離島めぐり(2) <奄美諸島を訪ねて---鹿児島県>
1998.1.9−15

奄美諸島の花

奄美諸島の蝶

*1998年1月14日(水)  名瀬→きびの郷磯平パーク→古仁屋→加計呂麻島
名瀬市立奄美博物館
移築復元された奄美諸島の民家

・レンタカーを借り、島一周へ

 朝7時前に目が覚めたが、外は雨が降り続いている。朝の散歩に出るのをあきらめ、7時半から朝食を食べた。この宿(旅館花月)は常連客が多いせいか、宿の人と泊まり客が和やかに談笑しながら同じテーブルで食事をとっている。食事を終え、一端部屋に戻ってから、荷物をまとめレンタカー屋が迎えにくるのを待った。時間どおり8時半にやってきて、マツダレンタカーの営業所へ連れていってくれた。ここで、軽自動車を2日間借り、名瀬空港の営業所の方へ返すことにして、島一周ドライブへと出発した。

・奄美博物館を見学

 先ず、市内を通り抜けて、名瀬市立奄美博物館へと向かった。9時の開館と同時に受付を通り、館内を見学したが、戦後の奄美諸島の祖国復帰運動について新たな知識を得た。また、3階の自然についての展示コーナーでは奄美諸島の蝶の標本に目が止まった。与論島で見て、写真に撮った蝶の名前がイシガケチョウ、ツマベニチョウなどであることが分かったのは大きな収穫だった。外に出ると、昔の奄美諸島の茅葺き住居が移築復元されていた。母屋と水屋が別れた独特の造りで、昔はこういう家がいたるところにあったとある。博物館にあった1960年代の古い写真では名瀬市内でもまだ茅葺き民家が多数残っていた。今では近代的な建物に変わって、全く見られなくなってしまった。
大和村のきびの郷磯平パーク

・雨の中北部海岸沿いを走る

 そんな町並みを車で通りすぎ、北部の海岸沿いの県道を西に向かったが、雨が激しくなってきた。途中、大浜海岸の方に下りてみたが、雨足が強く、とても車外に出て散策などできそうもない。せっかくきれいな海岸線が広がっているというのに、天を恨めしく思って、そのまま車を返し、ひたすらに西に向かって走らせた。右手に海を眺め、雨さえ降っていなければとても良いドライブコースなのだが、残念でならない。それでも1時間ほど走って大和村のきびの郷磯平パークに立ち寄ってみたが、相変わらず雨が降り続いている。昔のさとうきび絞りの様子が復元されているが、季節外れのせいか実演はしていなく、施設も閉じられていて人一人いない。何枚か写真を撮っただけで車に戻ってしまった。ここからの道がなかなかたいへんだった。入り組んだ海岸線に沿って、高低差のある道路が曲がりくねって続いている。雨の降る中、右に左にとハンドルを切りながらひたすらに古仁屋港を目指して進んでいった。宇検村に入ると、内海の静かできれいな入江が続いている。少し天候が回復してきたので、時々車を停めて、海を眺めてみたが、人気もなくおだやかな海が広がっている。
静かな入江が続く大島海峡

・古仁屋から加計呂麻島生間港へ

 そんな海岸線をさらに車を走らせて、やっと昼過ぎに瀬戸内町の中心古仁屋へとたどり着いた。どこか昼食を取れるところはないかと探したが、なかなか見つからない。車をぐるぐると回して、港の待合所の近くに大衆食堂を見つけた。焼魚定食を食べていたら、その店の飼い犬が横に来てちょこんと座り、うらめしそうにこちらをみている。おこぼれでもちょうだいできないかといった感じだ。ちょっとあげようかともおもったが、癖になるといけないと考え、思い止まった。小休止できて、腹を満たすとともに運転の疲れをとった。そこでまだ、フェリーの出航まで時間があったので、町の歴史民俗資料館へ行ってみることにした。民俗的な展示が中心だったが、見学しながら時間をつぶし、手頃な時刻にフェリー乗り場へと戻ってきた。入港してきたのは車数台乗せれば一杯になってしまうような小型の船だったが、乗った車は私の一台だけで、後は徒歩の乗客だった。ほぼ定刻通り15時25分に“フェリーかけろま”は出航して、加計呂麻島の生間港へと向かい、所要20分で静かな海峡を渡って、あまり人気のない入江へと入っていった。
フェリーかけろま

