旅 と 短 歌

☆旅と短歌

 万葉人は旅先で三十一文字の短歌を詠み、妻や恋人に贈ったと言われています。「万葉集」の中にはそんな歌がいくつかあります。愛する人と別れている気持ちを短歌に託すなんてロマンチックだと思いませんか?旅先でそんな歌碑に出会った時、まわりの風景を眺めながら、歌人の気持ちに浸ってみるというのも悪くないのでは‥‥‥。


☆短歌に詠まれる風景

 古来から短歌によく詠まれる風景があります。それは歌枕と呼ばれ、日本全国にあります。平安貴族は自分は行ったこともないのに、それを歌に読み込んで、叙情あふれるものを作っています。また、歌枕を巡る旅に出て、全国を放浪した歌人もいました。江戸時代の俳聖松尾芭蕉も「奥の細道」の旅で歌枕をまわったと言われています。あなたも、旅先で歌枕を訪ねてみて、一首詠んでみるなんていかがですか?思い出になりますよ!


石川啄木が教鞭をとった小学校校舎と歌碑 飛鳥の川原寺跡

☆短歌を巡る旅五題

  短歌を口ずさむのに最適なところを5つ。 

 その1は、旧渋民村(岩手県玉山村)です。石川啄木の故郷で、追われるようにして去りながらも、強い郷愁を持っていたところです。教鞭をとった小学校校舎や住まいが残され、記念館もあって、『かにかくに 渋民村は恋しかり おもひでの山おもひでの川』の歌とともにふるさとのなつかしさがよみがえります。

 その2は、大和の東大寺、法隆寺、薬師寺、唐招提寺などや飛鳥地方の古寺(奈良県)です。多くの文人墨客が訪れていますが、特に、大和を愛した秋艸道人・会津八一の平仮名ばかりの歌集「鹿鳴集」を見ながら、巡ってみると万葉風ののどかな気持ちになり、旅情が深まります。『よをそしる まづしきそうのまもりこし このくさむらの しろきいしずゑ』

 その3は、祇園の街並み(京都市)です。茶屋などあって、最も都らしい風情を残している所です。その街を散策していると、与謝野晶子の『清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人皆美しき』なんて歌が浮かんできませんか。

 その4は、鶴ヶ丘八幡宮(神奈川県鎌倉市)です。承久元年(1219)正月に鎌倉幕府の第3代将軍源実朝が階段脇の大銀杏の前で、甥の公暁に暗殺された所です。実朝は、万葉風の力強い歌を詠み、「金槐和歌集」を残していますが、境内の鎌倉国宝館右手壕端にこの歌集末尾の歌『山は裂け海は浅せなむ世なりとも君にふた心われあらめやも』の歌碑があります。また、鎌倉市内の寿福寺に母政子と並んで墓が残されています。

 その5は、暮坂峠(群馬県六合村・中之条町)です。若山牧水が1922年(大正11)の旅の途中で、雪景色の中を弟子と2人徒歩で越えたところです。この時の旅は『みなかみ紀行』として発表され、牧水の代表的な紀行文として知られていますが、文中、旅の途中で歌った多くの短歌が散りばめられています。草津温泉から暮坂峠を越え沢渡温泉に至る道端にはその歌碑がたくさん立てられ、自然環境もよく残されていて、当時の旅を追想させる所です。別に、この時の印象を詠った「枯野の旅」という詩が残されていて、これを刻んだ立派な詩碑と牧水の旅姿の像が、1957年(昭和32)峠に立ちました。牧水が通った10月20日には毎年ここで、盛大な牧水祭が催されるといいます。

京都の祇園の街並み 鶴ヶ丘八幡宮 暮坂峠の牧水碑

(特別編) 「みなかみ紀行」の旅 何度か「みなかみ紀行」の足跡をたどる旅に出ましたが、見所を紹介します

<旅と歌人クイズ>

(1) 『田子の浦ゆ打ち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける』と歌った万葉歌人は?
(2) 山形県生まれの医師で青山脳病院長だった。雑誌「アララギ」を編集し、歌集「赤光」で有名な歌人は?
(3) 「山家集」を著し、「新古今集」に最も多くの歌が載せられている仏僧で全国を旅したのは?
(4) 鎌倉時代初期の代表的歌人で、「新古今集」「新勅撰集」の選者。「近代秀歌」「毎月抄」等の歌論書でも知られるのは?
(5) 長野県出身で、教育者として半生を送り、大正3年以後雑誌「アララギ」を主宰して、歌集「柿蔭集」等を出したのは?

 *いくつわかりましたか? 解答はこちらです。


旅と文学へ戻る
ホームページへ戻る

*ご意見、ご要望のある方は右記までメールを下さい。よろしくね! gauss@js3.so-net.ne.jp