about me


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わたしという人間

■出身
九州は熊本県の片田舎に生まれた。

■経歴
▲幼稚園では宇宙飛行士になると嘯いた。
▲小学校ではガキ大将だったがために、上級生にいじめられることしばしば。空手を習って仕返ししようと目論んだが、仕返しはできなかった。野球と陸上をやる。駆けっこは速かった。 運動会ではいつも一番。県の記録会 (100メー トルの部)では、ビリから二番目だった。世の中には足の速い やつがいるなあと思った。
▲中学ではサッカーをやった。当時Jリーグがあれば、本気でめざしたかもしれない。
プロにはなれなかっただろうけど……。
▲高校は一風変わったところだった。
いや、特殊だったなあ。これは、いずれ自叙伝でも書くときのために保留。しかし、青春だった。生涯の友となるやつらとたくさん知り合った。ここでもサッカーをやるが、三軍まであるのにビックリ。
もちろん三軍からスタートしたが、一年の二学期から一軍に加入する。だが、三年次にバイクの事故で骨折してから二軍落ち。以来、気力が萎え。サッカーから遠ざかる。
▲大学はほとんど行かなかった。
もともとどうでもよかったし、気休めに入試を受けて、遊び半分で入ったがために、非常に不真面目であった。三年通って出席したのはトータルしても一ヵ月はないだろう。バイトに明け暮れ中退する。
▲以来、いろんなことをやった。
数限りないバイト→役者→脚本家→ジャーナリスト→会社経営→雑誌ライター→脚本家兼放送(構成)作家→現在
(※自分でいうのもなんだがハチャメチャをやっている時期もあり、結構波瀾万丈。知る人ぞ知るおれの素顔)


 なぜ作家になったか?

もとをただせば二十代前半の頃に作家になりたいと思ったはずだ。
水上勉さんとお会いしたのがきっけだったかもしれない。
しかし、当時は映画監督になりたくて仕方がなかった。ところが、故・萬屋錦之介や弟の中村嘉葎雄さんに可愛がってもらっているとき、監督になるならシナリオを書けなきゃ駄目だといわれ、以来シナリオを独学。
試しに書いたドラマのプロットが一発で通り、これでいけると思ったが、それからはプロットばかり書いていた。結構重宝がられはしたが、脚本を書かしてもらえるまで三年かかった。ところが、プロデューサーや監督、あるいは俳優の意見があっちからこっちから入ってきて、ストレスを溜める。
それでやめたわけではないが、情報番組やバラエティ、ドキュメンタリーなどの構成を手がけるようになり、こっちが気楽だと知るが、自分のめざすところからだんだん離れていっているような気がして、小説を書いてみる。
いろんな新人賞に応募したが散々だった。駄目になると ますます奮起するのがわたしだから、必死こいて書きつづけた。
運良くデビューできたのは、映画化のために故・山田かまちを取材しているときだった。彼の家族は映画化に猛反対で、わたしの取材には一切応じないどころからけんもほろろの応対だった。困ったスタッフ間でフィクションとしての原作を、先に書いたらどうだろうかという話が持ち上がり、シナリオを担当するはずのわたしがいきなり小説を書くことになった。
それが小説家としてのデビューだったが、鳴かず飛ばずの作家人生のはじまりでもあった。年間十冊を上梓するようになったのは二年(2001年)ほど前からだが、それ以前は小説を書く時間が取れず年に一冊か二冊の寡作の作家だった。

■趣味
ゴルフ、サッカー観戦(本当はやりたいけど、もう体力が……)、キャンプ、ジャズ、映画、 落語、将棋、散歩、そして仕事。

■持病
軽度の腰痛、花粉症。

■酒量
何でも飲むが最近は焼酎中心。ウーロンハイ5杯程度かな?

■喫煙
一日十五本前後。

■愛車
メルセデスベンツ

■住まい
横浜のとある高台。