月光







 夜中に目を覚ました榎木津はゆっくりと起き上がった。
 後ろを振り返ると月齢十五の大きな月がこちらを覗いている。
 柔らかな光が榎木津の人形のような白い顔を照らす。
 ふと視線を落とすと、隣には死んだように眠る中禅寺の姿があった。
 差し込む月光のせいか、いつもより青白さの目立つ顔。
 榎木津は眠る部屋の主にそっと手を伸ばし、その黒髪に触れる。
「京極」
 小さな声で名を呼ぶと、瞼が僅かに震えた。
 そのまま息を殺して様子を見守ったが、起きる気配はない。
 いつもの彼ならすぐに目覚めるだろう。しかし今は、疲れ切っているのか榎木津の前で無防備に寝顔を晒している。
 そんな中禅寺の様子に気を良くしたのか、榎木津は口許に笑みを浮かべながら指の間からさらさらと零れ落ちる黒髪の感触を楽しんだ。

 しばらく髪を弄って遊んでいたが、すぐに飽きたのか手を離してじっと中禅寺の顔を見下した。
 やつれて見える表情が艶かしい。
 少し視線を下げると、乱れた着物から不健康までに白い素肌が覗いている。
 榎木津はふふっと小さく笑うと片手を中禅寺の顔の横につけ、ゆっくりと顔を近付けていった。
「んっ――」
 唇が触れた瞬間、中禅寺の意識は浮上した。
 重そうに瞼を持ち上げ、飛び込んできた榎木津の顔に軽く眉を寄せる。
 不機嫌そうな中禅寺をよそに、榎木津はニコニコと笑いながら振り返って月を指差した。
「おお、起きたか京極。見てみろ、月が綺麗だぞ」
 弾んだ声に引っ張られるように、中禅寺は徐に起き上がって髪を掻き上げた。
「知ってるよ。月は今昇ったわけじゃないんだから」
 憮然とした声に榎木津はむっとした表情になって中禅寺を振り返る。
 半眼で見つめた先には自分の顔と大きな月。
「お前、最中に月なんて見てたのか。随分と余裕じゃないか」
 半眼のまま声を低めて呟かれた台詞に、今度は中禅寺の眼差しがきつくなった。
「ふざけたことを。僕はもう寝るよ」
 冷たく云い放つと、中禅寺はさっさと布団に潜り込んで背を向けた。
 榎木津はそんな彼を面白くなさそうに見つめ、腕を組む。
「京極。もっと愛想良くしたって罰は当たらないぞ」
「何を云ってるんだい。榎さんに愛想良くしたって何の得にもならないだろう」
 背を向けたまま淡々と云われ、さらに榎木津の機嫌は悪くなる。
 しかし――
 何を思い付いたのか、パン、と手を叩き、榎木津はにんまりと笑みを浮かべた。
 そして中禅寺の肩に手をかけて布団に押しつけ、無理矢理に上を向かせた。
「見たい」
 ぼそりと零された言葉に、中禅寺は怪訝そうな表情になって榎木津を見上げる。
 じっと見下ろしてくる鳶色の瞳。
 中禅寺は居心地悪そうに肩を掴む榎木津の手を振り払った。
「見たいって、一体何を」
「何って決まってるじゃないか。愛想の云い京極だ。実に珍しい。見せろ」
 榎木津は手を振り払われたことも全く気にならないのか、ニコニコと笑っている。
 余程自分の思い付きが気に入ったのか、さっきまでの不機嫌さは欠片ほどもうかがえない。
 中禅寺は片眉を吊り上げて独特の表情を作った。
「見せろって云われてできるものじゃないだろう。くだらないこと云ってないで、寝たらどうだい?」
「くだらなくない。見るまで僕は――」

 喚く榎木津の声が途中で遮られる。
 暫しの静寂――

 榎木津の唇は中禅寺のそれで塞がれていた。
 細い手が伸ばされ、色素の薄い榎木津の髪に触れている。
 それは一瞬の出来事。
 すぐに唇は離れ、中禅寺は何事もなかったように涼しい顔をしている。
 榎木津は大きな瞳を更に大きくした後、ふっと目を細めた。
「なかなかやるな、京極」
「あんたほどじゃあないよ」
 中禅寺の口許にも僅かに笑みが浮かんでいる。
「今度こそ僕は寝るけど、榎さんはまだ起きているのか?」
「僕も寝るぞ。珍しいものが見れて満足だ」
 言葉通り、榎木津は満足そうに頷いて中禅寺の隣に潜り込み、その細い身体をしっかりと抱き締めた。
「ふふふ、まだ熱が残っているな。きっとお前は僕の夢を見るぞ」
 暗示をかけるように耳元で低く囁いた後、榎木津はすぐに規則正しい寝息を立て始めた。
「それは勘弁してほしいな」
 眠ってしまった榎木津の端整な顔を見ながら、中禅寺は肩を竦めつつ小声で呟いた。
 力強い腕の中で、ふと視線を外へと向ける。
 そこには、青白い大きな大きな月が浮かんでいて…

        月が―――

               ―――月が見ている…

 榎木津の下で、熱に浮かされながらぼんやりと見ていた月。
 変わらぬ光が容赦なく中禅寺を照らす。
 熱を帯び始めた身体に動揺しながら、月光から逃れるようにきつく目を閉じ、榎木津の胸に顔を埋める。
 きっと榎木津の予言通り、彼の夢を見るのだろう。
 そんな予感に駆られながら、中禅寺は深い眠りへと落ちていった…

 寄り添って眠る榎木津と中禅寺。
 青白い清かな光が、二人を見守るように包んでいた――


                       〜了〜

初めて書いた榎京小説。
月光第1楽章を聴きながら書いた記憶が。イメージ通りいかなかったけど。
本当はこれの前に話があるんですけど、それはいつか裏で書く予定。
野望としてはBGMに月光第3楽章を聴きながら、激しく乱れる京極堂を書いてみたい(笑)