花に導かれて 野 山 の 花 手 帖

 Photo & Essay
 わたしの植物図鑑
  (C)T.Isogaya

年々歳々四季折々 日々は凡々賢しらに 花にこと寄せ多くは語るまじ


New! ◎四国八十八ヶ所遍路 (讃岐の国から阿波の国へ)

77 道隆~第7番 十楽寺まで (2018年4月10日~19日・9泊10日)

78郷照寺【 本堂



香川県綾歌郡宇多津町 2018年4月11日・撮影

またまた四国遍路に行った。今回は、香川県讃岐の77番札所・道隆寺から、徳島県阿波の7番札所・十楽寺まで巡拝した。88番の大窪寺までお参りしたが、愛媛県の40番・観自在寺から歩き始めたので、まだ結願とはいえない。

日程は910日。1日目はLCC(格安航空)の超格安チケット(片道1980円)なので、夜便ということで成田から高松入りまで。
夜の高松空港から市内行リムジンバスで、JR高松駅に近い琴平電鉄の瓦町駅まで行き、歓楽街にあるカプセルホテル泊。ここにはお遍路割引があり、お遍路さんは納経帳を見せれば1500円で泊まれる。

節約できた分で、さっそく宿で教えてもらった高松名物「骨付き鳥」を食べに行く。明日からの歩き遍路の鋭気を養うためだ。

骨付き鳥とは、まあ焼き鳥というか、ローストチキンのことなのだろうが、その中でも、もも肉を切り開いてニンニクやショウガなどの味付けで骨付きのままステーキ風に鉄板で焼いたものが有名で、ハサミで切って食べる。こってりしていてスパイシーでボリュームもあり、うまい。ビールも進む。初日からこれだから、まあ、先が思いやられるが、腹一杯になり、いいご機嫌になってぐっすり眠れた、ということにしておこう。

翌朝は真面目に朝早くに出発。JR高松駅まで20分ほど歩き、予讃線の普通電車で12駅目の多度津(たどつ)駅まで行く。77番道隆寺は前回お参りしているので、省いて次の78番郷照寺から始めてもいいのだが、それをすると77番から78番までの間を歩かないことになってしまう。後で悔やむことになるから、今回は空白区間を作らないように、ちゃんと歩くことにした。多度津駅から歩くと、遍路道は道隆寺の真ん前を通るので、いくら何でも素通りもできず、お参りして今回の歩き遍路は始まった。

路傍にはアリアケスミレだろうか白いスミレが咲き、八重桜が満開だった。讃岐路にも暖かくて穏やかな春が訪れていた。




アリアケスミレ【 有明菫



香川県仲多度津郡多度津町 77番道隆寺近く 2018年4月11日・撮影



丸亀城【 まるがめじょう



香川県丸亀市 77番~78番郷照寺へ 2018年4月11日・撮影




丸亀市内を通過し、78番札所郷照寺、坂出市内を通過し、79番高照院天皇寺、そして80番国分寺を巡拝。その日の宿として予約しておいた国分駅前のえびすや旅館に到着。平地の約20km弱を歩き、1日目は順調なスタートを切った。宿を事前に予約してあると本当に気が楽である。

旅館では、にわか遍路友達の爺さまたちが盛り上がっていった。オイラも仲間に入って少し話などしたが、こちらはまだ初日でテンションが上がらない。

2日目は、山道になる81番白峯(しろみね)寺、82番根香(ねごろ)寺が待ちかまえている。予定というか願望では83番の一宮(いちのみや)寺までだが、水平距離で25km、歩行時間で9時間とある。朝、出発のとき、旅館の女将さんが丁寧に、いや不安そうにいつまでも見送ってくれていた。

案の定白峯寺への登りは予想外に時間がかかった。山道に入ると右手に凝灰角礫岩(ギョウカイカクレキガン)の白い崖が見える。凝灰岩は火山灰が堆積してできた岩石だから、この近くで火山の噴火があったことを物語っている。約1000万年前だそうだ。この地層には赤い宝石のガーネットが含まれているという。探す時間的な余裕はなかった。にわか山師なんて無理である。




凝灰角礫岩の崖ギョウカイカクレキガン



香川県高松市国分寺町 2018年4月12日・撮影


その後、修行大師のお堂がある石鎚休憩所(展望所)に着く。地元のご夫婦らしき人が登ってきて静かに掃除をしていた。この休憩所は泊まれそうだ。だが山の中でちょっと寂しい感じ。

山道や時々車道を横切るように歩き、10時には白峯寺に着いた。
まず手水(ちょうず)で手を清め、本堂と大師堂でそれぞれ灯明、線香を3本供え、お賽銭(5円~500)をあげて、読経。そのあとオイラの場合は個人的な願い事をいくつも延々と心の中で唱えながら拝むのである。まあこれが長いのだ。そして納経所で納経帳に墨書して朱印を押してもらい、ご本尊の御影(おみえ)を頂く。これらで300円。

参拝は終わり、来た道をしばらくは戻るようにして次の根香寺へ向かった。晴れた暖かい春の山は快適だ。

しばらく下りてきたとき、ふと、アレッ? なんか変な感じ?! アレ~ッ!!! ない~!!! 杖がねぇ~!!! ストックを持ってねぇ!!! 金剛杖ではないが、登山用のLEKIレキの愛用のストックである。

遍路ではお杖はお大師様の分身なのである。今回は「同行二人」の自作のステッカーを貼って遍路仕様に変えてきた。

アアッ! やってしまったよ。忘れてきたのだ。どこだろう? ハタと考えたが思い出せない。さっき写真を撮った「下乗石」の石碑のところか? いや白峯寺だろう。かれこれもう15分ほどは下ってきている。さあどうする? 探しに、戻るか? 当然だろ! 

オイラはすぐ踵を返して足早に歩き始めた。緩やかな道なのに、胸がドキドキし始めた。ヤバイ! 落ち着け。急ぐな。自分に言い聞かせた。「急がず、慌てず、焦らずに、心静かに行こう」 いつものオイラの合い言葉が出た。

下乗石のところにはなかった。あちこちキョロキョロ見ながら白峯寺まで戻った。門前にもない。白峯寺の境内は結構広く、百段石段もある。最初の建物の護摩堂が納経所を兼ねていて、そこで最後に納経したのだ。入り口まで来たとき、杖立を見た。黒いストックが1人寂しそうに立っていた。

「おい、薄情じゃねえか、置いてくなんて。このまんまお別れかと思ったぜ。コールマンのサングラスのようにな…」と、杖が言ったような気がした。私は心の中で、「お大師様、すみませんでした」と、謝った。でも、あって本当によかった。ホッとした。

最近は、物には執着しないようにしている。よく無くすから。でも、無くしたり、壊れたりすると、その物とは、結局そこで永遠のお別れになってしまうということが解るような歳にもなってきた。だから、愛着のある大切な物は無くさないようにしよう、大事にしようと思い、また元に戻って、物に執着するようになってしまう。

