」
娘「へぇーっ、自信あるんだ。そんなメール着てないって。」
母「あるわよ。だってお父さんとお母さん初めて言うけど大恋愛だったんだもん。」
娘「あらま。初めて聞きますね。聞いても答えてもらった事無かったですけど。」
母「入社式で初めて会って、一年経たないで貴方が生まれたモン。」
娘「なにそれー。いやらしー。ただエッチだっただけじゃないの。」
母「これでもその頃は結構もてたのよ。お父さんはもてなかったけど。」
娘「えぇーっ。ひどーーい。私自信もってお父さんタイプだよ。
じゃ、お父さんのどこが良くて大恋愛になったのよー。
それがちゃんと言えないと、ただスケベだっただけだって娘は解釈しますからね。」
母「困ったモンね。こんな事話してる娘と母親は、居ないわよ。
お父さんが怒って出てくるわよ。何勝手に言ってるんだって。」
娘「・・・」
母「・・・」
母「さぁ、もう寝ましょ。明日は学校行くんでしょ。」
娘「まだ行きたくない。」
母「でもいつかは行かなきゃならないのよ。」
娘「お母さん、今度の誕生日に飲むはずだったワイン飲んじゃおか。」
母「何よ。お父さんに似て私ものんべーだって言いたいわけ。」
娘「そうそうそう。スケベなのは遺伝しなかったけど、
のんべーは遺伝したみたい。」
母「じゃ。ちゃんと料理の腕も遺伝したか見せて頂戴。
冷蔵庫にある物で美味しいつまみを作れるかしら。」
娘「あたぼーだよ。私が本気出したら舌巻くよ。」
母「へぇーっ。巻かしてもらおうじゃないのそんなら。」
娘「よし!!。腕まくりしちゃうよ。お母さん見てるだけだよ。
全部自分でやるんだから。」
母「はいはい。何もしませんよ。でも早くしないとワインがなくなっちゃいますよ。」
娘「ズルーーイ。飲まないで待ってるのがマナーだよ。」
母「ごめんなさいね。スケベなお母さんは待ってられないのよ。」
娘「なにそれー。ほんとにお父さん出てくるよー。」
母「あれ言い間違いちゃった。のんべーなお母さんって言おうとしたのよ。」
娘「ほんとですかー?」
母「さぁ、何か早くつくってワイン飲みましょ。」
娘「のんべーなので賛成!」
レフトP 〜パソコンの中のお父さん〜
D 死:Death
E 出会い:Encounter
A 通勤地獄:A commuters' hell
A 通勤地獄:A commuters' hell
「やれやれ今日も東京名物通勤地獄だな。」
昭夫はそれでもピーク時を避けて、8時には東京駅に着くのであったが、
それでも快適通勤とはほど遠かった。
「俺が長生きするなら肝硬変、短命なら通勤電車で一気にってやつだな。
でも超満員で空くまで倒れなくてさ、誰もわかんなかったりしてなー。」
悲しいかなこの予言が当たってしまった。
洋子が病院に駆けつけたときには、昭夫はすでにこの世の人ではなかった。
洋子は意外に冷静だった。ドナーの事を聞かれるな。イヤこちらから聞こう。
「ドナーカードを持っていたと思うんですが。」
「はい、お財布を調べさせて頂いたら入っていました。」
「その通りで結構です。急いで下さい。」
「・・・わかりました。すぐ手続きを取ります。」
何故か昭夫が「急げ急げ」と言っている気がした。
T ふたり:Two
「ドナーカードってどこに行けば置いてあんのかな。」
ふたりでカウンターに座り、日本酒を冷やで、お互い手酌で、
4合ほど飲み干そうとしていた時、昭夫が独り言のように言った。
えぇ。?確か役所とか、教習所にも置いてあった気がしたかな。
えぇ。?!違う。今日はこの人ちょっと酔っているのだ。
そして二人でそれを書かないか・・・。つまりプロポーズしているのだ。
「肝臓はまだ調子良さそうだから残しておきたいなー。やっぱ一杯やりたいモンなー。」
「・・・そうね。私もそうする。」
昭夫が洋子の眼を見た。洋子は微笑んだ。
「じゃ。我々の肝臓に乾杯だ。いいんだろ・・・それで。」
「いいわよ。じゃ今日も勝負だわ。」
H 心痛:heartache