・加計呂麻島南部を巡る

 先ず、南の方から島を一周してみようとしたが、こんな僻地の離島でも自動車道は思ったより整備されていて、ほとんど舗装されていた。しかし、狭くて曲がりくねった道が多いのは地形上やむをえないところか。南端をぐるっと回って、西海岸の諸鈍長浜に出た。海岸線に立派なディゴの並木があり、隣の請島も望めて、なかなかよい景色だ。観光地化されていない素朴さがとても気に入った。かつては茅葺きだった民家も屋根だけはトタンに変わったが、昔ながらのたたずまいを見せている。再び生間港へと出てきて、そこからは北に進路をとった。静かできれいな入江が小さな半島に区切られて次々に登場する。
島尾俊雄の文学碑
特攻水雷艇「震洋」

・呑之浦の特攻基地跡にたたずむ

 この入江が、50数年前には太平洋戦争の最前線になったとは思えないほどだ。そんな一つ、呑之浦の海岸縁に島尾俊雄の文学碑が建っていた。「出発は逐に訪れず」「死の棘」など自身の特攻隊長としての体験を元にした作品群が知られているが、この地にその特攻基地があったことは初めてわかった。遊歩道に沿って歩いてみると所々にコンクリート製の横穴があって、その一つに海軍の特攻水雷艇「震洋」が復元して置いてあった。モーターボートの先端に爆薬を付け、敵艦船に特攻したものだが、いかにもちゃちな感じがした。こんなもので、果して戦果が上げられたのだろうか疑問に思った。しばらくの間、全く人影のない、おだやかな入江を眺めながら、半世紀前の戦争に心をいたし、その場で追想していた。もう、日が傾きはじめているので先を急ぎ、瀬相港から山越えをして再び西海岸の西阿室集落へと向かったが、途中、徳州会の加計呂麻病院の立派な建物があり、こんな離島にとちょっと異質な感じを受けた。

・西阿室集落の民宿「南龍」へ到着
茅葺き屋根の残る南龍(民宿)

 今日泊まる民宿は西阿室集落の中の小径沿いにあり、看板も出ていなかったので、前を通りすぎてしまった。村人に教えられてやっとたどり着いたが、ここには昔ながらの茅葺き民家が残されていた。通されたのは瓦葺きの母屋の方だったが、夏には希望する青年たちがその茅葺き屋根にも泊まると聞いた。最初にお茶請けとして出された黒糖を使った手作りのちまきがとても美味しかった。一服してから、別棟の浴室で汗を流し、食堂での夕食となったが、私の他にも2人の泊まり客がいた。仕事で来ているとのことだったが、来るだけでも大変だったろうと思わずにはいられなかった。主人の話ではこの辺ではあまりさしたる仕事もなく、年寄りが年金で暮らしている場合が多いという。その分には気候も温暖で、自然に恵まれとても良いところだという。漁業も自分が食べる分くらいしか取っていないという。そんな話を聞きながら、島酒(黒糖焼酎)を飲み、かつ食べた。とても楽しい食事をして、後は部屋に戻って、こたつに入って本を読み、そのまま寝てしまった。しかし、夜半には激しい豪雨があり、雨音に目を覚まし、台風のような状態に一抹の不安を感じた。

