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座敷で黙って主を待つ。 お茶も出せないと云うことは細君は出掛けているのであろう。 二人きり――― ドクン、と大きく脈打つ自分の鼓動が聞こえた気がした。 鳥口は慌てて頭を振る。 ――話をしに来ただけだ。 やましいことなど何もない。 ただ、会って変わらぬ日常を確認したかっただけで… 言い訳をすればするほど鼓動は速くなる。 中善寺の顔がちらついて、体温が上がるのを感じた。 雑念を振り払おうとぐしゃぐしゃと頭を掻く。 「鳥口君、何を一人で煩悶してるんだい?気でも触れたか」 訝しむような眼差しを鳥口に向けながら、中善寺は床の間の前の定位置に座った。 真正面から細く眇めた目で見据えられ、鳥口は頭の中を見透かされるような気がして慌てて居住まいを正した。 「うへえ。し、師匠。あ、あの、ええと。そう、僕も色々大変でして。鳴かぬ蛍が身を粉にする、って云うでしょう」 しどろもどろになりながらも、何とか落ち着きを取り戻した鳥口はいつものようにとぼけた顔で軽口を叩いた。 相変わらず彼の諺は間違っているのだが、本人は良くわかっていない。 「云わないよ、そんなこと。相変わらず訳の分からない諺を持ち出してくるな」 溜息混じりに呟いた中禅寺は既に鳥口を見ておらず、手元に引き寄せた本を読んでいる。 鳥口は眉尻を下げて情けない表情を浮かべ、ぎゅっと拳を握り締めた。 「師匠、すみませんでした。僕ァ――情けないです」 膝の上に置いた自分の拳を見つめながら、噛み締めるようにゆっくりと、わだかまっていた悔しさを吐き出す。 「何を謝っているのか知らないが、鳥口君が情けないのはいつものことだろう」 「それはあんまりじゃないですか。これでも一応頑張ってるんすよ?」 容赦ない中禅寺の言葉に、一瞬気圧されるがすぐに立ち直って顔を上げる。 「僕は貴方を疑ってしまった。師匠の信頼を裏切って…」 そこで鳥口は言葉を切り、きゅっと唇を噛み締めた。 何も云ってもらえない不安、もどかしさ。 それは鳥口を信頼してのことだった。 けれど自分はそれに気付かずに――― 上手く言葉にできない歯痒さに鳥口の気は逸る。 そんな鳥口に、中禅寺は本から顔を上げてひょいと片眉を持ち上げた。 「そんなことを気にしていたのか。もう終わった話だろう」 抑揚のない静かな声に、鳥口の胸は締め付けられる。 「でも、でも僕はよりによって――」 一番大切な人を信じられなかった――― 込み上げてくる思いに勢い良く立ち上がり、強く中禅寺の手を引く。 小さな音を立てて落ちる本。 僅かに目を見張った中禅寺が腕の中に収まった。 細すぎる身体を折れる程強く抱き締めて、その肩に顔を埋める。 「師匠。僕は二度と貴方を疑ったりしない。だから――」 震えそうになる声で呟いてゆっくりと顔を上げた。 漆黒の瞳がすぐそこから自分を見つめている。 相変わらずの不機嫌な表情にも僅かな動揺が見える。 鳥口はそこで笑みを浮かべ、大きく息を吸い込んだ。 「だから、もう一度だけ僕を信じてください。絶対に貴方の役に立ってみせます。体力には自信あるし、お買い得ですよ?」 鳥口の台詞に中禅寺はふっと笑った。 「お買い得って、買わなきゃいけないのかい?それなら間に合ってるよ」 どこか楽しげな口調に鳥口の心は軽くなる。 「今なら特別にただ働きで」 「そうか。それならしっかりと働いてもらおうじゃないか」 そう云うと中禅寺はニヤリと口端を歪めた。 「うへえ。お、お手柔らかに」 穏やかな午後。 腕の中の温もり。 誰よりも何よりも大切な―― ――大切な存在。 〜了〜 |