「頭のいい子だよ。ちゃんとアフターファイブに生まれたモン。」
「ほんとに。でもごめんなさい。・・・。」
「大丈夫。すごく美人になるよ貴方に似て。」
「でも・・・。」
「大丈夫。俺キーボード教えるよ。しゃべれる前にパソコン覚えちゃうよ。」
「元気に明るく育つ。?」
「育つよ。でも気を付けないと親に似てのんべーになっちゃうぞ。」
「今からそんな心配。?やっぱり親に似ちゃうのかしら。」
「似るね。理屈っぽい所もね。」
「何でこうなったのって言われちゃうかしら。」
「言わないよ。人の気持ちがわかる子に育てるからね。」
「頑張って育てなくちゃね。」
「頑張らなくたって大丈夫だよ。俺たちの子だぞ。自然で大丈夫だよ。」
B 誕生:Born
いずみは未熟児ではなかったが右手が不自由に育つのは明らかだった。
昭夫が言う通りいずみは明るい子に育った。それには思わぬ事が功を奏していた。
左手の指が目にも止まらぬ早さで動き、
幼稚園では「パソコンのいずみちゃん」として有名人になった。
マスコミにも取り上げられ、身障者の子供がパソコンを使ってここまで・・・。
でも無邪気ないずみはわからない。
「お父さんにね、
解らない友達にやさしく教えるのがいずみの仕事だよって言われたの。」
「左手しか使えなくて大変じゃありませんか。?」
「えぇ、だって右手はマウスに使う手だもん。」
いじらしいくらいに純粋にいずみは育った。
いずみのそのデジタルぶりはただ者ではなかった。
「うちの子は手が不自由なものですから、
ノート代わりにノートパソコンを教室に持って行って 良いでしょうか。?」
「えぇ、全然構いませんよ。
お噂は聞いていますし、他の生徒さんの刺激にもなるでしょう。
これまで通りされたら如何でしょうか。」
O 公開:Open
小学校の女校長はそれがどういう事態に至るか想像もしていなかった。
ゴールデンウィーク前、その記事は新聞を飾った。
「小学一年生少女、HPで授業内容報告。先生も驚嘆
!。」
いずみの左手は授業中休みなぐキーボードを叩きまくり、その内容を綺麗にまとめて、
その日のうちに自分のHPの「いずみの授業」にアップロードしていたのだ。
父親でさえもここまでいずみがするとは思っていなかったが、
その指南役はいたずら心一杯の母親である事は明らかだった。
その発覚の発端はいずみの友達の欠席の言い訳の一言だった。
「休むとみんなにおいてがれて、ついて行けなくなっちゃうかもよ。
頑張って行った方がいいんじゃないの。?」
「大丈夫だよ。
だっていずみちゃんが休むときには私のホームページに何やったかでてるから、
見てねっていってたもん。」
「えぇ。HPに何やったかが出てるの。?」
「うちの娘が・・・。」
「ええ。そうなんです。なんかいずみはそれが生き甲斐になっちゃったみたいで、
誰か休んだら見てもらえるのになんて言ってるんですよ。
でもほんと是非ご覧になって下さいよ。」
そこには見事に絵や図入りで授業内容が説明されていた。
誰が観ても先生が授業で使うプレゼンテーションかと思われる内容だった。
先生たちは大騒ぎになった。変な質問されて答えられなかったらどうしよう。
しかしその心配はなかった。パソコンの使い方は母親に聞いたし、
それ以外はネットで探した。
いずみにとって先生が話す事を「デジタルに変換」する事が何よりの楽しみであり、
「仕事」になったのだった。
学校側も今更パソコンの持ち込みを断れなかった。
授業内容のアップロードも断れば、
「内容に問題でもあるのか?」との批判が怖かったし、
何より彼女が[スーパーデジタル少女」としてマスメディアから繰り返し取材を受け、
それは海外からも訪れ、ビル・ゲイツから訪問の打診があるに至っては、
学校の最高の宣伝になっていたし、アップロードが滞れば、
大騒ぎになることは明らかだった。
R 準備:Ready
いくら何でも飲み過ぎた。朝刊を読みながら二人とも評論家気取りで記事をつまみに語り合った。
