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雨。 春とはいえその雫は冷たく体温を奪う。 霧のような雨の中を進む二つの背中。 一つの真っ赤な傘の下で窮屈そうに肩を寄せ合っている。 「やっぱり二つ持ってくれば良かったんや。男同士で、しかもこんな赤い傘で相合傘やなんて恥ずかしいわ。俺ら三十過ぎてんやぞ」 ぶつぶつと独り言のように呟くアリスの顔は、人目を気にしているせいかうっすらと紅い。 そんなアリスを横目に見ながら火村は肩を竦めた。 「うるさい先生だな。しょうがないだろ、忘れ物とはいえ人様の物を何本も使えるか」 その日、締め切りを少し過ぎた原稿を何とか仕上げたアリスは、英都大学の火村の研究室にいた。 家を出る頃は青空が広がっていて、まさか雨が降るなんて思いもしなかった。 確かに朝見た天気予報では天気が崩れると告げていたが、あまり当てにはならないそれを信じることなく、意識的なのか無意識なのか、とにかく傘は持たずに家を出たのである。 しかしその日に限って予報は的中し、研究室を出る頃には今にも降り出しそうなほど空は厚い雲に覆われていた。 火村も傘を持ってきてはおらず、仕方なく二人は研究室に置き忘れられていた傘を一つだけ拝借したのだ。 そして大学を出て暫く歩いた頃、予報を鼻で笑ったアリスを逆に嘲笑うかのように雨は降り出し―――今に至るのである。 「うう・・・情けない」 傘の柄を握るアリスは、くぐもった声で一人呟きながら火村が濡れないように傘を傾けた。 風邪気味だという彼に対する配慮である。 「いいじゃないか、たまにはこういうのも。恋人同士なんだぜ?遠慮することはないさ」 憂鬱そうなアリスを尻目に、火村は実に楽しげで笑みさえ浮かべている。 「恥ずかしいとこ言うな!どう考えても目立ちすぎや」 恨みのこもった目で睨み付け、アリスは盛大に溜息をついた。 すれ違う人々が物珍しそうにこちらを見る度に居たたまれない気持ちになる。 まるで動物園の猿になった気分だ。 自意識過剰なのかもしれないが、気になるものは気になるのだからしょうがない。 「・・・惚れてる方の肩が濡れる」 俯きがちに歩いていたアリスは突然隣から降ってきた声に、ぽかんと口を開けて火村を見上げた。 「何やって?」 「相合傘は惚れてる方の肩がより濡れるって言うだろ」 火村はニッと口角を持ち上げながらアリスの肩を目で示した。 火村の言う通り、アリスの服の左側は水を吸って重くなっている。 「アホ。君が風邪気味とか言うからやろ。そうやなかったら俺が独占や」 心にもないことを言いながらそっぽを向く。 その時、アリスの脳裏にふと昔の情景が甦った――― 二人が大学生だった頃。まだ只の友達だった頃のことだ。 あの日も二人で一つの傘を共有して歩いていた。 どういう経緯でそうなったのかは良く覚えていない。 ただ、自分はほとんど濡れていないのに火村の片側がかなり濡れていて、申し訳なく思っていたことははっきりと覚えている。 『惚れてる方の肩が濡れる』 先程の火村の台詞を思い出し、アリスの顔に自然と笑みが浮かぶ。 「何だ?急にニヤニヤして気持ち悪い奴だな」 「別に。ちょっと面白いこと思い出しただけや」 さっきまでの憂鬱な気分はすっかり吹き飛んでいた。 足取りも自然と軽やかになる。 あの時既に、火村は自分に特別な感情を抱いてくれていたのだろうか。 常に飄々としていて全くそんな素振りを見せたことはなかったけれど、濡れた肩が想いを表していたのだろうか。 アリスの心は雨に打たれる冷たさも気にならぬほど温かくなった。 天から落ちてくる冷たい雫。 鮮やかな真っ赤な傘。 少し気恥ずかしい相合傘。 雨に打たれ濡れた肩。 きっと二人は… 想い想われ――― ―――相思相愛。
〜E N D〜 |