☆南龍(民宿)に泊まる。<1泊2食付 6,000円(込込)>

南龍(民宿)のデータ
標準料金 1泊2食付 6,000円〜(込込)
住所、電話 〒894-23 鹿児島県大島郡瀬戸内町西阿室 TEL(09977)5-0159
交通 町営フェリー瀬相港下船後加計呂麻バス西阿室行き終点下車徒歩1分
特徴 夕日が美しい海岸まで徒歩1分、魚介類中心とした島の味が美味。
手作りのちまき
南龍(民宿)の夕食 南龍(民宿)の朝食

*1998年1月15日(木)  加計呂麻島→古仁屋→あやまる岬→新奄美空港
夕日が美しい西阿室の海岸

・朝の散歩に出る
高台から集落が一望できる村社

  朝6時半頃に起床し、昨晩の豪雨を反芻してみたが、外の雨はもう収まっていた。散歩に行っても大丈夫な様子になったので、7時過ぎから出かけてみた。民宿のすぐ前に海岸線が広がっており、小さな漁港もあり、遠景に与路島が見えている。ここの日没の情景はすばらしいと聞いていたが、昨日の天候では望むべくもなかった。しばらく、海浜をぶらついてから、集落の中のほうに入っていった。とても静かで、人影も少なく、所々に昔ながらの石灰岩の石垣に囲まれた民家が残っている。以前は茅葺きであったのだろうが、今は屋根だけはトタンに置き代わってしまっている。中には、くずれかけた民家や石垣だけで家屋のなくなっているものも見受けられる。そんな空間に離島の現実を見る思いがした。村社の高台に登ってみると、集落から海までが見渡され、小さな入江に脈々と続けられてきた営みを考えずにはいられなかった。民宿に戻って、8時前から朝食となったが、昨晩の豪雨が話題となった。「道路が崖崩れで普通になっていなければよいが?」の主人の言葉に不安がかき立てられたが、いまさらどうしようもない。

・島北端の実久へ向かう
実久三次郎神社

 思い出深き宿を8時半には出発して、島北端の実久へ向かってみることにした。心配していた豪雨の影響もあまりなく、道路も整備されていて、順調に走ることができた。右側に内海の入江を見ながら進み、1時間弱で北端にたどり着いた。静かな入江に望み、風光明媚な集落なのだが、人影もなくとてもさびしい。石灰岩の石垣の中に崩れかけた民家がある。そのとなりは、石垣だけで空地となってしまっている。車を置いて歩いてみたが、過疎による集落の荒廃は目に余るものがある。集落内の小径を歩いていたら、川端に崩れかけた石の水槽を見つけた。かつては、ここが水汲む村人たちで賑わっていたこともあるのだろうが...。今日では水道も引かれて、水不足で苦しんだ過去は遠のいたが、過疎によって集落は崩壊しつつある。これが、離島の姿なのかと悲しくなった。そんな思いで、小さな集落を一周りして、実久三次郎神社にも立ち寄ってみた。ここは、源為朝の伝説の残っているところだが、そんな昔にほんとうに源氏の大将がこの島に訪れたのだろうか?複雑な思いを抱きながら、来た道を引き返し、瀬相港へと向かった。
マングローブの原生林
奄美アイランド

・マングローブの原生林へ

 10時55分発の古仁屋港行フェリーで加計呂麻島を離れたが、観光地化されていない素朴さがとても気に入ったものの、離島の現実もかいま見た1日だった。奄美大島に再上陸してからは国道をどんどん北上していった。途中から坂道となりどんどん上っていって、海岸線の見晴らしがよくなり、下方に美しい、入り組んだ海が見え隠れするようになった。しばらく、海を眺めながら車を走らせていると、役勝川と住用川の合流する河口近くにマングローブの原生林が広がっているのが見えてきた。ちょっと寄ってみたくなって、車を停めて、原生林の方へ下りていってみた。林の中は薄暗く、鬱蒼としたマングローブの木々は亜熱帯林らしい景観を作りだしている。昔は、島中がこんな林に覆われていたのかも知れないが、今ではとても貴重なものだ。しかし、この島には猛毒のハブがいると聞いていたので、あまり林の奥の方までは入る気になれなかった。

