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成瀬巳喜男

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腰弁頑張れ(腰辨頑張れ) こしべんがんばれ
監督 成瀬巳喜男
公開年 1931年
評点[A]
感想  今日は、成瀬巳喜男監督の『腰弁頑張れ』を観た。昭和六年(1931)の作品。

 保険勧誘員(保険外交員)の岡部(山口勇)は安月給を妻(浪花友子)になじられ、息子(加藤精一)には玩具の模型飛行機を買ってくれとせがまれながら、今日も保険の勧誘で資産家の邸宅を訪れていた。ライバル会社の外交員(関時男)も同じ家に勧誘をかけているため、岡部は資産家の子供たちにまで媚を売らねばならぬ悲哀を味わう。

 成瀬巳喜男監督の松竹時代のサイレント作で、現存作品の中では最古だという。脚本も成瀬監督のオリジナル。現存するプリントはわずか29分弱の短編であるものの(欠落はほとんどないようだ)、ドラマティックな展開をコンパクトにまとめて充実した作品になっている。
 今回は活弁も音楽もない完全なサイレント状態で観たのだが、活弁や字幕での解説がほとんど必要ないくらい映像で語っているのが実に巧み(撮影:三浦光男)。特に、岡部の息子と資産家の子供たちとの喧嘩の場面の躍動感は見事だった。のちの成瀬作品にはないモンタージュなどの特殊な表現も面白い。
 人に頭を下げなければならぬサラリーマンの悲哀とわんぱくな子供たちというテーマは小津安二郎の『生れてはみたけれど』を彷彿とさせる(ただし製作・公開は『腰弁頑張れ』の方が先)。(2005/11)

君と別れて きみとわかれて
監督 成瀬巳喜男
公開年 1933年
評点[B]
感想  今日は、成瀬巳喜男監督の『君と別れて』を観た。昭和八年(1933)の作品。

 芸者の菊江(吉川満子)は女手一つで息子の義雄(磯野秋雄)を育てて中学(旧制)にまで通わせていたが、義雄は母の仕事を嫌って不良と付き合うようになってしまう。そんな彼を菊江の妹分の照菊(水久保澄子)は心配するのであった。

 成瀬巳喜男自身の原作・脚本によるオリジナル作品で、1時間ちょっとの中編。
 この作品も以前観た『腰弁頑張れ』同様に音楽・弁士なしの完全サイレントだが、映像の作り方が巧みで説明不足のところは全くわかりやすい。俳優たちの演技もサイレント特有の誇張されたアクションはほとんどなく、ナチュラルに近い。サイレント末期の完成度とトーキー時代の予感を併せ持つ作品という感じだろうか。
 ただ、作中何度も登場する、トラック・アップ(ズームのように見えるが当時はズームレンズはなかったのでカメラを動かしたのだと思う)で登場人物の表情を捉える演出は少々くどい。また、ストーリーも今の目で観てしまうと少々類型的で展開の予想がついてしまう。当時としてはリアルな社会問題を扱った作品だったのかもしれないが。(2006/01/22)

乙女ごころ三人姉妹(乙女ごゝろ三人姉妹) おとめごころさんきょうだい
監督 成瀬巳喜男
公開年 1935年
評点[A’]
感想  今日は、成瀬巳喜男監督の『乙女ごころ三人姉妹』を観た。昭和十年(1935)の作品。

 浅草に暮らすお染(堤真佐子)の母親(林千歳)は門付けの師匠で、三人の弟子たちとお染も毎夜三味線を持って浅草を流している。姉おれん(細川ちか子)は男(瀧澤修)と出奔し、末妹の千枝子(梅園竜子)はレビューの踊り子として伸び伸び生きている中、お染は酔客相手に唄う日々を耐えていた。

 成瀬監督のP.C.L.移籍第一作で、川端康成の『サンデー毎日』連載『浅草の姉妹』の映画化(脚本:成瀬巳喜男)。
 冒頭、浅草寺や仲見世、映画館や劇場など当時の浅草の賑わいが映し出される。そしてカメラが下ってショーウィンドーを眺める門付け娘の汚れた足袋の裏を写し出すと、一気にうらぶれた門付け芸人の世界に入っていく。この導入が上手い。その後も華やかな浅草の影の部分で生きる門付け娘たちの暮らしが描かれ、やはり成瀬は貧乏くさい描写の達人だと思わされる。末妹・千枝子と金持ちのボンボンである恋人(大川平八郎)が生きるモダンな浅草との対比も印象に残る。
 頑固な母親と姉妹・門付けの弟子たちとの間に挟まれて苦労する次女お染。堤真佐子はさほど美形ではないが、その姿は哀しく美しい。ところどころちょっとユーモアがあるのは原作にあるのかもしれないが、ほろ苦い味は成瀬監督の持ち味のような気がする。
 成瀬監督のトーキー第一作でもあるが、それを感じさせない非常にナチュラルな演出で門付けの三味線の音の使い方などもわざとらしくない。台詞や音を使わず映像で時間を省略して表現する描写はサイレントの経験の豊富さを感じさせる。回想シーンの導入も巧み。
 描かれるのは古典的な人間像であるが、ラストシークエンスも心に残る佳作。私が観たプリントは時々真っ黒なコマが入って最初はびっくりした。切れたところを繋げた部分だろうか。保存状態がまずまず良好で映像が美しく(撮影:鈴木博)音声の状態も悪くないので、それだけが惜しい。(2004/11/29)