だから夕飯時になってもいずみが寝ていて当たり前だった。
洋子は昭夫の机に座りパソコンの電源を入れた。画面が止まった。パスワードを要求する画面だ。
「親しき仲にも礼儀あり。って言うかさ親しき仲にも機密ありだからな。
俺は疑り深いから貴方が居ないとき貴方のパソコンのぞいちゃうかも。
絶対わからないパスワード設定しといてよ。!」
勿論昭夫の冗談だったが、「盗まれるって事もあるもんね。」
当然、昭夫のパソコンにはパスワードが設定してあった。
それまでそんな気になった事は無かったが、洋子は何としても「記録」を見なければと思った。
ありきたりのキーを叩いても無駄な事はわかっていた。メーカーに事情を話そう。
恐らく何か規則があって近親者はパスワードを教えてもらえるだろう。
「こういう種類のお問い合わせに関しましては専門の部署がありますので、
そちらにおつなぎします。」
こういう問い合わせは引きも切らないはずだ。当然だろう。
「お悔やみ申し上げます。当社の者がお邪魔しまして一応確認事項を「確認」させて頂きまして、
パスワードを調べさせて頂きます。それで宜しいでしょうか。」
パソコンの正規登録をしていたし、その妻が自分だ。全く問題はないはずだ。
その夜、洋子は昭夫から膨大な仕事を託された事を自覚した。
昭夫の全てではないにしても、「成果」は机の上にあるパソコンのHDDの中にある。
明日それを自分は見る。
昭夫が言っている気がした。
「結局死んだら見られちゃうんだな。でも本人しかわからない事もあるし。
死人に著作権ってあんのかな。」
N 接近:Near
ボーッとした顔をして目を擦りながら、いずみがやっと起きてきた。
「お父さんが見たら嘆くわよ!。」
「何で、未成年が二日酔いだからですか。?」
「違うわよ。父親も母親も二日酔いなんてしないのに、何で似なかったんだろうって。」
「お二人に比べられても困りますよ。ハァーッ。」
「そう言えばメーカーが明日お父さんのパソコンのパスワード調べに来るわよ。」
「何だ、お母さん教えてもらってなかったの。じゃーやっぱ中身が心配だね。」
その時電話が鳴った。昭夫の会社からだった。
「お線香を上げさせて頂こうと思いまして、参上させて頂いて宜しいでしょうか。?」
「はい、主人も喜びます。何時頃いらっしゃいますでしょうか。?」
「10時頃に伺いたいのですが。?」
メーカーが来る時間と同じだ。別に問題ないだろう。
「承知致しました。お待ちしております。」
C 循環:Cycle
「昭夫が倒れた」第一報は、洋子の携帯に病院からもたらされた。
「何で連絡先がないのかな。これじゃ意味無いよね。」
確かにドナーカードには署名欄のみで連絡先はない。
「携帯書いとけばいいわよね。どこでどうなるかわからないんだから。」
「ほんとそうだよな。そういう時の方が、ドナーになりやすいんだからな。」
互いに署名して携帯の番号も書いた。
勿論社員証を持っていたのだが、病院側はドナーカードを重視した。
すべては夫人に任された。洋子が会社と昭夫の兄に連絡を入れた時は、全てが終わっていた。
それでもすばらしい天気の午前中だった。
Y 過去:Yesterday
「社には機密規定がありますから。審査項目が結構厳しいんです。」
「ええ。わかっています。」
「実は今日お伺いしたのも、昭夫さんのパソコンに想定外の情報が残っていない事を確認するためのものです。」
しゃくしばった言い方で昭夫の同期、そして洋子の同期でもある横山が言った。
「想定外と言いますと。」
洋子は社内に居た身で、その事とは重々承知だった。
社は情報漏洩に関しては世界のトップクラスの体制が敷かれている−はずだった。
パソコンに外部デバイスを接続する事そのものが「スパイ行為」であるとされた。
監視のシステムは万全と思われた。
「実は一部データの流出がある可能性がありまして。」
