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溝口健二

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ふるさとの歌 ふるさとのうた
監督 溝口健二
公開年 1925年
評点[B]
感想  『ふるさとの歌』は大正十四年(1925)の作品で、断片を含めても今のところ現存する最古の溝口健二監督作品。

 東京の中学に通う関本順一(川又賢太郎)と商業学校に通う前坂太郎(宇田川寒待)が久しぶりに帰省してきた。家が貧しく進学できなかった竹田直太郎(木藤茂)は学生服姿の二人をうらやみ、村の若者たちは前坂が紹介する都会の風俗に溺れてしまうが……。

 当時の文部省の公募作品(原作:松居張二)の映画化で(脚本:清水竜之介)、フィルムが文部省に保存されたため奇跡的に完全に近い形で残されているらしい。
 この作品に対してよく言われているように、ストーリーは教条的で、頽廃的な都会文化を否定し堅実な農業こそ国の基本だとする農本主義的なテーマであり、いかにも当時の少壮“革新官僚”が喜びそうなものになっている。
 しかしながら、最初に帰省列車の中の生真面目そうな関本と大騒ぎする前坂(「騒ぐのは僕らの自由だ」と言うのは今の若者と全く変わらない)、故郷の駅に着いてからの乗合馬車(主人公の竹田が御者。映画評論家の佐相勉が指摘するように『瀧の白糸』を彷彿とさせる)と乗合自動車、といったように対照的なものを並べる冒頭の展開から目を惹きつけるものがある。
 また、その後の東京かぶれの前坂の滑稽さも、文部省推薦の都会文化批判の域を超えた滑稽さを感じさせ、のちの溝口作品に時折観られるユーモアの部分の源流のような印象を受けた。官推薦のプロパガンダ映画とはいえ、溝口健二の作家性を感じさせる作品になっていると思う。

 フィルムセンターでの上映では製作当時の速度で再生され、現在におけるサイレント映画の上映でありがちな違和感がなく、適切な条件で鑑賞できたことも明記したい。(2006/11/03)

朝日は輝く あさひはかがやく
監督 溝口健二・伊奈精一
公開年 1929年
評点[評点なし]
感想
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雪夫人絵図/朝日は輝く(短縮版)
雪夫人絵図/
朝日は輝く(短縮版)

 今日は、溝口健二監督の『朝日は輝く』を観た。共同監督は伊奈精一で、昭和四年(1929)の作品。

 創業五十周年という文字が電光ニュースに輝く大阪朝日新聞社。今日も記者たちが忙しく働く中、客船オーロラ号の火災事故発生の報が飛び込んでくる。大阪朝日の記者や救護班の面々は飛行機やモーターボートを駆使して事故現場へ向う。

 創業50周年を迎えた大阪朝日新聞社が日活に製作を委嘱した宣伝映画。原版はとうに失われていたが、ロシアのゴスフィルモフォンドで発見され里帰りした作品の一本。『雪婦人絵図』のDVDに併録されているので観ることができた。
 といっても、このフィルムはオリジナル版の約四分の一の“再編集版”で、作品のドラマ部分が削ぎ落とされ新聞社のPRとなる部分のみ残されているものらしい。入江たか子主演と伝えられているものの彼女の姿は全くないほどで(もう一人の主演の中野英治の姿はあるのかな? よくわからない)、この再編集版を映画作品として評価することはできない。
 ただし、当時としては最先端の飛行機や伝書鳩を駆使した原稿輸送や植字工が鉛活字を拾って作る当時の新聞印刷のやり方など、資料的価値は高いと思う。完全版が朝日新聞社に残っていないものだろうか?(2006/09/10)

東京行進曲 とうきょうこうしんきょく
監督 溝口健二
公開年 1929年
評点[評点なし]
感想  今日は、溝口健二監督の『東京行進曲』を観た。昭和四年(1929)の作品。

 両親を失い伯父夫婦に育てられていた道代(夏川静江)は、伯父たちの窮状を知って芸者になる決心をする。芸妓“折枝”となった道代の美貌に惹かれた富豪の老人・藤本は旦那になろうとしつこく言い寄るが、藤本の息子・良樹も偶然に道代を見初めて結婚したいとまで考えるのであった……。

 雑誌連載の菊池寛原作の映画化(脚本:木村千疋男)。西条八十作詞の主題歌に合わせて作られた小唄映画でもある。現存する溝口作品の中で最も古いものの一つで大変に貴重ではあるものの、現存しているのは公開時の四分の一以下の25分ほどしかないので正当な評価を下すのは難しい。
 ただし、現在残っている版からでも、藤本良樹が高台に住み、その下に道代一家が住んでいるという露骨な対比が示すようにブルジョアとプロレタリアを対立させる傾向映画的な雰囲気があり、溝口健二が一時期社会主義的な思想に惹かれていたことは読み取れる。この作品での溝口演出はのちの“ワンシーン・ワンカット”などの特色はまだ見られず、オーソドックスなサイレント映画らしい撮り方で、出演者も大きな演技をしている。
 やはり、入江たか子が出演しているほとんどのシーンを含む大部分が残っていないのが残念だ。(2006/02/04)

