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野村孝
未成年 続・キューポラのある街 みせいねんぞくきゅうぽらのあるまち
監督 野村孝
公開年 1965年
評点[C]
感想  今日は、吉永小百合主演の『未成年 続・キューポラのある街』を観た。監督は野村孝で、昭和四十年(1965)の作品。

 あれから3年。ジュンは希望通り大企業の工場に就職し、働きつつ定時制高校に通っていた。だが父の辰五郎(宮口精二)は相変わらずで、家族とも会社の若い者や社長ともうまくいかない。そんな折、かつて辰五郎と働いていた克巳(浜田光夫)が会社を作ったり、北朝鮮へ帰った金山ヨシエから父が病に倒れたので日本人妻の美代(菅井きん)に連絡してほしいという手紙が来たりする。

 『キューポラのある街』の続編。原作者は同じ早船ちよだが、脚本が田村孟になるなど監督も含めてスタッフ・キャストのかなりの部分が変更されている。
 前作同様“貧乏”の描写が中心となることは変わらないが、メッセージ性はさらに強くなってストレートになり、教条主義的にすら感じられる。登場人物の生活の描写が薄れたため、コチコチの場面ばかりで肩が凝る。ストーリーは原作に沿ったものなのかもしれないけれども、脚本と演出によって加えられるふくらみがほとんどないような気がする。また、無教養な人間に対する蔑視感のようなものがあるのが気になる。悲惨な描写をすることによって“犠牲者”として描いているのかもしれないが、それもまた見下した視点なのでは……。

 “北朝鮮帰還事業”への言及も前作以上になっている。いきなり冒頭に北朝鮮人民のプロパガンダ写真が映し出され、後半でジュンが朝鮮高等学校の生徒と一緒に日本人妻に会いに行ったり、その生徒の言葉にジュンが感動させられるなど、現在の眼で見るとただただ驚かされる。
 前作はブラックユーモアと評したが、この作品ではそれを超えたナンセンス劇、まるで夢のようだ。たとえ当時は北朝鮮の実情を知らされていなかったとしても、北朝鮮と日本の“自由往来”ができないことなど不自然だとは感じなかったのだろうか、と思う。“自由往来”できないことを日本側の責任のように言っているが……。(2004/12/16)

野村孝
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