「えぇ?。どういう事ですか。主人が疑われているという事ですか。」
「そうではありません。ただあるべき情報の一部が欠けている可能性があるという事です。」
「それは疑われているという事ですよね。」
「ですから昭夫さんのパソコンの中身を見せて頂ければその疑いが晴れると思い、お伺いした次第なんです。」
「・・・私が責任を持って見ます。私ならわかります。それでは駄目ですか。」
「えぇ。残念ですが駄目なんです。」
「ですが主人の物ですよ。何で会社に中身をのぞく権限があるんでしょう。」
「のぞくと言われますと少々心外ですが。」
「心外。? だって主人の人生が詰まっているんですよこのパソコンの中には。」
「それは勿論承知しております。」
「死んだ人にもプライバシーはあるでしょ。?」
洋子の眼が充血していた。まだ見ぬパソコンの中身を他人が見せろと言っている。
昭夫の人生がねじ曲げられる可能性がある。
「少し検索させて頂くだけですから、それこそ外部には漏れない事はお約束出来ます。」
「冗談じゃないよ。!」
いずみが声をあらげた。母親もそのトーンのいずみの声は初めてだった。
「だいたいデジタルセキュリティーというものは・・・。・・・。・・・。」
誰も反論できなかった。ビル・ゲイツが小学生の時に会いに来て、
政府の政策委員にまでなったスーパー少女である。
その理路整然様に皆黙りこくった。
CLE 強奪:Clean out
「はい。わかりました。」メーカーの作業員の一言が沈黙を破った。
その瞬間。いずみが思わぬ行動に出た。メーカーの作業員が後ろを振り返った瞬間に、
電源コードを抜き去り、パソコンを抱きかかえ一目散に走り出した。
「いずみ!」
「お嬢さん!」
「しばらく家出しまーーす。」
洋子と横山はあっけにとられた。
「一体どこ行くの。!」
言いながら母は玄関にいずみを追ったが、いずみの走りっぷりは軽やかだった。
まるで父親の思い出を独り占めして、羽が生えたように。
JFZGK 偉人:A great man
「おぉーじぃーさんん。」
「こらー。おじさんじゃないぞ。総支配人だぞ。」
そう言うと、その黒服を着た紳士はいずみを少し持ち上げる様に強く抱きしめ、
おでこにキスした。
「痛いよ総支配人ん。」
「お母さんから電話があったぞ。ここに来なかったらどうしようって言って泣いてたぞ。」
「やっべー。読まれたか。家出失敗だ。」
「これがお父さんのパソコンだな。」
「そうだよ。重要機密が入っているんだよ。それを私が解読するってわけ。」
「はーい。わかりましたお嬢様。VIPルームをご用意致します。」
「んんーん。よろしい。支払いはカードで頼むぞ。」
「はい。承知致しました。」
昭夫の年の離れた兄は、大手の老舗ホテルの総支配人をしていた。
両親を早くになくした昭夫の親代わりとして昭夫が何不自由しないだけ、
兄は必死に働いた。
高卒にして独学で英語を学び、総支配人まで上り詰めた。
嘗ての外タレ人気グループから近年のビルゲイツまでこのホテルを利用した。
叩き上げの支配人として彼は他のホテル支配人からも一目置かれる存在となっていた。
F 後世:futurity
一体何処に行ってしまったのだろうか。昭夫と会社の信頼関係は。
洋子は会社と個人の関係について今まで冷静に考えてこなかった自分に腹が立った。
会社にこれまで昭夫がしてきた貢献も巧く説明できないし、疑われても反論できない。
何のための会社で、何のための個人か。単なる利益を生み出す企業と雇われ人か。
この会社で出会い、人生を決意した二人にとって、会社は第二の故郷だった。
みんな仲良く励まし合って働き、この会社が成功する未来を夢に描いた。
その会社が昭夫を疑っている。死んで何も出来ない人間を。
Z 無:Zero
社のデジタルセキュリティーは、同クラスの会社のそれより優れていた
・・・はずだった。
社内の各パソコンの状態、つまりOSから各種アプリのバージョンアップまで、
全てを「中央」は把握していた。