藤原義江のふるさと ふじわらよしえのふるさと
監督 溝口健二
公開年 1930年
評点[B]
感想  溝口健二監督の『藤原義江のふるさと』を観た。昭和五年(1930)の作品で、溝口初のトーキー作品。

 海外から帰朝した藤村義夫(藤原義江)は世に出る機会がなく腐っていたが、敏腕マネージャー服部(土井平太郎)とパトロンを買って出た金持ちの令嬢・大村夏枝(浜口富士子)の後押しによって一躍時代の寵児となる。やがて、藤村は糟糠の妻あや子(夏川静江)を忘れ放蕩にふけるようになってしまう。

 ミナ・トーキーという方式(音声をフィルムでなく録音盤に記録する方法だったらしい)を採用した日活最初のトーキー作品。といっても、トーキー部分とサイレント部分が混在するパート・トーキー作品。音質は聞くに堪えないほどではないが、もちろん良くはないし、出演者たちがはっきり発音しようと心がけているのが気になった。その中でも俳優としては経験の浅いはずの藤原義江がかえって普通の話し方に感じられたのが面白い。藤原義江のことについてはほとんど知らないのだが、歌手としての実力と同時に派手な女性関係と浪費でも知られていた人だそうで、このキャラをどんな気持ちで演じたのかと考えると面白い。
 初トーキーということで冒険しようという意図があったのかどうか、ダンスのシーンなどでは深作欣二監督もビックリ(?)の激しい動きの手持ちカメラ撮影があったりして驚かされた。また、後の作品と比べるとかなりアップが多い印象。
 ストーリーや人物の描き方は、かなり類型的な感があり、これが本気なのか意図的に戯画化して風刺しているのか、溝口作品で悩むところである。後者の面が強いと思うが……。ただし、主人公がパトロンを中心とした金持ち相手から“人民”相手の「我らのテナー」へと生まれかわる様子は、この頃の溝口の思想を素直に反映しているように感じられた。(2006/12/15)

瀧の白糸(滝の白糸) たきのしらいと
監督 溝口健二
公開年 1933年
評点[A’]
感想  今日は、溝口健二監督の『滝の白糸』を観たですぅ。昭和八年(1933)の製作だから、うちの両親が産まれた年より前の作品だ。すげぇ〜!(笑)
 さすがに無声映画なので、古さを感じるし、楽しむには多少の訓練がいるというか観慣れないと厳しい面もあるかも。それにやはり画像が酷く劣化しているし…。でも、名作の片鱗をうかがうことは出来ると思う。
 そうそう、アポロンのビデオ版はフィルムが尻切れトンボなんだよな。フィルムセンター所蔵版も完全ではないけれども、もう少しラストの部分が残っているそうなので、それも観たいなぁ…。

 主演の入江たか子(1911-1995)は、なるほど美人だ。化粧を変えれば現在でも通用するタイプかも。背も明治生まれとしては異例に大きい162cmもあったそうだし。しかし、昔はホントの美人タイプの人が女優になったんだろうな。美容整形手術とかも無かったしぃ…って、そんなこと言っちゃいかんか(爆)。(2000/04/08)

折鶴お千 おりづるおせん
監督 溝口健二
公開年 1935年
評点[A]
感想  今日は、溝口健二監督の『折鶴お千』を観たっす。昭和十年(1935)の作品で、これも無声映画。アポロン版なので活弁&音楽入り。

 保存状態が良いためか、画面の美しさが印象的だった。ストーリーは『滝の白糸』と似たような感じで、あまり名作とは言われてないけれども、台詞にいくつか印象的なものがあったりして、この作品も結構いいんじゃないかな。
 「お祖母さまの真心が/あたしに宿って/姉さんになって/あなたを/守ってやってと/逢はせてくだすったやうに/思はれますの」とか「姉さんが/魂をあげます」なんて、サイレントの字幕だからズバッと斬り込んでくる強さがあるのかも。しかし、折鶴があんな風に使われるとは参ったね!(謎)
 山田五十鈴の美しさと、その演技力にもビックリしたっす。当時17か18歳なのに。ラスト、精神に異常をきたした場面は迫真の演技です。そういえば、明日の『葵 徳川三代』に出演するんだよな。(2000/04/15)

マリヤのお雪 まりやのおゆき
監督 溝口健二
公開年 1935年
評点[A’]
感想  今日は、溝口健二監督の『マリヤのお雪』を観た。昭和十年(1935)の作品。

 西南戦争の最中、戦火が及ぼうとしている人吉から人々が逃げ出そうとしていた。一台の馬車に町の資産家の一族と酌婦(私娼でもある)の お雪(山田五十鈴)と おきん(原駒子)が乗り合わせ、資産家の一族は酌婦たちを露骨に侮蔑する。だが、お雪は弁当を金持たちに分けてやり、官軍の将校・朝倉(夏川大二郎)が資産家一家の娘を提供するよう求めると、身代わりになってやるのであった。さらにその後、窮地に陥った朝倉を助けてやる。しかし結局、お雪はむくわれることはなかったのであった。