私は愛用のストックの感触を確かめるように、足早に次の82番根香寺を目指した。

白峯寺から根香寺までの遍路道を根香寺道といい、江戸時代前期の遍路道のすがたを残しているのだという。石の道標や1(109m)ごとに設けられた丁石(ちょうせき)がかなり残されている。山道は続き、古田というところで来た道と分かれ、十九丁という御堂のあるところを過ぎ、しばらく歩くとやっと車道に出た。この間、遍路道はかなりわかりにくかった。足尾大明神で一休みしたとき午後1時半を過ぎていた。腹も減ってきた。「みち草」という食堂でうどんを食べた。おいしかった。物静かで優しい笑顔のおばあさんがやっていた。今日の行程で食べ物を売っているところはここだけである。

  アケビ木通 通草



香川県高松市中山町 2018年4月12日・撮影
 

そろそろ今夜の宿の手配をしなければいけないなあ。今夜からはもう予約してないのである。ちょっと遅くなりそうだが、一宮の天然温泉に電話した。かなり大きな施設のはずだが、なんと満室だった。「えっ? どうして?」と聞くと、最初は口ごもっていたけど、「実習生が来てまして…」とのこと。意味がはっきりとは理解できなかったが、要するに団体のようだった。それなら、かえってよかった、手前のJR鬼無(きなし)駅前の遍路旅館にしようと決めた。

82番根香寺に着いたのは午後時半を過ぎていた。モミジの新緑がきれいだった。お参りをした後、鬼無駅前の旅館に電話を入れたが、出ない。しばらく時間をおいてからまたかけ直した。かなり長く呼んだが、やはり出ない。おかしい。休みか? やめたのか? なんかいやな予感がした
根香寺からは、来た道を少し引き返してから、鬼無駅に向かって山を下りていく。だが、この道はかなり分かりにくい。車道と山道のショートカットが入り乱れ、いつの間にやら山仕事の道のようなところを下り始めているような感じだった。山道の踏み跡はあるが、地図上の遍路道とはチョット違う道のような気もした。県立高松西高と大きな池の神高池を目印にどんどん下っていった。





破れ菅笠すげがさ



香川県高松市中山町 2018年4月12日・撮影


遍路道には、こんな光景も…



池のほとりで休み、また旅館に電話した。出た。やっと出た。だか、旅館ではなく、「ふつうの家ですよ!」と言われてしまった。私は電話番号を確かめるでもなく、「すみませんでした」と言って電話を切った。そうか、もう旅館はなくなっていたんだ…と思った、いや思い込んだ。ここが運命の分かれ道だった。
ああ、いやな予感が当たっちゃったよ。まいったなあ~、はやくも2日目にして宿無し状態だ。まあ、とにかく鬼無駅まで歩こう。すぐ近くだった。だが、完璧な無人駅だった。駅の目の前は広い更地になっていた。それを見たとき、旅館はなくなったのだとオイラは思った、いや思い込んだ。午後5時だった。
いやー、困ったなあ。駅の待合室に旅館やホテルの情報や広告など何もなかった。電車に乗れば、2駅で高松駅なのだ。慌てることはない。でもオイラは明らかに動揺していた。どうしたらいいのか、駅前をうろうろ歩いていたのだ。そして倒れた自転車を起こしているサラリーマン風の若い男の人を見かけ、とっさに声をかけた。
「この近くに旅館かホテルありませんかねえ?」
男性は…

(つづく)










◎四国八十八ヶ所遍路 (伊予の国から讃岐の国へ)

第54番 延命寺~第77番 道隆寺まで (2017年11月7日~16日・9泊10日)

今回のお遍路は前回の5月の続きとして、JR予讃線大西駅から歩き始め、第54番延命寺から第77番道隆寺まで、24寺を巡礼した。なかでも第58番仙遊寺、第60番横峰寺、第66番雲辺寺は、いずれも山中の寺で、遍路道は登山道になる。一応歩き遍路だから、なんとか自力で登るには登ったが…。
最終日は、帰りの松山からの飛行機に乗り遅れたら大変だから、土讃線善通寺駅から77番道隆寺のある多度津駅までの2駅は電車で移動した。
それ以外にも、内緒だが、どうしようもなくなったとき、ちょっとだけ、ほんとちょっとだけだよ、バスやロープウェイの下りだけや、宿のお迎えの車に乗った。へへへぇ…(^o^)



遍路道
石仏 58仙遊寺(標高255m)



愛媛県今治市 58番仙遊寺近く 2017年11月8日・撮影




愛媛県今治市 58番仙遊寺近く
(左は犬塚池) 2017年11月8日・撮影



59番・国分寺 【 握手修行大師 】



愛媛県今治市国分 2017年11月9日・撮影

(かつてオイラに第1回目のお大師ミラクルを経験させてくれた。お礼参りをしたが、今回はまったく反応なし。)



遍路道 
【 橋上の人 】



愛媛県西条市 59番国分寺~61番香園寺の間 2017年11月9日・撮影



遍路道には、時々“お接待”ならぬ“お節介”という厄介な者が出没する。
これにぶち当たって惑わされると、ペースが乱されるのはもとより、いろいろ歯車がかみ合わなくなって、とんでもない失敗をしでかすことになる。
第59番国分寺から第60番横峰寺へは約30㎞ある。今治市から西条市へとひたすら南下する。1日で横峰寺まで行くのはオイラでは無理だから、その手前のどこかに泊まらなけらばならない。国道11号線沿いにある、ある温泉の宿を予定していたのだが、昼をとっくに過ぎたというのにまだ予約の電話も入れてない。
時間のことも考えずに、呑気に遍路道途中にある番外の栴檀寺(世田薬師)とか、臼井御来迎とか、日切大師、光明寺までお参りしたのだから、どんどん遅れていく。

このあたりから、遍路道はよく曲がる。田園地帯に入るので目安になる物も少なくなる。いつの間にか道しるべの「へんろシール」を見失う。
地図を広げてあちこちきょろきょろしてると、どこからともなく人が現れてきて道を教えてくれる。やはり見守られているというか、どこかで見られているのだろう。
「ああ、またお遍路さんが迷子になってるよ!」と、近所の人が道案内の“お接待”に出てきてくれるのである。だが、このときは、あの“お節介”のほうが出た。
地元のサイクリストの中年の男性だった。わざわざ自転車を止めて、「今からじゃあ横峰寺へはとても無理だから、順番を変えて先に61番の香園寺へ向かったほうがいい。そうすれば62番の宝寿寺も打てるよ」と親切に教えてくれた。ありがたいことだが、かなり力説してくるし、こう言っちゃあ悪いが、押しつけがましいのである。
「だいたい横峰寺へ行くにしても、だいぶ方向がちがうよ。あっちなんだから」と指をさす。確かにそれはオイラも気づいていたが、彼が言っているのと私が登ろうと予定しているのは、別の登山口なのである。オイラは147号線の妙谷川沿いから登ろうと思っていたのである。
先ほどから、かなりのハイスピードで、しかも結構大きなザックを背負って、黙々と歩く年輩の男女4人組がいた。何となく気になっていた。年甲斐もなく意識していたのかもしれない。でも、話などしなかった。私が一休みすると、あっさり追い越された。何となく無視されたような感じがした。張り合うつもりは毛頭なかったが、やはり気持ちはチョット張り合っていたのかもしれない。でも、歩く速さが全然違っていた。私はすでに疲れていた。
サイクリストはどこをどう回って戻ってきたのか、先を行った4人組にもまた道順のアドバイスをしていた。彼らは、かの温泉に今夜の宿を予約してあるそうだ。だからサイクリストの話は適当に聞いて、疲れ果てている私にお接待のアメやお菓子をくれて、さっさと先を急いで行った。彼らは全然ブレていないのである。予定の行動なのだ。

