中山道旅籠案内 亀丸屋旅館<垂井宿>


亀丸屋旅館の外観 上段の間の丸窓 鶯張りの廊下

*亀丸屋旅館

標準料金 1泊2食付 7,000〜8,000円(込込)
住所、電話 〒503-21 岐阜県不破郡垂井町垂井1199 TEL(0584)22-0209
街道と宿場 中山道垂井宿
講中の指定 文明講、浪速講の指定旅籠
創業 1777年(安永6年)の創業
建物 創業当時の建物が残り、鉄砲窓や上段の間、鶯張りの廊下がある

<宿泊記録>

1997年4月26日(土) 1泊2食付 7,350円(込込)で泊まる。

 大垣駅で17:25発米原行に乗り換え数分で垂井駅に着いた。駅で旅館までの道をたずねたが、「聞いたことない旅館だなー。」という返事、それでも色々調べてくれてやっとわかった。結構近く、徒歩10分位だろうとのことで、のんびりと歩き出した。駅前の道をまっすぐ行くと旧中山道に行き当たり、橋のたもとに出た。どうやらそこからが垂井宿のはじまりのようで案内板があった。そこから、旧中山道に沿って宿場の街並みに入っていくと程なくして道の正面に古風な建物が見えてきた。それが、亀丸屋で道はそこで枡形となって曲がっている。近づいてみると東側2階には鉄砲窓、南側には格子があり、建物の前の案内板には安永7年(1778)に建てられ、浪速講、文明講の指定宿とある。中に入ると所々改造が見られるが、骨組みは昔のままだ。

 女将さんが出てきて、親切に応対してくれて、離れの上段の間には先客がいるとのことで、次の間に案内された。廊下は鶯張りで歩くと、きゅっ、きゅっと音がする。部屋には立派な床の間があり、そこに変わった物が置いてある。近づいてよく見ると、どうやら刀掛のようだ。こんなものを置いてあったって、今では使う人はいないだろうにと部屋の中を見回してみると、いたって古風な造りで隣室とはふすま1枚、まさに昔のままだ。すごく落ち着いた感じがして、古いけどとても気に入った。一息入れてから、入浴したが、さすがに風呂は改造されていてポリバスとはなっていたものの、昔風の木桶が置いてあった。のんびり浸かって、旅の疲れを癒し、上がってから夕食となる。
「4月28日 快晴。
 (中略)
7時前、垂井駅、丸亀屋金子方、宿。
夕飯、(汁) 干し大根 (平) 竹の子、玉子とし (焼き物) 塩ほら
濃・江両国之間にて、土人、怪我するを、あやまちと云。

   29日 晴。
朝飯、(汁) 豆腐 (平) わらひ、ふ、ふき、椎茸、焼豆腐 (焼き物) 塩鰤
 (後略)


『文化10年(1813)仙台下向日記』 升屋平右衛門山片重芳著

 日本酒をたのんだら、ビールしか置いていないとのことで、隣の酒屋で買ってきて飲んでくれと言われ、少々驚いた。まあしかし、自分で好きな酒を買ってきて安く飲むのも良いかと思い、買いに出かけた。ほんとうに面白い宿だ。ほど良く冷えた3合ビン(900円)を買い求めて戻ってきて、食事となった。食卓には豪華ではないが、家庭料理が並び、おいしくいただき、かつ、飲みながら女将の話を聞いた。この建物は江戸時代の物で220年ほどたっているとのこと。昔は、妻入りだったのだが、道路の角切りをするときに玄関の所を削られて、現在のような平入りになったと言う。先日、福島の猪苗代の親子連れがみえて、蔵から出てきた明治18年の道中日記(ひいおじいさんが書いた物)が出てきて、それに基づいて福島民友新聞に連載したが、その足跡をたどってみえたとのことで、その当時の建物が残されていて感激していたと話してくれた。その話を聞いていて、先日図書館で見た「升屋平右衛門重芳の仙台下向日記」の中に垂井宿で『丸亀屋金子方、宿』とあって、夕食と朝食の献立が書いてあることを思い出した。そこで、この宿場に丸亀屋というのはなかったか聞いてみたところ「そういう家 は聞いたことないし、よくうちが丸亀屋と間違えられるので、ひよっとするとうちのことかもしれない。」とのことだった。さらに、「先年お寺の住職がお宅の昔の献立が載っている文献があると話していた。」とのことなのでそれがその文献かも知れないと思い、帰宅したらコピーを送ることを約した。そんなこんなで話がはずんだが、昔ながらの宿でないと聞けない貴重な話ばかりで、とても楽しい夕餉となった。夕食後、その福島民友新聞連載のコピーを貸してもらい、部屋で読んだが、なかなか興味深いものだった。その後、少しテレビを見、本を読んで寝る。

 翌日は朝6時半頃起床し、7時過ぎから、朝の散歩に出かけた。まず、西の見付を目指したが、南宮大社の大鳥居、油屋跡、本龍寺(山門や元の書院の玄関は旧脇本陣からの移築)など、とぎれとぎれに残る古い街並みとともに結構見所がある。特に、本龍寺内にあった時雨庵は松尾芭蕉ゆかりの地で、芭蕉が元禄4年(1691)にこの寺の住職を訪ね、冬籠して詠んだ句「作り木の 庭をいさめる 時雨かな」にちなんで建てられた物で、脇にその句碑が立っていた。意外なところで大好きな芭蕉の足跡に行き当たり、しばし感慨にふけっていた。そこから、少し行くと西の見付で、かの広重の浮世絵に描かれた場所だが、松並木はなくなっていた。そこから引き返し、長屋屋敷跡の大椿、そして垂井の清水と見ながら歩いた。清水は大ケヤキの根本からこんこんと湧き出していて、池になり、大きな鯉が泳いでいる。とてもきれいで、水が澄み、しばらくたたずみながらカメラを向け、何枚かシャッターをきった。

 8時に宿に戻り、朝食となったが、その後宿の中を案内してもらう。2階に上がると、押入の中に隠し階段があり、窓からは街道がよく見渡され、敵が来たときに、鉄砲を打ちかけることが出来たという鉄砲窓が残されていた。それ以外にも昔の人の考えた様々な工夫が施されていて、女将の説明にいちいち頷かされた。濃尾大地震ではこの宿場も大きな被害を受けたが、この建物は倒壊しないで残ったものの、離れの方は建物がねじれていると廊下を指さしながら語ってくれた。それにしても親切に応対してくれて、ほんとうに感謝のいたりだ。話を聞いていたら、結構時間がかかり、出立が遅れ、9時過ぎに宿を出ることになってしまったが、機会があったらぜひまた泊まってみたいと思いつつ、駅への道を急いだ。


夕食 朝食

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