大容量の接続ユニットは装備していなかったし、外部デバイスの接続があれば、
記録に残り、データをコピーあるいは移動するには承認を必要としていた。規則では。
G 相違:Gap
しかし昭夫は時々情報?を持ち帰った。
「バックアップサーバーは我が家のパソコンだから、厳重警備をよろしく。」
会社も昭夫が情報?を持ち帰っていた事は知っていたはずだった。
規則を超えた慣習が存在した。
誰もが誰がどのデータの管理者なのか把握出来ていたし、誰もが責任者だった。
もっとも昭夫と洋子が勤めていた時代の部は、所属十数人。それが今や、数百人。
社員の三分の一が所属する部となっていた。
情報?持ち出しが事実なら、当人が死んだら、「情報漏洩、内規違反」。
法的にいったら反論しようはない。
持ち出した情報?の内容も意味も解らない。
K 保管者:Keeper
「And so, my daughter:
ask not what your father can do for you--ask what you
can do for your family.
だよね。お父さん。John FitZGerald
Kennedy→JFZGK。Enter!」
パスワードはいずみにとって「なーーんだそうか」とうなずく文字列だった。
いずみは物心付いてから良く両親に聞いたものだった。
「育てるのに困ったな、大変だなーって思わなかった。?」
「思わなかったよ。いずみも子供が出来れば解るよ。」
「そうかなー。でもお陰でゲイツにも会えたしね。」
「いずみゴメンナ。お父さん長生き出来なかったみたいだな。
でもいずみが俺の遺産を見てくれてほんとにうれしいよ。」
「いずみへ」というフォルダがあった。
そこにはいずみの成長観察記と画像と映像と「遺書」があった。
勿論、膨大な昭夫と洋子のメールの送受信歴もそのまま残されていた。
いずみは昭夫と洋子が最初に交わしたメールから
生前最後のメールまでを知ることとなった。
出会って燃え上がる様子が見て取れた。母:洋子が積極的なのが印象的だ。
「お母さんがお父さんを選んだんだ。」いずみはやっぱりと思った。
「お父さんかっこよくないでしょ。
でも親子は似るから、いずみもお父さんみたいな人好きになるわよ。」
「何でわかるのー。」
「だって貴方は普通の女の子みたいにかっこいいアイドルなんかにぜーんぜん
興味持ったりしないじゃない。」
言われてみればそうだった。いずみは全くどころか知りもしなかった。
普通の少女と違っていずみは物心ついてからテレビではなく、
インターネットを通して世の中を見ていた。
そこには意外にアイドルはいなかった。
V 正当性:Validity
「デジタル少女のいずみちゃんに捜索願が出ました。」
「えぇ?」
自宅の洋子は、テレビを振り返った。
「捜索願を出したのは家族ではなく、
先日亡くなったいずみちゃんの父親の勤めていた会社です。
記者会見の模様です。」
「・・・いずみちゃんが持参している亡くなられた昭夫さんのパソコンには、
当社の機密データが保存されている可能性があり、
内部を参照!させて頂きたいと申し願いましたが、応じてもらえず、
裁判等強硬な手段に出ることは避けたい思いから、今回このような会見を開き、
自主的に開示を申し出て頂きたいと願う次第であります。」
全く不思議で異例の会見だ。その異様さは、記者と会社側の質疑で激しさを増した。
「いずみちゃんは何処にいるか解らないということですね。?」
「そうです。」
「そのパソコンは昭夫さんが自宅で使用していた物ということですね。?」
「そうです。」
「購入したのは会社でなく昭夫さんですか?」
「そうです。」
「個人の所有物ということになるのでしょうか?」
「そうなります。」
「自宅のパソコンに何で会社のデータがあるのでしょうか。
何でそういった疑いを持たれたのでしょうか。?」
「昭夫さんが亡くなりました後に、
