古代史の風景(5)  佐保を歩く    


 古事記と日本書紀の垂仁天皇の項に「さほびこの反乱」という話が載っている。注をみると、舞台地は奈良市の佐保とある。物語に惹かれ、その伝承地を訪ねてみた。


 サホの王、サホビコの妹のサホヒメは、大和のイクメ大王(垂仁天皇)の后であったが、謀反の心を持つ兄から、大王を殺すようにと小刀を渡される。昼寝中の夫を刺すことができなかった后は、問われていきさつを打ち明け、大王の軍はサホビコ討伐に向かう。身ごもっていた后は、兄と夫が戦うことに耐えられず、実家へと逃げ帰ってしまう。サホビコは稲で砦を築き、大王の軍と戦った。
 やがて稲城の中で王子が生まれ、それを知った大王は、后と子の両方を取り戻そうと図る。サホヒメは王子だけを差出すと、自分は砦に戻り、兄と命運をともにする。城は焼かれ、兄妹は焼け死んだ……。      (日本書紀より)


 近鉄奈良駅からまず佐保川の上流に向かい、春日山、若草山となだらかに続く山並みを眺めた。麓の野を佐保川が縫っていく。近づいてみると、細い流れで、川水は澄んでいる。遠くの木立の間には大仏殿の大屋根、川べりには野草を摘むらしい人の姿が見え隠れし、自然の残るのどかな情景が広がっている。
 流れに沿って歩き始めると、たちまち川水が濁っていくのがわかる。川筋の道が途切れ、横道に入ったりしながら、聖武天皇佐保山陵、佐保橋の辺りまで歩く。桜並木の辺りでは、流れは再びきれいになり、緩やかに流れていく。  
 ここ佐保の地は、当時政権のあった三輪山山麓から、約20キロの位置にある。夫と兄が戦うことになったとき、サホヒメは夫ではなく、兄や実家との絆のほうを選んだ。おそらくは三輪から山の辺の道を伝い、身重のサホヒメは難渋しながら、実家を目指したのだろう。
 佐保の法蓮町にある狭岡(さおか)神社付近が、兄妹ゆかりの地であるという。境内の木立の下で「狭穂姫の鏡池」と碑を眺めた。兄は反逆者であり、その兄に殉じたため、陵などは現存しない、と説明板にあった。
 佇んで水面を覗くと、暗く淀んでいる。けれども古代には、ここに泉が湧き出ていて、その水はきっと透き通っていたのだろう。そしておそらくこの近くに砦があり、兄妹はそこで大和の大王の軍に滅ぼされたのだ。


……将軍(いくさのきみ)八綱田(やつなだ)、火をつけて其の城(き)を焚(や)く。…時に火興(おこ)り城(き)崩れて…狭穂彦(さほびこ)と妹(いろも)と、共に城の中に死(まか)りぬ。                   (日本書紀)


 墓所こそないが、2人の名は佐保という美しい地名に今も残っており、ここを訪ねる人の心に、ひっそりと何かを語りかけてくる。見上げると頭上の樹木の緑は思いのほか深く、周囲は静かだった。





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