櫻舞うとき 4








 口付けを受けた花弁は少年の指先から離れ、風に舞った。
 戯れのように目の前で小さな円を描いた後、それは数多の花びらと混じり、視界から消えていった。
「此処で何をしていた?新入生だろう」
 少年の声に意識が現実に引き戻され、中禅寺は目の前の整った顔を見つめた。
 問いに答えるように、手にしていた本を軽く持ち上げる。
「読書を。決まり切った話を聞くより有意義でしょう」
 片眉を上げる中禅寺に少年はふふっと嬉しそうに笑った。
「名前は?」
「人に名前を聞く前に、自分から名乗るのが礼儀だと思いますけどね」
 身を乗り出して顔を近づける少年から距離を取り、憮然と言い放つ。
 その言葉に少年は驚いたようだった。
「僕を知らないのか?」
「当たり前だ。初対面でしょう」
 怪訝そうに眉を寄せて少年の顔を見つめてみても、全く見覚えはなかった。
 ビスクドールのように整ったその顔立ちは、一度見れば忘れないだろう。
 そんな中禅寺の困惑を余所に、少年は威張るように両手を腰に当てて威張るように胸を張った。
「僕は榎木津礼二郎だ」
 聞き覚えのある名だった。
 元子爵。
 すぐに答えは思い浮かんだが、興味はない。
「僕は中禅寺秋彦」
 端的にそれだけ云うと、この場から立ち去ろうと一歩前に踏み出した。
「中禅寺…お前は僕を好きになるぞ」
 突然の宣言に中禅寺の足が止まる。
「何ですか、それは」
 無視をすれば良い。
 頭ではそう思ったが、思わず訊いてしまった。
「僕がお前を好きになったから」
 当然のようにきっぱりと云い放たれた台詞。
 理解するのに僅かに時間が掛かった。
 中禅寺は唖然として人形のような顔を見つめた。
「…あんた、云ってることが無茶苦茶だ」
「僕は間違ったことは云ってないぞ。何故なら僕は神だからだッ」
「神?」
 呆れを通り越して思わず笑ってしまった。
 確かに先程からの傲岸不遜な態度は神と云えるかもしれない。
 肩を震わせて笑う中禅寺の姿を、榎木津は真面目な顔になってまじまじと見つめた。
 視線を感じて中禅寺はふと顔を上げると、すぐに不機嫌そうな表情に戻った。
「…何です?」
「……可愛いッ」
 突如中禅寺の視界が遮られ、手にしていた本が音を立てて地面に落ちた。
 息苦しさと共に抱き締められたことに気付く。
 見た目よりずっと力強い腕から逃れようとしたが、びくともしない。
 背の高い榎きずの胸に、自然と顔を埋める格好になる。
「ちょっ…離せ」
「少し痩せすぎだな」
 慌てる中禅寺を無視して、榎木津は悠長にそんなことを呟く。
「大きなお世話だ」
 溜息混じりに零された言葉には、既に諦めの色が滲んでいた。
 神を止められる者などいないのだ。
「見つけた。絶対に離さないぞ」
 背に回された腕の力が強くなる。
 見つけた―――
 ふっと中禅寺の身体から力が抜けた。
 榎木津の姿を見たときから続く胸騒ぎ。
 そう、見つけてしまったのだ。
 きっと離れられない。
 それは予感ではなく確信。
 青い青い空の下。
 薄紅の花が舞う中で。
 ゆっくりと刻が動き始めた瞬間。
 其れは全ての始まり―――   



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