昭夫さんが会社で使っておりましたパソコンの操作記録を調べていた所、
一部のデータを取り出した可能性があるという事が判りました。」
「それは何時の記録でしょうか。?」
「亡くなられた後です。」
「違います。いつ頃行った操作の記録ですか。?」
「具体的なことは申し上げられませんが、
複数回行った可能性があると聞いております。」
「具体的な記録の資料はあるのですか。?」
「あります。お見せすることは出来ませんが、あります。」
「もし裁判ということになりましたら、提出することになりますか。?」
「裁判は全く考えておりません。
昭夫さんは当社に多大なる貢献をして頂いた社員でした。
今回の件も昭夫さんが仕事熱心な余り行った行為と考えておりまして、
悪意や社に迷惑を掛けるつもりはなかったものと考えております。」
「そもそも会社のパソコンのデータを持ち出すことは可能なんですか。?」
「えぇーー。具体的な方法に関しては申し上げられませんが、可能は可能です。」
「社内規定等の違反にはなるわけですよね。?」
「はい、入社時に当社が設けております機密規定にサインを頂いております。
それに関しては違反していると考えられます。もしそういう行為があったならば、
ということですが。」
「100%確実に持ち出されたかどうか解らないということですか?」
「操作記録から見ますと確実ですが、100%とは言い切れません。
それを確認する意味でも、パソコンの中身、
具体的にはハードディスクを検索させて頂きたい、ということです。」
「亡くなる前にですね、
昭夫さんがそのような操作を行っているとは判らなかったんでしょうか。?」
「・・・・。」
「そういうことが判る体制にはなっていなかったということでしょうか。?」
「・・・・・・・・・。」
痛い質問だった。会社側も予想はしていたが、
質疑を続ければそこに行き着くのは明らかだった。
会社はどの様な情報セキュリティー体制を敷いていたのか。
データの流出を、常時!監視し、それを防げる体制がなかったのか。
会社側はこの会見のリスクをしみじみ感じるしかなかった。
「当社の情報セキュリティー体制をより強固なものにするためにも、
データの持ち出しがあったか無かったか、あったとすればどの様に行われたのか、
二度とそのようなことが起こらない様にするにはどうしたらよいか、
そういったことを検討するためにも、是非昭夫さんのパソコンを調べさせて欲しい。
そういうお願いで御座います。」
「洋子さんが会見するという話がある様なんですがご存じでしょうか?」
「聞いておりません。出来ればそういう形でなく、
直接ご相談させて頂けないかとそういうお願いをしたいために、
えぇー今回こういう場を持たせて頂いたわけで御座います。」
「こういう会見を開かずにですね、直接お願いなり説得なりをですね、
続けられた方がですね事態が好転する、
といった判断はなさらなかったのでしょうか。」
「そういう考え方もあるとは思いますが、万が一、情報漏洩があり、
それが間違ってネットなどに流出したりしますと、
一刻を争う問題となりますので、早い方がよい、
風評被害等も心配されるという判断をしました。」
会社側の態度は全くちぐはぐだった。
雲をつかむ様な会見を開けば、会社の評価は下がり、
株価に影響するのは明らかだった。
M いちかばちか:Make-or-break
案の定、株価は翌日ストップ安となった。会社は沈黙を保った。
洋子の元へ記者が殺到した。
洋子は会見の日時と場所だけ紙に書いて玄関に貼り付けた。
会見場はいずみがいる、昭夫の兄が支配人を務めるホテルだった。
マスコミはそのホテルの支配人が昭夫の兄であることを直ぐに突き止めた。
名字が同じなのだから当然だった。そして、いずみがそこに匿われている、
隠れていることは容易に想像された。
記者は一斉にホテルに殺到した。しかし遅かった。
超VIPの扱いに慣れたそのホテルは、既に万全の体制を敷いていた。