取り残された私に、またサイクリストが言った。「61番の香園寺を先に廻ったほうがいいよ」と。
オイラはどちらにしようか完全に迷ってしまった。おまけに焦り始めていた。ブレブレにブレた。要するに今夜の宿が決まっていないのだから、道順が決められるわけがない。どうしたらいいのか解らなくなってしまうのは当たり前なのである。オイラはすぐにかの温泉の宿に電話した。
だが、1人部屋は満室で2人部屋を用意できますというので、値段をきくと、素泊まりでも結構値段が高い。迷った挙句、何となく足下を見られたような気がしたので、や~めた、と決めた。
そして、素直にサイクリストのアドバイス通り、61番の香園寺を先に打つことに順路変更した。このとき、順打ちの原則は破られた。臨機応変、状況に合わせて、より効率のいい道順に切り替えたのである。(ものは言いようだな) オイラはすぐ伊予小松駅近くの旅館に電話した。満室だったが別館なら空いてますからそれでよければ、という。オイラは別館がどんな部屋かも、料金も聞かずに、藁にもすがる気持ちで、それでお願いしますと叫んだ。
そうしたら、旅館の人は、「“四国値段”でやってますから…」と言ってくれた。そして、「今どの辺まで来てますか?」ときかれた。「えーと…」。オイラは自分が今いるこの場所を、相手にはっきりと客観的に伝えることが結局できなかった。我ながら愕然とした。「田園地帯の真っただなかで、よく分からないんですが、三叉路になっているところなんですが…」、これでは小学生以下である。大まかな地名さえ把握していなかったのである。
相手は「宿は少し移転してますから、近くまで来たらまた電話くださいね」と言ってくれた。
安心した。サイクリストは、決して“お節介”などではなく、チョット熱心すぎる“お接待”の人だったのだ。

だが、順路を変更したとたん、詳しい地図を持っていないせいか、ここがどこなのかすぐわからなくなる。要するにすぐ迷子になるのである。遍路道から外れたため、「へんろシール」がない。いかに遍路シールに頼った歩き方だったかよく分かった。また、順打ちがいかに楽か思い知った。
ここはここなのであり、山の中とか道がないとか霧の中というわけではないのだから、別に問題なさそうな気がするが、現地点が地図上のどこなのか確認できない状態になるのはかなりつらい。右へ行けばいいのか、左へ行けばいいのか、真っ直ぐなのか、はたまたうしろへ戻るべきなのか、それさえ分からなくなってしまうのである。
まあ、簡単に言えば“方向音痴”になるということだが、ただひたすら歩き続けていると、思考力がなくなるというか、頭の中が空っぽになり、無心というか無我の境地に近づくような気がしたのだが。(それは考えすぎだよな。)
やはり真面目に地図と方位磁針を持ち歩かなければいけないのだろうな。
部分逆打ち、近道、ルート変更では、詳細地図は必携ということだな。
まあスマホ持っていればいいのだろうが、未だガラ携のらくらくホンで~す。

旧丹原町を通り、今治小松自動車道のいよ小松ICを目印にして進み、中山川を渡って旧小松町に入り、やっと香園寺にたどり着いたのは納経所が閉まる5時直前だった。もちろん窮余の策として先に納経を済ませたのだが、本当にぎりぎりだった。
コンクリート造りの近代的な大聖堂でお参りして、外に出ると、人はもうひとりもいなかった。まさに初冬の日が暮れようとしていた。
それから、真っ暗になった小松の町の中で、もう何度となく道に迷った。何度も人に尋ね、コンビニにも駆け込んだ。どの人も親切に、丁寧に教えてくれた。ありがたかった。だが、その都度、暗い夜の遍路道で迷っている自分が、何か大きな道に迷っている自分の影のように見えてならなかった。



61番・香園寺



愛媛県西条市小松町南川甲 2017年11月9日・撮影




60番・横峰寺へ 【 745m 】



愛媛県西条市小松町石鎚 2017年11月10日・撮影


横峰寺へ向かう林道からの分岐点、左へ曲がり山道へ入る


愛媛県西条市小松町石鎚(旅館小松からゆっくり歩きで約1時間半の地点) 2017年11月10日・撮影


 「ビジネス旅館小松」の親父さんが推薦する最も解りやすくて楽で危なくないというコースを、もらった手書きの地図をたよりに登った。
石鎚山ハイウェイオアシスと常磐砕石場の横を通り、やがて林道から分かれて山道に入り、上の方で香園寺奥之院から登ってくる遍路道と合流する。だからロケーションはあまりよくないが、林道のような道を徐々に登っていくので確かに楽で、この道では誰にも会わなかった。でも、古い道標や石仏が所々にあったから、やはり昔からの遍路道なのだろう。
この宿は急遽泊まることにして、結局2連泊したのだが、肉屋さんが経営していることもあって、とにかく肉料理がスゴイことで有名。
1泊目は豚鍋(実際は豚しゃぶという感じ)、2泊目の人はなんとすき焼きなのである。すき焼きっちゅうもんは“牛肉”だということは知ってるよな。
肉の量が多いだけでなく柔らかくてとにかく旨い。野菜もすごい量で、はじめ見たときは、これは食いきれないだろうと思ったが、ビールや旨い地酒が手伝ってか、何のことはない全部たいらげてしまった。
きれいで小洒落た新館もできていて、食事はそちらで大勢で和気藹々だった。あちらこちらで遍路友達ができて盛り上がっていた。
もっとも当日電話予約のオイラは、満室のため旧館というか古いビジネスの1DK風の部屋だったが、まあその方が落ち着いてよかった。




星が森  第60番 横峰寺



愛媛県西条市小松町石鎚 2017年11月10日・撮影



遍路道 檜林 60横峰寺から



愛媛県西条市小松町石鎚 2017年11月10日・撮影



遍路道  【 キバナコスモス 】 64番・前神寺近く



愛媛県西条市州之内 2017年11月10日・撮影



第65番 三角寺 山門 



愛媛県川之江市金田町 2017年11月12日・撮影





愛媛県川之江
金田町 2017年11月12日・撮影

(首をかしげているように見えたのだが…)

*スーパーホテルに救われる。天然温泉、朝食付きで遍路割引が\4700



第66番 雲辺寺 【 921m 】




徳島県三好
市池田町 2017年11月13日・撮影


(住所は徳島県だが、讃岐・香川の一番目の札所とされる。標高は八十八カ所のうちで最も高く、「四国高野」と呼ばれる。)


*山頂で日没、こまった遍路爺さん、民宿青空へ*


とっぷりと 日は暮れていまだ 雲辺寺 
(自作)



五百羅漢  第66番 雲辺寺



徳島県三好
市池田町 雲辺寺  2017年11月13日・撮影


(五百羅漢とは、釈迦のもとで悟りを開いた500人の弟子のことで、羅漢は人としての最高の境地だという。
だが、顔の表情や形相はかなりユニークというか、恐ろしい怖い人もいる。)



