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浦山桐郎
キューポラのある街 きゅうぽらのあるまち
監督 浦山桐郎
公開年 1962年
評点[B]
感想
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キューポラのある街
キューポラのある街

 今日は、吉永小百合主演の『キューポラのある街』を観た。監督は浦山桐郎で、昭和三十七年(1962)の作品。

 鋳物製造のためのキューポラ(溶銑炉)が林立する埼玉県川口市。鋳物職人の辰五郎(東野英治郎)は職を失い妻(杉山徳子)は子を生み、生活は厳しい。しかし、中三の長女ジュン(吉永小百合)は高校進学を目指して働きかつ勉強し、小学生の弟タカユキ(市川好郎)も友達と一緒に悪戯しながらたくましく生きていた。

 キャリアの長さの割りに寡作だった浦山監督の代表作で、吉永小百合の代表作の一本でもある(原作:早船ちよ/脚本:今村昌平・浦山桐郎)。
 昔の日本映画らしく“貧乏”の描写は非常にリアルで、それを告発するような描写や“労働”を賛美したり昔かたぎだった辰五郎が終盤には労働組合を「いいもんだ」と言ったり、非常にメッセージ性が強い。しかしながら、貧しいながらもそれなりに強く生きる姿も描かれ、明るい部分もあるので現在の目で観ても観賞に堪えると思う。最後には若い世代に希望を託すような意図が感じられる。
 子役も含めて出演者たちの演技は適度に押さえられていて、演出の手腕を感じる。特に、タカユキを演じた子役は実に芸達者だ。

 しかしながら、タカユキの遊び友達サンキチとジュンの旧友ヨシエの姉弟を中心とした在日朝鮮人一家の“北朝鮮帰還事業”を推進し賛美するような部分は、現在から見ると悲劇……いや皮肉なブラックユーモアのようにさえ感じられてしまう。これで一気に現在におけるこの作品の生命力が薄れてしまった。
 いわゆる日本人妻であるサンキチとヨシエの母(菅井きん)の行動は公開当時は批判さるべきであったのだろうが、今では大正解ということになる。もちろん、この映画の製作者たちは善意でこう描いたのだけれども、今となってはつくづく人間の営為の虚しさを感じてしまう。
 あまり長命ではなかった浦山監督だが、現在の日本と北朝鮮の関係を知ることなく亡くなったのは幸いだっただろうか? 現在でも元気な共同脚本の今村昌平監督は、どう思っているのだろう。過去の作品のことなんか忘れたかな?(2004/12/12)

私が棄てた女 わたしがすてたおんな
監督 浦山桐郎
公開年 1969年
評点[A’]
感想  今日は、浦山桐郎監督の『私が棄てた女』を観た。昭和四十四年(1969)の作品。

 自動車販売会社に勤める吉岡(河原崎長一郎)は美しい女性社員マリ子(浅丘ルリ子)と交際していたが、彼女は社長の姪であり、打算半分の付き合いだった。生活に虚しさを覚えている吉岡は、学生時代に付き合って捨てた女・森田ミツ(小林トシ江)と偶然再会する。彼女は相変わらず与えることしか知らない女だった。

 遠藤周作の『わたしが・棄てた・女』の映画化(脚本:山内久)。
 学生時代に安保闘争に参加していながら、現在はしっかり企業の歯車の一つになっていることに強い喪失感を抱いている主人公・吉岡、陰りのある彼に惹かれるマリ子、愛を与えることしか知らない田舎娘ミツ、の三人が中心で、吉岡が学生時代の付き合いを回想したり、現在では再会したりして、作中時間は現在と回想とがたびたび交錯する。
 暗いストーリーであり、あまりにもミツが哀れなので見ていてしんどくなるが、登場人物の心情描写が巧みなので、単に悲惨さを強調しただけの社会派的作品とは趣が異なる。リアルな貧乏の描写の中にシュールなシーンが現れたりして、映像にも力がある。
 主人公は自分勝手だし、ミツという女もなぜそこまでするのかわからず、男が作り出した身勝手な理想像なのかもしれないけれども、主役級の三人の演技と映像の力によって、心に残るものはある作品。(2005/03/16)

浦山桐郎
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