・奄美アイランドで昼食

 原生林を出て、近くの奄美アイランドに向かい、昼食にとんこつラーメンを食べたが、その時に、テレビで東京の大雪の模様を伝えており、羽田空港に発着できない便が多数出ているとのことで、不安が増してきた。もし、今夜の飛行便が欠航になったらどうしようと思い、新奄美空港の方に電話してみたが、まだ、調査中で飛べるかどうかわからないとの返事だった。まあ、こうなったらじたばたしてもしょうがない、食後は予定通り館内を見学することにした。先ず、他の熱帯地域の少数民族の衣装や用具が展示してあり、それから、この地域の民俗的な展示へと展開してあった。農耕具や漁労具などに昔の生活を偲ぶことができ、とても勉強になった。外はサボテン園となっていたので一周してみたが、祝日ながら観光客はほとんどいなかった。
安木屋場のソテツの群生地

・バショウとソテツの群生地を走る

 奄美アイランドを出て、再び国道に復し、北上したが、和瀬トンネルの付近は舗装路ながら道幅が狭く、曲がりくねっていて、運転に神経を使った。やっとのことで、そこを越えて、名瀬市内に入ってきたが、市内は昨日見学したので、そのまま通り過ぎ、島北部へと向かった。海岸線を一周してから新奄美空港へ向かうつもりで、車を走らせたが、海岸沿いは風が強く、天気が変わりやすい。いつ雨が降りだすかわからない天候になってきた。安木屋場のあたりはバショウとソテツの群生地があって、独特の景観を作りだしている。そんな、風景に時々車を停めながら、走っていった。途中、西郷隆盛が幕末に島流しされたときの住居が残されていた。この辺りでは南州公として尊敬されている。
大島紬のどろ染めをする泥田

・大島紬の里を見学

 さらに車を走らせて、大島紬の里を見学した。島の特産大島紬が出来るまでを広い園内を解説しながら案内してもらった。特に、どろ染めという昔ながらの技法に興味を持った。今でもこんな古式な方法が伝えられてきたとは称賛に値する。ただ、ここでも後継者難は深刻で、作業している人もほとんど年配者ばかりだった。これだけの手間ひまをかけて出来たものだけあって、当然値段も高くなる。私には、ちょっと手の出るような価格ではなかった。

・風雨の強いあやまる岬
あやまる岬からの眺望

 大島紬の里を出てさらに進路を北にとって、あやまる岬を目指したが、途中、入口がわからなくて大分通り過ぎてしまった。引き返して、先ず笠利町歴史民俗資料館を見学してから岬を目指した。しかし、天気は悪く、雨が降りだし、風も強い。ここまで、来たらこのすばらしい景色を一目見ない手はないと、車を降り、展望台に足を向けた。風が下から吹き上げてくるので、傘をすぼめながら、引っ繰り返らないように注意して進む。眼下にはすばらしい海岸線が展開しているのだが、この天候ではあまり長くとどまることもできず、写真を2、3枚撮っただけで車に戻ってきた。まだ、飛行機の時間までには余裕があったが、雨のなかでは他に立ち寄る気も失せ、東京の大雪で着陸できない不安もあったので、真っ直ぐ新奄美空港に向かうことにした。

・無事に羽田空港へ着陸

 レンタカーを空港前の営業所に返し、飛行機が飛んでくれるのを祈って待っていたが、表示は天候調査中のままで不安が続いた。しかし、機材が鹿児島から到着して、やっと飛ぶことに決まってホッとした。まだ、羽田空港に着陸できない可能性もあるが、雪もおさまってきたとのアナウンスに少し希望を見いだした。それでも、JAS548便はほぼ定時に飛び立ち、順調に飛行を続けて、なんとか羽田空港に降り立った。雪の滑走路をリムジンバスの中から眺めながら、奄美諸島とのあまりの気候のちがいを振り返っていた。後は、モノレール、JR、東武東上線と乗り継いで帰路に着いた。


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