境目(さかいめ)トンネル 【 R192 



愛媛県三好市 徳島県四国中央市 2017年11月14日・撮影

(*観音寺市藤川旅館泊、メインディッシュはマテガイのバター炒め、2食付きで\5000*)



第75番 善通寺 【 本堂 (金堂) 】



香川県善通寺市 2017年11月15日・撮影



 【 五重塔 】




香川県善通寺市 2017年11月15日・撮影



 【 御影堂 (大師堂) 】



香川県善通寺市 2017年11月16日・撮影


宿坊の10畳の部屋に1人で泊まり、大師温泉に入り、朝の勤行、戒壇巡りに参加して、2食付きで締めて6100円。これはいい。
そんなことではない。善通寺には、お礼参りに来たのである。かつてオイラはここで2回目のお大師ミラクルを経験した。
それが本当に奇跡のようなことだと分かったのは後になってからのことなのだが、切なる願いだったある人の病気平癒は確かにかなえられたようなのである。
だから、図々しくも、もう1回、今度は別の人なのだが(いろいろあちこち忙しいのです)、どうにか、なんとか、ぜひ、よろしくお願いしたいと、またお参りに来て、御守護をいただこうと思ったのである。
ところが背後のお釈迦様から暁光が輝く効きめ百倍のあの「目瞬
(めひき)大師御守護」はもうなく、今後の発売予定もないとのこと。ガックリ。ああ、参ったなあ~。
仕方ない、といったら罰当たりだが、その代わりにといっても罰当たりなのだが、お大師様誕生地の松材を使った念珠御守護を買い求めた。1つ1つの珠に小さな字で般若心経が彫ってある。腕にはめると、何ともよくなじんで感触がよく、それこそいつも守られているような感じがする。
うむー、これを人にあげるのはもったいない、オイラが使おう。なんて、正直をいうと、ふとどきにも2日間ほどそう思って身につけていたが、その人の家に見舞いに行ったとき、普通の御守護を差し上げた後、その念珠お守りのことを話すと、その人はオレの腕の念珠をじっと見たまま、目を離さない。目が念珠に釘付け状態になっていた。欲しいとはいわないが、目は執拗に念珠を追いかけ、欲しそうな目をする。念珠がその人の目を引きつけているというよりは、もう念珠自身がその人の腕にいきたがっているかのようにさえ感じられた。
オレは根負けした。その人の病気平癒を祈願して、その念珠をあげた。


お大師ミラクルの発端2009年の四国遍路



第77番 道隆寺 【 本堂 】




香川県仲多度郡多度津町 2017年11月16日・撮影

(歩いているおじさんはお接待のせんべいを配っていた。オイラにもくれた。)



*






◎四国八十八ヶ所遍路 (伊予の国・愛媛県の巻)

第40番 観自在寺~第53番 圓明寺まで (2017年5月10日~17日・7泊8日)

 遍路 祈り



愛媛県松山市石出 第51番・石出寺 2017年5月16日・撮影



第40番 観自在寺 本堂 



愛媛県南宇和郡愛南町 2017年5月11日・撮影






愛媛県宇和島市 浦知付近 2017年5月11日・撮影

「歩けども 歩けども なお空と海」(自作)
(最初の思いついた句: 歩けども 歩けども 海と空)



四国八十八ヶ所のお遍路に行った。今回はLCC(格安航空会社)の超格安航空券(成田~松山)が取れたので、伊予の国、愛媛県の霊場を廻ることにした。
一応2巡目になるのだから、車は使わず出来るだけ“歩き遍路”にしようと心掛けた。宿も最初の道後温泉のゲストハウスの1泊(\2000)だけは取っておいたが、あとはまったく予約していない。とにかく歩けるだけ歩き続けるつもり。
まあ、なんとも無計画の上に無謀でおまけに無知で、元々“無能の人”なのだから、ああ、どうなることやらと思ったが、考えてみれば順番通りに「順打ち」で歩くのだから、コースはほぼ決まっている。地図さえあれば、あとは遍路道に設けられている道標と矢印ステッカーをたよりに、ただひたすら歩けばよいのだ。
問題は体力、特に脚力、気力だ、そして宿探しだ。でも、いざとなったら、遍路宿でも野宿でもキャンプ場でも、高級旅館でもいいやと、覚悟を決めた。なんとかなるさと、気楽に行くことにした。

1日目
登山っぽい感じが楽しめそうな久万高原の44番札所・大寶寺から打ち始めようかと思っていたのだが、地図を見ていたら欲が出てきた。まだ欲がある。予定は7泊もあるんだし、きりのいい愛媛県最南の第40番・観自在寺から打つことにした。

そのためには明日の朝、道後温泉を早朝に出て、市電の始発で松山駅へ、JRの特急・宇和海3号(6:48発)で宇和島へ、そこから宿毛行きの宇和島バス(8:35発)で愛南町・御荘のバス停・平城札所前まで行かなければならない。それを決行したのだから、気合いは入っていた。

午前9時48分、バスは平城札所前に着いた。バスを降りるとき、きょろきょろしていると運転手さんが観自在寺の場所を親切に教えてくれた。目と鼻の先だった。天気は快晴、暑い。さすがに日差しが強い。コールマンのサングラスをかけた。網膜剥離の手術後だから。

今回は一丁前に格好を整えることにした。白衣と輪袈裟は身につけたいし、納経帳も前のものがちょうど終わったので、新しいものを買うことにした。菅笠と金剛杖はLCCに荷物料0kg(手荷物7kgまで)で乗る身としては、残念だがパスすることにした。門前通りを寺に進みながら、遍路用品を売っている店を探した。が、なかった。バス通りの街道筋まで戻って探したが、やはりなさそう。うむー、出鼻をくじかれたかなと思ったが、角の饅頭屋((ケーキ屋)に入って聞けば、「本堂の中にいる人に言えば、全部そろえてくれるよ」とのことだった。なあーんだ、そうなんだ。当たり前のことだった。

本堂の中の人(お坊さんなのだろうか?)は手慣れたものだった。白衣と輪袈裟をいろいろ出してくれ、説明してくれた。白衣は正式な袖付きを、和袈裟は紫色の観自在寺のオリジナル品を買い求め、その場で着て、また山門まで戻って、巡拝を一から始めた。
お参りの手順を箇条書きにした“あんちょこ”を作っておいたのだ。実は、巡拝の順序をあまりよく分かっていない。般若心経も半分ぐらいまでしか暗唱できない。いちばんの苦手は、ご本尊真言の三返唱和である。唱えられるのは、薬師如来の「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」だけである。
だから、自作あんちょこと経本見ながらやる。だから、もたもたして時間ばかりかかるのである。でも、心静かに、気持ちを集中してお参りした。スーッと落ち着いていくのが自分でも分かった。
本堂のあと、同じことを大師堂でも行う。そして納経所で墨書きと朱印を押してもらう。これで一通り終わりである。やっと40番・観自在寺を打った。なんだか、はやくも疲れた。