 川口松太郎がモーパッサンの『脂肪の塊』を原案として書いた新派劇『乗合馬車』を原作として映画化した作品(脚色:高島達之助)。溝口健二のフル・トーキー第2作(パート・トーキーに『ふるさと』があり、フル・トーキー第一作は『時の氏神』)。
 翻案ものであるためか、ほとんど語られることがないが、登場人物たち(特に資産家の夫人を演じた梅村蓉子)のカリカチュアライズされた演技やモンタージュの手法が溝口健二のサイレント時代の名残を残しているようで興味深い。内容自体も、川口松太郎のオリジナルである後半部分はいかにも新派的でテンポも落ちて多少違和感があるけれども、モーパッサンの原案を翻案した部分は意外と面白い。
 初期トーキーで、グラウンドノイズが凄いが、台詞は意外とハッキリしている。もちろん、聞き取りづらいところも多かったが。映像は、同年の『折鶴お千』の方が保存状態が良かった。(2002/03/15)

虞美人草 ぐびじんそう
監督 溝口健二
公開年 1935年
評点[C]
感想  今日は、溝口健二監督の『虞美人草』を観た。昭和十年(1935)の作品。

 若き学者・小野清三(月田一郎)は、かつて恩を受けた井上孤堂(岩田祐吉)に、その娘・小夜子(大倉千代子)との結婚の約束を果たすよう迫られて悩んでいた。資産家の娘・藤尾(三宅邦子)に惹かれていたからだ。だが実は、高慢な藤尾は宗近一(夏川大二郎)という許婚がありながら小野に言い寄っていた。

 原作は夏目漱石の同題小説。映画では“潤色”として伊藤大輔、“脚色”として高柳春雄の名がある。
 私は原作を未読で粗筋しか知らないが、映画は全体として文字通りダイジェスト版という感じ。話はスイスイ進むがキャラが掘り下げられず、コクが全く無いのは溝口作品としては珍しい(のちの『楊貴妃』がちょっと似ているかも)。特に、藤尾の描写があまりなく小夜子一人がヒロインのようになっているのも、作品の趣旨をあまり伝えられていない一因ではないだろうか。藤尾の最期が欠けているのも痛い。
 全体の長さが七十数分では無理があったのだろうが、夏目漱石の世界は溝口監督には合わなかったのかもしれない。現存フィルムの状態が物凄いのも、興を削ぐ原因になっている。画像は一部を除いて雨が降りっぱなしだし、音もノイズが酷く所々字幕で補っているような状態。もう少し良い状態で観てみたい。(2002/03/16)

浪華悲歌 なにわえれじい
監督 溝口健二
公開年 1936年
評点[超A]
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浪華悲歌
浪華悲歌

 溝口健二監督の『浪華悲歌』(なにわエレジー)を観る。いや〜、テーマが現代的で驚いた。若い女性が金持ちの愛人になるわ、そのパトロンの友人に援助交際をもちかけて、自分の彼氏と組んで美人局を演じて警察につかまるわ…。家庭も冷え切っているんだけど、彼女は当座の金に困っている家族(父と兄)のために悪事を働いた…という点だけが今と全く違うとこかな。
 それにしても、昔も昔、大昔の昭和十一年(1936)の映画ですぜ。映画界は六十余年も何やってたんだ。まぁ、トーキーが実用化されてすぐ、今の映画の方法論のほとんどは確立してたんだけど。『西部戦線異状なし』(1930米国)あたりでさえも画質以外は今の映画にさほど遜色ないし。

 しっかし、一番の驚異は主人公の美少女を演じていた山田五十鈴(18か19?)が、80過ぎていまだ現役女優であることかも(笑)。今日の大河ドラマ『葵 徳川三代』にも徳川家康の母親役で出てた。(2000/01/24)(補注:『浪花悲歌』に関してはこちらも参照)

祇園の姉妹(祗園の姉妹) ぎおんのきょうだい
監督 溝口健二
公開年 1936年
評点[超A]
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祇園の姉妹
祇園の姉妹

 またまた溝口健二監督作品を観る。昭和十一年(1936)製作の『祇園の姉妹』。主人公の芸妓「おもちゃ」を演じた山田五十鈴は恐ろしいほどの演技力。まだ十代で、天才なんだな〜。
 冒頭では大胆なスリップ姿で登場。今ではなんでもないけど、昭和十年代の観客は山田五十鈴の当時としては長身のスレンダーな肢体にドキドキ?(笑)しかし、この当時すでに子持ちだったそうな…(爆)。その子が、今の高校生以下くらいの子供の爺ちゃん婆ちゃんの世代なんだなぁ。昭和は遠くなりにけり。(2000/01/26)(補注:『祇園の姉妹』に関してはこちらも参照)

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