VIPには向から近づいて来ない限り近づけなかった。
会見は通常では考えられない時間から始まった。
23時過ぎ。昭夫と洋子が遅い夕食を摂りながら、晩酌を酌み交わした、
短い団欒のひととき、その時間に洋子は昭夫と共に会見に向かったのだ。
「はじめにこのような時間に会見を開くことに関して、
お詫びを述べさせて頂きたいと思います。
またこのような時間にもかかわらず、
たくさんの方が関心を持ってお越し頂いたことに感謝申し上げます。
主人と私が結婚以来、他のサラリーマン家庭も同様かと思いますが、
一家団欒のひとときをもてるのは、
残念ながらこのくらいの時間のほんとうに短いひとときでしか有りませんでした。
こちらの我が儘で申し訳御座いませんが、
主人といずみと三人で会見に向かいたいために、
あえてこの時間を選ばせて頂きました。」
X 仲介役:Mr.X
会見の席には、司会者として昭夫の兄、洋子、いずみ、
そしてもう一人中年の紳士が出席していた。
その紳士が登場した時、会場はどっとどよめいた。
「会社の方々が裁判等を望まないという立場である限りは、
私どもも弁護士さんに相談するといったことは、避けたいと思っております。
しかし、私と娘の二人ではどうやっても主人の無実を証明するのは
不可能だと思いました。
そこで主人が所有しておりましたパソコンのメーカーであります、
日本GBM社さんにご相談しましたところ、
谷垣社長さまから仲介役を引き受けても良いというお話を頂きました。
私どもはパソコンの専門家でもありませんし、
一体どうしてよいかわからないものですから、
ありがたく谷垣社長様に仲介役をお願いすることになりました。」
洋子は言及しなかったが、実は昭夫の兄と谷垣社長は古い友人だった。
昭夫自身も谷垣社長と顔見知りだった。
兄も交えた会食の席で谷垣社長から渡されたプレゼントが、残されたパソコンだった。
谷垣は自ら仲裁役を買って出た。
あのパソコンのことは自分が一番よく知っていると自負していた。
何しろ自分はハードディスク畑を歩いてきた技術屋だった。
W なぜ?:WHY?
「えぇー、日本GBMの谷垣で御座います。
実は昭夫さんとは、現在この会見を開いておりますホテルの支配人、
先程、我々を紹介して下さいました司会者がその方ですが、彼、・・・、
彼なんて言ったら失礼かな、:::、
お兄様を通じましての古い友人で御座います。
その昭夫さんに、不幸にして突然死された後になって、
今回のような根拠のはっきりしない疑いがかけられましたことは、
残された家族、私を含めた友人等々にとりまして断腸の思いで御座います。」
洋子は真っ直ぐ前を見据えていた。まばたきと同時に大粒の涙がほほをつたった。
カメラのフラッシュがいっせいに焚かれた。
いずみは顔を下に向け、それこそ滝のように流れる涙をぬぐいもしなかった。
夫の、父親の、突然訪れた死の悲しみを癒す間もなく、
ふたりを襲った雲をつかむような試練は、
余りにも現代的で、屈辱的で、一方的で、善悪の範疇を超えていた。
U 理解:Understanding
「当社の技術を結集しましてハードディスク内部の分析を行っておりますが、
今のところ研究データらしきデータは見つかっておりません。
そのようなデータが削除された痕跡も見つかっておりません。
そもそもどういう種類の情報の流出があったのか、
なかったのかがはっきりしておりません。
したがいましてどういう方法を採れば、
昭夫さんの無実を証明できるのかが解りません。
一つの可能性として洋子さん、いずみさんと相談しておりますのは、
ハードディスクそのものを包み隠さず皆さんに見て頂こうというものです。
具体的に申しますと、出荷時段階でハードディスクに既にあった情報、
加えて後にアプリケーションとして内蔵された情報、
そういった情報を除いた、メールの過去歴であるとか、家族のデータであるとか、