さあ、行くぞ! これからが歩き遍路の本番だ。さて、今日はどこまで歩けるかな? とは思ったが、どこまで行けるか、見当が付かなかった。宇和島までは30km以上だから、まず無理。津島町までなら、20kmくらいだからなんとか行けるかな。そこまでは行きたいなあ、オイラの場合、歩ける距離は1時間でおよそ4kmだから、20kmだと約5時間はかかる。午後5時を過ぎるなあ。とそんなことを考えながら国道56号線を北上し始めた。
すでに正午になろうとしていた。空はどこまでも青く、5月の風は爽やかだった。と、書きたいところだが、真夏を思わせる暑さだった。
国道56号線は、松山と土佐をつなぐ幹線道路だから車の量は多い。トラックもバンバン走っていく。数キロ行くと、内海というところで、遍路道は道路と山道に分かれる。距離的には山道の方が少し短いようだが、標高が470mの山を越す。迷わず56号線の道路を選ぶ。しかし道路は海岸線に沿って入江を回り込み、緩やかだが上り下りもけっこうある。岬をショートカットするところには長いトンネルもある。しかしここには歩行者や自転車用のトンネルが横にあって、車の排気ガスを思い切り吸い込むこともなく、助かった。左側には豊後水道の海がどこまでも広がり、時々漁船などがゆく。写真を撮りながら、ただ黙々と歩いた。

歩けども 歩けども なお 空と海  (自作の俳句ができた)

そのとき、目の前に車が止まった。降りてきた年配の女の人がこちらをじっと見ている。しばらくしたらしきりに手招きをする。近づいていくと、なんとなんと初めての“お接待”であった。

「暑いのに、ご苦労さんですね。冷たいお茶をどうぞ。私たちは高知から来たんですよ。」とペットボトルを出してくれた。おばさんの二人連れだった。暑くて頭がボーッとしていた。遠慮なく飛びつくようにもらった。

「暑くて、まいっていたんです。助かります。」“土佐のお茶”は冷たく冷えていた。私は思わず手を合わせた。すると、飴やらお菓子もくれた。車遍路の人だったのかもしれない。
午後2時を過ぎた頃、いくら何でもそろそろ宿を取らねばと思った。津島町までは行けそうな気がした。そこには数軒の旅館がある。携帯で次々に電話した。ところが、「今夜は宴会が入っているから」「お遍路さんの団体で満室」「いまは素泊まりしかやっていない」「他を紹介しますから」と、4軒とも断られてしまった。オー・マイ・ゴッド! ああ、なんたることか。甘かった。残るは、町外れだが一応街道筋のビジネスホテルだ。おもむろに電話すると、空いていた。ああよかった。ビジネスホテルでも、まあいいか。
海岸線の道路をただひたすら歩き、嵐というところから、内陸に入る。地図にあるAコープで何か買って食べようと思ったら、店はつぶれていた。
日は暮れかけてきた。6時を過ぎた。ああ、疲れてきた。足の動きが悪い。足の裏がヤケに痛いのは、もしかしたら豆でもできたのだろうか。初日だというのに、キブ・アップ寸前である。観自在時の本堂の中の人に言われたことを思い出した。「夕方5時過ぎたら、バスに乗ったほうがいいよ。翌日そこまでバスで戻って、またそこから歩き出せばいいんだから。そういう歩き方の人もけっこういますから。」オイラは迷った。バス停の時刻表を見たら、なんとちょうど10分後にバスが来る。これを逃すと1時間はバスは来ない。オイラはあっさりと決断した。こういうときは速い。バスに乗るのである。そしてバス停にへたり込み、休んだ。そしてバスに乗ったのである。
ああ、“歩き遍路”は、かくのごとく初日から見事に頓挫したのである。その日の目的地にしていた島津町まで、あと3kmほどの於泥(おどろ)というバス停だった。
バスはあっという間に島津町の町中を通り過ぎ、町外れの高田というバス停に着いた。ビジネスホテル(\4500)にチェックインすると、目の前にあったドラッグストアへ直進、早速アリナミンのドリンク剤を飲み、近くのといっても歩いて10分くらいはかかるラーメン店で、ビールとサラダ付きのラーメン定食を食べた。やっと人心地がついた。

(2017.5.19~更新)


番外 馬目木大師 全景 



愛媛県宇和島市 2017年5月12日・撮影



番外6番 龍光院



 
愛媛県宇和島市 
2017年5月12日・撮影

 翌朝の2日目は、目は覚めたが、起きられなかった。お茶だけ飲んでチェックアウトした。昨日バスに乗ってしまったところまでバスで戻り、歩き残した分を律儀に歩き遍路するつもりだった。
フロントの女の人に、「8時のバスは何分でしたかねえ?」と聞くと、「あれですよ」と外を指さした。ちょうどバスが通りを走り去っていった。ああ、無情。今日もまた、オー・マイ・ゴッド! で始まってしまったのだ。調べたら、あと2時間はバスがない。歩きで戻るしかない。何というバカなんだろう。ドジである。オイラは仕方なくテクテクと歩き出した。

於泥のバス停からは、56号線の道路を戻るのではなく、右斜めに入り、村落の中を並行していく旧道を歩いた。ここは落ち着いた遍路道でいい。今朝出たビジネスホテルの地点まで戻ったのは、もう10時を回っていた。これからがやっと今日の本当の遍路である。

松尾トンネルは1710mもあり、車の量も多いから、通り抜けず、山道の峠越えをする。標高差は180mほどで大したことはないが、下りはなにやら巨大ゴミ焼却場の建設中の中や、埃っぽい採石場の横を通る。馬目木大師をお参りし、宇和島市内にはいった頃、雨がポツポツ降り出した。番外札所・龍光院に着いたのは5時を過ぎていた。ザックカバーをつけ、傘を差して歩いた。
宇和島市内には、宿はゴマンとあるのだろうが、今日は昨日で懲りて、早めに北宇和島の素泊まりへんろ宿(\3000)を取っておいた。だから、どんなことをしてでもそこまで歩かねばならない。宇和島駅から北宇和島駅までJRの鉄道に乗ることもできたが、歩き残して翌日歩くのは、悪いことでもルール違反でもないのに、気分が後ろ向きというかネガティブで、なんか気が進まない。今朝で懲りた。なんとしても北宇和島まで、本降りになった雨の中を歩くことにした。今日は結局、八十八ヶ所霊場の参拝はゼロ。ただし、歩行距離は20数キロにはなった。


北宇和島のへんろ宿に着いたときは、もう暗くなりかけていた。この宿はとても親切で、きれいで、設備もそろっていて、きちんとしていている。大雨だし、買い物には行かず、温かい風呂に入って、残りの弁当と宿備え付けのビールを買って飲み、とにかくさっさと寝た。“おやすみ三秒”だった。

第41番 龍光寺 全景 



 愛媛県宇和島市三間町戸雁 2017年5月13日・撮影



第42番 佛木寺
仁王門 



愛媛県宇和島市三間町則 2017年5月13日・撮影



歯長峠 標高480m  番外霊場 送迎庵見送り大師



愛媛県宇和島市・西予市 歯長峠 2017年5月13日・撮影
(お堂の中には数体の石仏が安置してある。)




愛媛県宇和島市・西予市 歯長峠
 2017年5月13日・撮影





愛媛県宇和島市・西予市 歯長峠
 2017年5月13日・撮影



歯長峠  【 遍路道崩壊地点 



愛媛県宇和島市・西予市 歯長峠近くの崩壊地点のようす 2017年5月13日・撮影
(「通行止」の看板が道の真ん中に打ち込まれていたが、遍路道自体は崩れてはいなかった。)



