Best Pillow 1
ある晴れた昼下がり。
探偵は古本屋の前に立っていた。
ふっと目を細めて空を仰ぐ。
柔らかな太陽の光が、色素の薄い瞳を更に淡い彩に染めた。
子供のように顔を輝かせ、榎木津は迷わず母屋に回って家の中に上がり込んだ。
「おお、老人に猿に鳥とは面白い組み合わせだなッ。犬がいれば鬼退治に行けるぞ」
座敷に着くなり叫んだ榎木津に、主は何時もながら読んでいる本から顔を上げようともしない。
変わりに反応したのは縁側に居た伊佐間だった。
榎木津に負けず劣らず不思議な格好をした彼は、緩慢な動作で仁王立ちしている榎木津を見上げる。
「やあ、榎さん」
伊佐間はそれだけ云うと、庭へと視線を戻した。
続いて鬱々と茶を啜っていた関口が、榎さん――と不明瞭な発音で云った。
その横でお茶菓子をがつがつと頬張っていた鳥口も、全て飲み込むと軽く頭を下げる。
「お久し振りっす、大将。今日は良い天気すからね。昼寝ですか?」
「僕はこれに会いにきたのだ。お前達こそ、天然トリオが集まって何の相談だ。ああ、矢張り犬を探してるんだな!」
中禅寺を指差してから定位置に腰を下ろすと、犬だ、犬だと一人嬉々として繰り返した。
「何の話ですか」
榎木津の勢いに気圧されていた関口は、億劫そうに漸くそれだけ口にした。
その表情は益々沈痛なものになっていく。
そんな関口の憂鬱など全く気にも留めることなく、尊大な探偵は大きな手で彼の背中を叩いた。
「猿に鳥に犬と云えば桃太郎だろう。そんなことも知らないとはこの馬鹿猿め。こんな猿と行っても脂性なだけで何の役にも立たないぞ、トリちゃん」
「うへえ、いやいや鬼退治なんて行く予定ないっすから」
突然話を振られた鳥口は、目を丸くして困ったように頭を掻いた。
「僕は中禅寺君に聞きたいことがあっただけ。それに―――老人は鬼退治には行かないよ」
それまで黙って庭を眺めていた伊佐間が、榎木津達には目を向けることなく独り言のように呟いた。
その声に存在を思い出したかのように振り返り、探偵は満面の笑みを浮かべて大丈夫だ、と頷いた。
「黍団子を作る役目があるぞ」
「うん」
納得したのか、付き合いきれなくなったのか、背中を丸めた伊佐間はそれ以上何も云おうとしなかった。
何が面白いのか、じっと外の景色を見つめている。
新しい作品の構想でも練っているのかもしれない。
「そうなると桃太郎は誰なんすかね。矢張り大将が?」
「鳥口君、君はそんなこと聞いてどうするんだい」
身を乗り出して真剣な顔で尋ねる鳥口を、関口は横からうんざりとした表情で諌める。
「こんな役立たず共を連れて行かなくても、僕なら一人で十分だ」
胸を張って偉そうに告げたとき、手にしていた書物を読み終わったらしい主が漸く顔を上げた。
相変わらずの不機嫌そうな表情。
その眉間にはくっきりと縦皺が刻まれている。
「君達はわざわざうちまでやって来て、一体何の話がしたいんだ。鬼ヶ島でも何処へでも行って欲しいものだね」
「そんな所まで行かなくても鬼なら其処にいるじゃないか」
再度中禅寺を指差し、なあ、と楽しそうに問いかける榎木津に頷くような勇気ある者は誰も居ない。
「じゃあ――僕達はそろそろ帰ろうか」
石のように固まっていた伊佐間が徐に腰を上げた。
必要以上ににこにことしながら関口達を促す。
「そうですね。遊んでないで家に帰って原稿書きましょうよ、先生」
鳥口も伊佐間に倣って立ち上がり、関口の腕を引いた。
「え、いや、僕は…」
口篭る関口の隣を通り過ぎようとして、伊佐間はふと立ち止まった。
「関君。馬に、蹴られるよ?」
「え、馬?」
「桃太郎に馬は出てこないっすよ?」
訝しむ二人。
二人とは対照的に口の端を上げる榎木津と、僅かに身体を強張らせる中禅寺。
「うん。それじゃあ中禅寺君、ありがとう。頑張って」
意図を理解できず首を捻る二人に返事にならぬ返事を返し、伊佐間は一度にやりと笑うと飄々と去っていった。
中禅寺は何も云わず、苦虫を噛み潰したような複雑な表情でただ黙ってその後姿を見送った。
そんな中禅寺を余所に、榎木津は益々機嫌を良くして手を振っている。
「ふふ、伊佐間屋は以外に気が利くじゃあないか。それに比べ、鈍間な猿には困ったものだ」
「人を猿扱いするのもいい加減にしてくれ」
「何を云っている、猿扱いじゃないぞ。お前はまさしく猿だ」
きっぱりと言い放たれて何も云えなくなった関口は、うぅっとくぐもった声を洩らし、鳥口に支えられながら渋々立ち上がった。
「それじゃあ、師匠、ご馳走様でした」
関口とは対照的に晴れやかな笑顔で挨拶を済ませると、鳥口も関口と共に京極堂を後にした。
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