妻よ薔薇のやうに(妻よ薔薇のように) つまよばらのように
監督 成瀬巳喜男
公開年 1935年
評点[A’]
感想  今日は、成瀬巳喜男監督の『妻よ薔薇のやうに』を観た。昭和十年(1935)の作品。

 山本君子(千葉早智子)は、歌人である母・悦子(伊藤智子)と二人暮らしをしている。実は、父親の俊作(丸山定夫)は芸者上がりの お雪(英百合子)という愛人と駆け落ちしていた。君子は父親を連れ戻すため、二人の家に行く。

 戦前の成瀬作品の傑作とされていて、この年の『キネマ旬報』ベストワンに輝いた作品。原作は中野実『二人妻』で、脚色は成瀬監督自身による。
 ヒロインは丸の内に通勤するOLで、スーツと帽子に身を固めた彼女の“モガ”風の服装や会社周辺の風景と、父親の家族の和服や彼らの住む田舎との対比が鮮やか。映像はナチュラルな成瀬流の作り方だが、昭和十年の作品にしてはかなり現代的かもしれない。一度、君子が見失った父親を探すために街を見回すシーンで、激しいパンが用いられていたのが印象的。
 また、悲しいシーンで明るい音楽を流す対位法(?)の手法が用いられていた。日本映画としては、最も早い段階のものかもしれない。
 ストーリーは、正妻も愛人も古風で、特に後者がダメ男の俊作に尽くしぬいているのは、今から観ると不思議としか言いようが無い。特に女性の観客は共感できないかも。俊作の、ダメ男なりの寂しさ・やるせなさ・忸怩たる念等々…が描かれていれば理解できるかもしれないが、娘からの視点で話が進められているので、それは全く無かった。原作がそうだったんだろうけど。(2001/06/29)

サーカス五人組 さあかすごにんぐみ
監督 成瀬巳喜男
公開年 1935年
評点[A’]
感想  今日は、成瀬巳喜男監督の『サーカス五人組』を観た。昭和十年(1935)の作品。

 旅回りでチンドン屋などをしている五人のジンタ(楽隊)。ある時、仕事を急にキャンセルされて困っていると、同じ町に来ていたサーカス団でストライキが起き、急遽雇われることになる。さっそく女好きの甚吉(藤原釜足)は団長の娘である姉妹の妹(梅園龍子)の方に目をつけ、ジンタ五人組の中で最も若い幸吉(大川平八郎)は姉(堤真佐子)と親しく言葉を交わすようになった。

 原作は古川緑波(ロッパ)の『悲しきジンタ』(脚本:伊馬鵜平・永見柳二)。『妻よ薔薇のやうに』の次の作品であるが、モダンな前作とは雰囲気が一変している。
 登場人物の設定が似ている『乙女ごころ三人姉妹』や『旅役者』も作っているので、戦前の成瀬はモダンな世界と共に、うらぶれた雰囲気漂う大道芸人や旅芸人の世界にも関心があったのだろうか。廃れゆく世界への視線という点で、戦後の『流れる』も連想した。
 『乙女ごころ〜』と同じく妹を見守る姉の役を演じた堤真佐子は、やはり良い。藤原釜足は芸達者な演技を見せ、五人組で最年長の清六を演じた御橋公も役に合っている。成瀬作品でもモダンな雰囲気のものでは硬い演技を見せる大川平八郎も、この作品では悪くない。素朴な青年役の方が合っているのだろうか。五人組の宿屋でのやり取りやサーカス出演場面が楽しい。
 トーキー初期の作品なので音楽が強調されているが、効果音の使い方も面白いところがある。その他、場面転換に時々印象に残る手法を使っていたり、細かい小ネタ的ギャグもあったりするので、成瀬監督のサイレントの経験の深さを感じた。
 1時間5分ほどの中編でちょっと内容が軽く、『妻薔薇』と『噂の娘』の間に挟まれているため目立たないが、愛すべき小品といった感じの一作。(2005/01/09)

噂の娘 うわさのむすめ
監督 成瀬巳喜男
公開年 1935年
評点[B]
感想  成瀬巳喜男監督の『噂の娘』を観た。昭和十年(1935)の作品。

 造り酒屋「灘屋」の長女の邦江(千葉早智子)と父親の健吉(御橋公)は経営が傾きかけている店を二人で支えているが、隠居の啓作(汐見洋)と次女の紀美子(梅園龍子)は自分勝手に遊びまわっている。邦江は店の将来を考えて資産家の息子との見合いをしたものの、紀美子によって引っかきまわされてしまう。