3日目
朝は賑やかなおばちゃんの声で目を覚ました。備え付けのインスタントコーヒーを飲んでいると、そのおばちゃんが出てきて話になり、のり巻き寿司とカップ味噌汁のお接待をいただいた。ありがたかった。でも、このおばちゃん、お遍路さんでないのは確かなのだが、本人は買い物に来ていると言っていたが、いったい何をしに来て泊まっているのか、いまいちよくわからなかった。


今日は歩き始めて3日目、三間町を通り、41番・龍光寺42番・佛木寺(ぶつもくじ)、そして歯長峠(標高480m)を越えて、卯之町まで歩く。国道は56号線から57号線に入り、山間を緩やかだが確実に三間へ上っていく。
途中光満というあたりで、県立三間高校の海外研究部というサークルの女子高生がお接待に出ていた。冷たいお茶と飴をいただき、しばらく話をして、写真を撮り合い、絵はがきや巾着袋をもらった。高校2年生だという。素直でかわいい子たちだった。先生もニコニコ顔だった。

山門の代わりに鳥居があり、稲荷大明神を祀った龍光寺。ご詠歌に「草も木も仏になれる佛木寺 なお頼もしき鬼畜人天」とある佛木寺をお参りした。そして、いよいよ難所の歯長峠。登り口に着くと、遍路道の真ん中に「通行止」と大書した看板が打ち込んであった。オイラはちょっと迷ったが、まっすぐ進むことにした。
峠には、送迎庵見送り大師のブロック作りのお堂があり、中に数体の石仏が安置されていた。周りには忘れられたように紫色のイチハツの花が今を盛りに咲いていた。人には誰にも会わなかった。しかし、肱川に出る少し手前の橋の下から人の話し声が聞こえた。どうやらそこに泊まろうとしているようだった。そういうお遍路さんもまだいるのだ。肱川に出ると歯長地蔵があった。ここまでくれば、今日は卯之町までは行けるだろう。宿を探そう。電話をかけた。「満室です」「宴会が入っていて」「お遍路の団体さんでいっぱいで」「姉妹店のビジネスホテルなら空いてますが…」、またか。
それならと、卯之町駅前の老舗旅館に電話したら、意外に安かったのでそこにした。当日の直前になってからの宿探しがこんなに大変とは想像もしなかった。でも、宿が決まってほっとした。第43番・明石寺は明日お参りすることにした。途中、道引大師をお参りしたが、そこにも今夜はこのお堂の中に泊まるという年寄りのお遍路さんが準備をしていた。足も伸ばせないような小さなお堂だった。


駅前の老舗旅館(\6000)は、創業百年とあって、建物は相当古いが、料理は抜群に旨く、洒落たものを出していた。きっといい板さんがまだいるのだろうと思った。泊まり客は年配の男のお遍路さん一人で、奥のほうで宴会が入っているようだった。部屋に戻ると布団が敷いてあった。翌日の朝食は食堂だったので、年配の男のお遍路さんと少し話をした。歩き遍路だそうだ。


43番・明石寺  【 本堂 



愛媛県西予市宇和町明石 2017年5月14日・撮影



44番・大寶寺  【 本堂 



愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生 2017年5月14日・撮影



峠御堂トンネルとのみどう 



愛媛県上浮穴郡久万高原町 2017年5月14日・撮影
(トンネルの出口。遍路道は左側で、その林の中から下りてきた。
帰りはこのトンネルを通り抜けて久万高原町に出た。)



 4日目。天気は晴れ。少し戻るような感じで卯之町のアンティークな町並みを見ながら30分ほど歩き、宇和町内の43番・明石寺(めいせきじ)を打つ。4日目ともなると、巡拝もだいぶ慣れてきた。しかし、ここから第44番・大寶寺までは、約85km(ガイドブックでは104km)もある。今回の日程では、歩くのはかなり難しい。直通の宇和島バスの路線もなくなっていた。
JR卯之町駅まで戻り、特急で松山へ行き、そこからJRバスで第44番・大寶寺のある久万高原(久万中学校前)まで行くことにした。実は、まあ、これは予定の行動なのである。

JR卯之町駅の若い女の駅員に松山駅でのバスの連絡を訪ねたところ、連絡は
7分だった。だから特急を降りると、大急ぎで駅前のバス停まで走った。しかし、待てど暮らせどバスは来ない。ぬぬっ? 変だぞ! 15分過ぎたところで、バス案内所に行ってきくと、バスの時刻はこの4月に改正され、そのバスはなくなっていた。ああ、次のバスは13:50発、まだ1時間半近くある。まったくもって困ったもんだ! とは思ったが、不思議に怒りがわいてくるようなことはなかった。これもお遍路のおかげなのだろうかと思ったりもした。
(つづく)
久万中学校前のバス停から44番・大寶寺(だいほうじ)までは30分もかからなかった。杉の大木に囲まれた久万高原の山中の寺である。お参りした。遍路道は大寶寺の裏山へ抜け、シャガやホウチャクソウの花が咲く杉林の中を進む。そして県道12号線に出たところが、峠御堂トンネルの出口である。ここからは山間の12号線を進むのだが、すでに夕方の5時を過ぎ、未だ今夜の宿が決まらないという有様だった。
八丁坂の人気の民宿は満員で、隣の民宿は休みだった。その民宿の人は、親切にいろいろ教えてくれたり、素泊まりならどうぞといってくれたが、この時間になるとやはり食事付きでないと、この山の中ではチョット困る。だいぶ遅くなりそうだったが、その先の温泉のある国民宿舎(\7500)に電話すると、空き室もあり、8時くらいまでなら大丈夫ですよと、あっさりOKだった。薄暗くなった道路をただひたすら、黙々と歩いた。一体、何のためにこんなことをしているのだろう。なんだかわけが分からなくなっていた。着いたのは夜7時頃になってしまったが、なんということはない、山の中にしてはすごく大きくて立派な鉄筋コンクリートの宿だった。要するに収容力のある大きな宿はちゃんと空いているんだ。部屋に荷物をおいて、すぐさまビールと食事にした。至福の時だった。それではいけないのだろうが、やはりまだこちらのほうが至福だった。外国人と日本人のカップルが何組かいた。温泉もいい湯だった。



45番・岩屋  【 大師堂 



愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥 2017年5月15日・撮影




 5日目
今日はいよいよ今回の最大の難所である45番・岩屋寺(いわやじ)を打つ。天気は快晴、暑くなりそうだ。奇岩絶壁の古岩屋に見送られ、のどかな山間を直瀬川に沿って県道12号線を行く。ヤマツツジやフジの花が咲き、ちょうど茶摘みをしていた。
1時間ほどで岩屋寺に着いた。しかし石段が長い。巨岩絶壁に囲まれ、鬱蒼とした森の中は、まさに山岳修行の霊場である。なにか独特の雰囲気にのまれていた。霊気を感じていたのかもしれない。無意識のうちに今日の歩行距離44km+αに急かされていたのかもしれない。焦っていたのだろう。本堂と大師堂をまちがえて、先に大師堂をお参りしてしまった。奥にある堂宇の方が大きかったので本堂だと思いこんでしまったのだ。
あっ、失敗した! と思ったら、今度はお参りのたびに帽子を取ったり、サングラスを外すのがすごくめんどくさいというか疎ましく感じ、いらいらした。些細なことでまだイライラする。年甲斐もなく。
でも、初めから外しておけばいいんだと冷静に考えることはできて、すぐそうした。