そういったものをすべて包み隠さず数ギカ程度のHDに入れて、
「出版」してしまおうというものです。
勿論、ご家族以外の方のプライバシー等の問題も御座いますので、
慎重に相談しながら、相手の方のご意向も聞きながら、
削除すべきものは削除致しますが、
この『出版』によって皆さんに昭夫さんの人柄や家族愛、愛社精神といったものを、
間違いなく感じ取って頂けると確信しております。
この『出版』によって昭夫さんの
『人生のトレーサビリティ』が十分に発揮されればと、
期待しております。」
Q 辞職:Quit
「冗談じゃないよ。まったく。
俺は会社の事を考えて業務終了時間まで待って、
それからメールしようと思ってたのに。何だよ。
4時半過ぎたら繋がらなくなってんだもん。参っちゃうよ。
会社の就業規則がどうなってるか知らないけどさー。
4時半で終わりじゃないだろ。
いったいどーやって退社の挨拶をすりゃーいいんだよ。もぉー。
アドレスしか知らない人もいっぱいいるのにさぁー。」
その男は居酒屋で会社の同僚に送別会をやってもらっている様子だった。
しかし当の本人は憤懣やるかたない。
「しかしさぁー。俺も賢いね。
こんな事もあろうかと、ちゃんと先週、
家のパソコンにバックアップしといたからさ。
ちょっと工夫してさ、USBメモリに殆ど取れたよ。
いやーよかったよ録っておいて。」
さっきと違い男の顔は自慢げだ。
そのちょっとの工夫が世間を騒がすとはまるで想像せずに。
S 許可:Sanction
「おぉー。そうだよ。お互い行方不明じゃしょうがないからな。」
「でもやっぱおれじゃー権限無いみたいだな。
信用無いのか、平だからかわかんないけどな。」
「そらゃー平だからだよ。」
「お前も言うなー。あっはぁっはぁー。」
恐る恐る浜崎はUSBメモリーを差し込み、アドレス帳のコピーを試みたが、
駄目だった。
そして同期で部長にまで出世し、
リストラ組で万年平だった自分と全く違う立場になっていた、
飲み仲間の昭夫に相談を持ちかけた。
「俺ならたぶん大丈夫なはずだからやってみっか。」
そんなことは重々承知な昭夫だったが、
浜崎の退職前の心情を気遣って茶目っ気たっぷりにこう言った。
無事アドレス帳はコピーされた。
そして昭夫はウインクしながらもう一つのフォルダをコピーした。
「おぉー、いいのかよ」画面を見ていた浜崎が言った。
「いいんだよー、俺だって結構偉いんだぜ、プレゼントだよ。」
それは浜崎が初めて取り組んだ新製品の企画のフォルダだった。
そしてその企画は×だった。結果として浜崎は退社の運びとなった。
浜崎は知らなかったが、最後のチャンスを与えてやってくれと会社に頼み込み、
いやがる浜崎に企画を出させたのも昭夫なら、その企画に×を付けたのも浜崎だった。
昭夫は浜崎に会社に足跡を残して欲しかった。目的は達せられた。
L 最後の:Last
拝啓
時下ますますご健勝のこととお喜び申しあげます。
さて、私ことこの度一身上の都合により泉酒造株式会社を退社することになりました。
在勤中はひとかたならぬご厚情を賜りありがたく御礼申し上げます。
これからもよろしくご指導くださいますようお願いもし上げます。
とりあえずお知らせをかねてご挨拶申し上げます。
お酒が好きで会社にお世話になった私ですが、
実に多くの方々の努力によって製品が生み出されていることを知りました。
またお酒に関係した仕事に携わることが出来ればと今は考えております。
その際には改めてご挨拶させて頂きます。
皆様それまでお元気で。
敬具
ヨシ、これでいいだろう。
みんな仲間だからな、全員に送っちゃおう。
酒の蘊蓄に掛けては、自他共に認める浜崎であったが、
極めてアナログな人間であった。
仕事の進捗にもそれはかなり影響し・て・し・ま・っ・て・い・た。
浜崎のご挨拶メールは、浜崎のプライベイトアドレスから、
会社の昭夫のパソコンのアドレス帳にある全宛先に送信されることとなった。