 成瀬監督のオリジナル脚本による作品。チェーホフの『桜の園』をヒントにしているそうだが、私は未読なのでよくわからない。
 貞淑な年上の女(人妻あるいは姉)と奔放な年下の娘(妹あるいは姪)という組み合わせの物語は昔の映画に良くあるパターンだし、終盤を除いて淡々とした展開だが、人物の心情の描写が細やかで、初期P.C.L.の作品にしては俳優陣の演技が上手いので、意外と興味を持続して観られた。むしろ、1時間弱の上映時間では終盤がちょっと唐突な観もあるので、もう少し尺が長くても良かったくらいかもしれない。(2003/02/09)

桃中軒雲右衛門 とうちゅうけんくもえもん
監督 成瀬巳喜男
公開年 1936年
評点[C]
感想  今日は、成瀬巳喜男監督の『桃中軒雲右衛門』を観た。昭和十一年(1936)の作品。

 明治時代に一世を風靡した浪曲師・桃中軒雲右衛門(月形龍之介)は、芸のためには全てを犠牲にし、久々に再会した息子(伊藤薫)のことも顧みず、若い芸者(千葉早智子)を身請けして囲ったりしていた。そんな中、下積み時代から伴奏の三味線を弾いてくれていた妻(細川ちか子)の健康が悪化する。

 原作は真山青果(脚本:成瀬巳喜男)。元が戯曲のためか長台詞が多いのだが、なんだか雲右衛門が意見されてそれに言いわけしてばかりのような感じ。月形龍之介は器用な俳優ではないので、長台詞では拙く見えてしまって損をしている。もう少し、台詞ではなく映像や人物の行動で心情を示す脚本にならなかったものか。(2003/02/10)

君と行く路 きみとゆくみち
監督 成瀬巳喜男
公開年 1936年
評点[C]
感想  今日は、成瀬巳喜男監督の『君と行く路』を観た。昭和十一年(1936)の作品。

 天沼朝次(大川平八郎)と夕次(佐伯秀男)兄弟は元芸者の母(清川玉枝)と鎌倉で三人暮らし。朝次は妾の子であることに強い劣等感を持ち、弟はそれを意識しながらも明るくふるまおうとするが、その境遇によって朝次は恋人・霞(山懸直代)と別れざるを得なくなる。

 三宅由起子の小説『春愁記』を原作とした悲恋もの(脚本:成瀬巳喜男)。音楽の使い方や絵作り、オープニングでの人物紹介などは洋画的でモダン。しかし、ストーリーは日陰者の子たちの悲劇、といった感じで、今から観るとピンとこないし、朝次&夕次兄弟の母親の描き方も、徹底して損得でしか人を見られない愚かな女として描かれていて、芸者に対する蔑視観すら感じられる。
 同年の溝口健二監督の『浪華悲歌』『祇園の姉妹』と比べると、絵作りやカット割りでは『君と行く路』の方が“モダン”だが、人間観は溝口作品の方がはるかに近代的なのではないだろうか。もっとも、これは恐らく原作のせいであって成瀬監督のせいではないとは思うが。
 また、朝次・夕次・霞・津紀子(霞の友人)といった主役級の4人を演ずる俳優たちの演技力がイマイチで、観ていてちょっと困った。(2002/09/07)

朝の並木路 あしたのなみきみち
監督 成瀬巳喜男
公開年 1936年
評点[B]
感想  今日は、成瀬巳喜男監督の『朝の並木路』を観た。昭和十一年(1936)の作品。

 田舎に住む千代(千葉早智子)は都会にあこがれ、就職のあても無いのに旧友の久子(赤木蘭子)だけを頼りに上京する。しかし、会社勤めをしているはずだった久子はカフェーの女給になっていた。

 脚本も成瀬監督自身によるオリジナル作品。カフェーの何人かの女給たちをも描いてはいるものの、特に独立したエピソードとして描いているわけではなく、かなりアッサリした展開。激しいドラマが無く、テンポも早くはないので、ちょうど一時間の上映時間の割りに長く感じた。ただ、場末のカフェーのけだるい雰囲気は表現されているのかもしれない。
 その中でも、終盤は話が動くが……あの展開は反則かも? 最後のオチは、割りといい感じ。(2002/09/20)

女人哀愁 にょにんあいしゅう
監督 成瀬巳喜男
公開年 1937年
評点[B]
感想  今日は、成瀬巳喜男監督の『女人哀愁』を観た。昭和十二年(1937)の作品。

 銀座の書店で働いている河野広子(入江たか子)は、資産家の子息と見合いして結婚する。家事が得意で美しい広子は婚家の家族に喜ばれるが、ただ忙しく働く生活に疑問を感じてくる。そんな中、婚家の長女(水上玲子)が男(大川平八郎)と駆け落ちする。

 成瀬巳喜男自身の原作によるオリジナル作品(脚本:成瀬巳喜男・田中千禾夫)。『人形の家』を下敷きにしたのだろうか、現在の眼で観るとストーリー自体にはあまり新鮮さを感じない。ただし、婚家の長女のエピソードを絡ませてあるので、広子の心の変化は割りと無理がないように見える。
 とにかく入江たか子が美しい。また、成瀬演出も確立したようで、安定感があるナチュラルな映像になっている。ちょっとテンポがゆっくり目な感じがしたが。

 映像は悪くはないのに音がイマイチなのが残念。(2003/07/27)

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