初めて道が分からなくなった。帰りは、来た道とは違う寺の奥へ抜ける山の中の遍路道を通って周回し、八丁坂を下るつもりだった。納経を済ませたあと、納経所のお坊さんに道を尋ねた。一番奥にある仁王門をくぐって山道を登っていくのだそうだ。昼なお暗いような山道に「三十六童子行場」が設けられている。
ここを登り始めてしばらくしたとき、
「アッ! サングラスがない! アレ?! ホントにない~!!! 愛用のコールマンのサングラスが!」
外したとき落としたか、大師堂の前のベンチに置き忘れか、納経所の目の前の棚に置き忘れたか…、いろいろ思い出そうとしてみたが、はっきりしない。もう探しに戻れる距離ではない。無くしたことがすごく悔しかった。
沖縄の島々をともに旅してきたオイラのコールマンのサングラスだ。だが、今日は、諦めた。未練も執着もなく。スッキリ、ハッキリ諦めた。なんか外したり掛けたりするたびに疎ましく感じていたのは、あのサングラスはそういう運命にあったのかもしれないと思えた。いや、無理矢理そう思おうとした。物に執着し過ぎるのはよくない。物に縛られるから。変なことを自分に言い聞かせ続けた。

しばらく登ると、「逼割禅定」という巨岩の裂け目を鎖で登る修行場に着いた。人が2人登っていく後ろ姿がちらっと見えた。お遍路さんだった。扉が半開きになっていた。私は躊躇もせずに中に入り、登っていった。昨日夕方、大宝寺あたりで見かけた外国人と日本人のカップルのようだった。
頂上近くで追いつくと、若い日本人の女の人が何か言い出した。はっきり言って、怒られた。唐突だったのでオイラはびっくりしたのだが、要するに私たちは特別の許可を得てカギをかり、お金も払って入っているのだという。それは知らなかった。すみませんでしたとあやまったが、ここで下りるのもったいないので、すぐそこの頂上まで行って、そそくさとお参りして、何も言わずにさっさと先に下りた。
私が悪かったのだろうが、こういう場所で面と向かって怒られたのは、何とも後味が悪かった。でも、ずいぶんハッキリものを言う女の人だなあとも思った。いつも手をつないでいるお遍路さんだった。もしかしたら、2人だけの修行場を邪魔しちゃったのかな…?

八丁坂への山道は2、3回の上り下りはあるが、道ははっきりしていて歩きやすかった。昨日歩いてきた県道12号線に合流し、帰りは峠御堂トンネル(約600m)の中を通り抜けた。このトンネルのおもしろいのは、歩行者はまず電気を付けて入るのだ。発光タスキもおいてあった。

久万高原の町に出たとき、時刻はすでに午後3時を過ぎていた。
これから国道33号線を北上し、三坂峠を越え、第46番・浄瑠璃寺付近まで行くのは、明らかに無理である。順調に行っても夜8時を過ぎるだろう。だが、オイラは行こうとしていた。歩こうとしていた。食堂に入ろうかとも思ったが、そんな時間はもう無い、と自分で自分を一蹴した。コンビニでポカリとコッペパンといなり寿司を買って、歩きながら食べ始めた。ふだんそんなことは絶対にしない。やはり、すでに、ちょっと、おかしかったのだ。宿も取ろうともしていなかった。ただ、黙々とゆるい上り坂を何かに憑かれたように歩き続けているだけだった。
無心といえばかっこいいが、何も考えずに、ただ惰性で歩いているだけだった。
疲れている。やっぱり腹が減っているのだ。バス停にへたり込んで、残りのパンや寿司を食べた。通りの向こう側を外国人と日本人のカップルがやってきた。昼間の人たちではなかった。大きなザックを背負っているのに、猛烈な勢いで私を追い上げてきた。そして、女の人が、「いっしょに行きましょうよ。私たちもこれから長珍屋まで行くんですよ」と、励ますというか、誘ってくれた。ありがたかったが、あのスピードにはついて行けない。
国道33号線には、本数は少ないが、JR松山駅行きのバスが走っている。バス停を通過するたびに、バスの時刻を確認するようになった。やはりバスに乗るしかないな。では、まず宿を取ろう。電話すると、浄瑠璃寺前の旅館・長珍屋は空いていた。これからバスで塩ヶ森まで行き、そこから歩きますので、と遅くなることを告げた。宿の女の人は、ミカン畑の中を下ってくる感じになりますからと教えてくれた。
方針は決定した。あとは時間が許す限り、少しでも歩き遍路をしようと思った。横通というバス停で、さてどうしようかと思案した。バスが来るくるまでまだ15分ほどある。もう1駅稼ごうか、と歩くことにした。
後から考えてみれば、これが運命の分かれ道だった。
歩いても、歩いても次のバス停にならない。必死になって歩いた。だが、バス停がない。どういうことだ? 失敗したな。バスが来たら、見境なく手を挙げて止まってもらおう。振り返り、振り返りしながら歩いた。しかし、バス停はない。人家のないところだからバス停の間隔が広いんだ。先ほど声を掛けてくれたカップルが公園のようなところで休んでいた。オイラは「次のバス停まで急ぎますので」と大声を出して、そのまま歩いた。このとき休まなかったのが、後から考えてみれば悲劇の始まりだったのかもしれない。
だが、おかしい。どこまで行ってもバス停がない。時刻を過ぎても、バスが来ない。バスがオイラを追い越していかない。何か様子もおかしい。5時半くらいになってはいたが、車が1台も通らない。道は広いが本当に1台も通らないのだ。閑散としている。ついに三坂峠まで来てしまった。バス停はあったが、古びていて、バスの時刻表も読めない。明らかに使われていない、おかしい。あたりはまるでゴーストタウンのようだった。右側には石標と遍路道が延びていた。はたと考えた。キツネにつままれたような感じだった。

すこし先の道端で山菜の仕分けのようなことをしている人たちがいたので尋ねると、なぜかはっきり答えてくれない。教えてくれない。車の中の犬には吠えたてられ、その脇で子供達が大ふざけして暴れたり泣いたりしていた。なんかへんな集団だった。ただ分かったことは、「新道が出来てからは、ここの道は人も車の通らないよ」とのことだった。バスはもう通っていないのだ。道理で。
困り果てていると、先ほどのカップルが着いた。聞いてみると、ドイツ人だという若者がガイドブックを出して、バス停があると見せてくれた。だが、彼のガイドブックも古かったのだ。オイラの遍路地図は家にあったのを持ってきたのだが、三坂新道さえも書かれていなかった。もっと古かったのだ。オー・マイ・ゴッド! である。カップルも先を急いでいた。オイラは「ダンケッシェーン」と大きく叫んで分かれた。

静まりかえった三坂峠は、刻々と夕闇に包まれていった。オイラはすでに動揺し、慌てていた。ドツボにはまっていた。もしかしたらこれは“わが人生最大のピンチ”かもしれない。大きく息をした。観念した。もう、タクシーである。金ならいっぱい持ってきた。
電話した。1軒目は出ない。2軒目はメーターを倒していくので、4千円ぐらいはかかるという。うむー、急に勢いがなくなり、現実的になって、迷った末に、やっぱりやめた。
バスはまだある。さっきの最後の停留所まで戻ればいいんだ。それが一番安くて確実だ。オイラは三坂峠からまた元来た道を大急ぎ戻った。
三坂峠からカップルが休んでいた公園までは2kmほどはあろうか。目の前の右手に新しい道路とトンネルが見えた。三坂新道である。さっき上がってきたときには、それに気がつかなかったのだから、何ともうっかり者というか、どうかしている。路線バスはそちらを走っているのだろう。バス停もなければ、バスに追い越されることもないわけだ。
公園内には見えにくいところにテントが1張り張ってあった。お遍路さんのようだった。

すぐ下の旧道と三坂新道の別れ道の所まで歩いてきた。信号機があった。それをボケーと見ていた。ここが運命の分かれ道だったんだ。自分がすごく疲れているのが分かった。そのとき、久万高原の方から、黒塗りの乗用車がスーッと近づいて来るのが見えた。あれ? 夕闇の中に赤い「空車」の文字が見える。えっ? まさか! タクシーである。
オイラは慌てて手を挙げた。ちぎれんばかりに手を振り回した。黒のクラウンは私の目の前に、そう大騒ぎしなさんなとばかりに、静かに止まった。こんな山の中で、こんな時間に、目の前にタクシーが走ってくるなんて、信じられないことが起こった。本当に奇跡としか言いようがない。
運転手さんは「どうぞ」と言った。私は、泣きたいくらいに嬉しかった。道に迷って、バスの乗り遅れ、どうしようもなく困り果てていることを告げ、第46番札所の浄瑠璃寺に行く途中の塩ヶ森というところまでお願いしますと言った。運転手さんは「はい」とは言ったが、どちらに進めばいいのか何となくわからないような感じがした。私は、道はだいたい分かると思うので、この33号線の旧道をまっすぐ進めばいいんだと思いますといった。
「そうだ、昔、浄瑠璃寺には来たことがある。左に曲がるんだよ」
「いや、右側だと思いますが…」私は念のため地図とメガネを出しておいた。

さっき歩いて上がって行って、また歩いて下りて来た三坂峠への道を、今度はタクシーでまた上がっていく。
運転手さんは、今日は遍路タクシーで5寺回ってきて、いい稼ぎになったそうで、ちょっとご機嫌のようだった。顔ははっきりとは見えなかったが、かなりの年配で、後ろ姿のがっしりした肩のあたりは、どこかで見かけたような、見覚えがあるような気がした。
旧道の33号線(現在は400号線)はかなり曲がりくねっていて、距離があった。運転手さんは、「とにかく左に曲がるんだ。そこを逃すと大変なことになる。あとはミカン畑の中を下っていくんだ。」そればかり、まるでお経のように繰り返していた。
道が大きくカーブし、360度回転したかと思ったところで、左側に浄瑠璃寺へという小さな看板があった。運転手さんはそれを見逃さず、その暗い細い道に左折した。「ほれ、左だろ」と言った。そして運転手さんは「メーターをよく見といてくれ」と念押ししてから、メーターを降ろしてしまった。
「この辺が塩ヶ森でしょ、塩ヶ森で降ろしてください。」と私は言った「今日はどこへ泊まるんだい? 行ってやるよ。」
「いやあー、一応歩き遍路ですから…」
「この真っ暗なミカン畑の中で降りたら、わかんなくなるよ。」
「…長珍屋」
「ああ、浄瑠璃寺の真ん前の…、あそこなら昔よく行ったから分かる。任せておけ。」
それにしても、「昔」が多い。いつ頃のことなのだろう。
いろいろ話をした。若い頃東京にもいたそうだ。それなりに苦労もしてきたような雰囲気がした。でも、顔は見なかったが、どこかで会ったことがあるような気がした。
暗くて細い山道が続いたが、道と運転は正確だった。歩き遍路としてはタクシーで旅館に乗り付けるのは格好悪いから、少し手前で止めてくれと言ったのに、長珍屋の真ん前に横付けされた。

かなりの距離だった。メーターは2500円でおろされたが、私は財布の中にあった千円札全部、といっても4枚しかなく、4000円を渡した。それでも明らかに安すぎるだろう。運転手さんは「おおっ」と言っておしいだき、携帯の番号を書いた名刺をくれた。
「なんかあったら、いつでも呼んでくれていいからな」と言った。
私は、本当に助かりましたと、何度も何度もお礼を言った。
そして車を降りたとき、運転手さんは「おっ、メガネ」と言った。座席を見たらオイラのメガネケースが転がっていた。1日に2個もメガネをなくしたら、お大師様からも見放されてしまうな。私はまたまたお礼を言って、頭をペコペコ下げた。なんだか昼にサングラスをなくしたことを見透かされているような気がした。そして私は明るい旅館の中に入っていった。
わが人生最大のピンチは、なんとか切り抜けられたようである。

長珍屋は大きな旅館だった。穏やかで物静かで、ぽちゃぽちゃとした顔の女将さんらしい人が迎えてくれた。フロントで受付したあと、私はもう話さずにはいられなかった。夕暮れの三坂峠で困り果てて呆然としていたところ、目の前に突然タクシーが現れ、それに乗ったら、塩ヶ森で降ろしてくれといっても、降ろしてくれなくて、ここまで乗せてきてくれたことを。女将さんは、「それはよかったですねえ~」とニコニコしながら言った。

すすめられるままに先に風呂には入ったあと、大広間の食堂へ行った。
床の間のようなつくりのところに、仏さんや掛け軸や仏画、仏具などが飾ってあった。軽く座って合掌だけのお参りした。その時、掛け軸の中に描かれた人と目があった。その瞬間、私は身の毛立った。全身に鳥肌が立ち、何か強烈なものを感じ取った。そして、「あっ!」 と叫びそうだった。
掛け軸の中の人は、まさに先ほどのタクシー・トライバーだった。そうだ、タクシーの運転手さんはお大師さま、弘法大師だったんだ。がっしりした肩の後ろ姿やでかい四角張った頭は、まさにお大師さまそっくりだったじゃないか。
それで分かった。車を運転し始めようとしたとき、どっちに進めばよいか分からないようで、一瞬もたついたこと。話の中に「、来たことがある」が多かったこと。それに、塩ヶ森からのあの真っ暗なミカン畑の中の、あの細い山道をビュンビュンぶっ飛ばして走って来れたこと、どう見ても不思議だ。若い頃東京にいたと言ったが、あれは都という意味で京都のことだ。
それに、運転手さんの顔を何度か見ているはずなのに、どういう顔立ちだったかどうもはっきり覚えていないこと。運転手さんには顔がなかったのだ、そう、お大師さまだから隠されていたというか、私の記憶の中の顔が消されていたのだろう。
“お大師さまミラクル”がまた起きたのだ。私はまた助けられた。私はタクシーの運転手さんに、そしてお大師さまに感謝しながら、遅い夕飯を食べた。
夕食も食べ終わるかと思う頃、
ドイツ人と日本人カップルが到着した。…

(つづけ~)
(2017..更新)


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