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昭和十三年(1938)

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忠臣蔵 天の巻・地の巻 ちゅうしんぐらてんのまきちのまき
監督 マキノ正博・池田富保
公開年 1938年
評点[C]
感想  今日は、阪妻主演の『忠臣蔵 天の巻・地の巻』を観た。昭和十三年(1938)年の作品。『天の巻』の監督はマキノ正博(雅弘)、『地の巻』の監督は池田富保。

 御存知、主君・浅野内匠頭(片岡千恵蔵)の仇・吉良上野介(山本嘉一)を討った大石内蔵助(阪東妻三郎)以下四十七士の物語。マキノ正博が、大作『実録忠臣蔵』のフィルムを焼失させてしまった父マキノ省三の無念を晴らしたといわれる作品。

 内容は解説するまでもない忠臣蔵ストーリーだが…思い入れたっぷりに台詞を語る“大芝居”の連続で、いささか参りました。今から観ると演技がオーバーすぎて…。舞台の演技だ。ラストの討ち入りは、思ったよりアッサリしていた。阪妻や嵐寛寿郎や月形龍之介が出ているのだから、もう少し立ち回りがあるかと思った。しかし、現在残っているフィルムは完全版ではないようなので、カットがあるのかもしれない。
 片岡千恵蔵が浅野内匠頭と立花左近の二役を演ずるなど、一人二役のキャスティングが多い。嵐寛寿郎が脇坂淡路守と清水一角(一学)、月形龍之介が原惣右衛門と小林平八郎の、それぞれ二役を演じている。(2000/12/19)

藤十郎の恋(藤十郎の戀) とうじゅうろうのこい
監督 山本嘉次郎
公開年 1938年
評点[B]
感想  山本嘉次郎監督の『藤十郎の恋』を観た。昭和十三年(1938)の作品。

 元禄時代の京都。当代随一の役者・坂田藤十郎(長谷川一夫)は、新境地を開くべく斬新な脚本を近松門左衛門(滝沢修)に依頼する。これまでにないリアルな作品の役作りに苦心する藤十郎は、芝居茶屋を切り盛りする後家・お梶(入江たか子)に目を止めた……。

 初代藤十郎の実話を基にしたといわれる菊池寛の有名な作品の映画化(脚本:三村伸太郎)。
 林長二郎改メ長谷川一夫の東宝移籍後最初期の作品ということで、当時人気の菊池寛の原作を得、江戸時代の劇場が大規模なセットで再現された大作になっている(元禄頃にしては立派すぎるような気もするが……元禄時分ではまだ江戸より京大坂の方が文化の発信地だったから、それくらいで良いのだろうか)。特に冒頭とラストの芝居小屋回りの雑踏の対比はスケールが大きく効果的になっている。
 菊池寛の原作は非常に有名なので、どう料理されているかと思ったら、短編をそのままあっさりで映画化したという感じで、坂田藤十郎の身勝手ぶりが目に付いてしまうような気がする。サイレント映画的な字幕の挿入や超クローズアップ、すばやいカットの切り返しなど目新しい効果が多用されているが、舞台の描写が存外少なく、歌舞伎の魅力が伝えられていないため、坂田藤十郎の芸の素晴らしさというものが表現されていないのも一因だろう。
 入江たか子は美しいものの顔かたちが整いすぎているためか、未亡人の色気・妖しさというものが感じられず、どうも藤十郎や映画の観客を惹きつける魅力に欠けるような……。(2007/02/01)

逢魔の辻 おうまのつじ
監督 瀧澤英輔(滝沢英輔)
公開年 1938年
評点[A’]
感想  今日は、瀧澤英輔監督の『逢魔の辻』を観た。昭和十三年(1938)の作品。

 幕末、安政の大獄が猛威を振るっている頃。旗本の三沢家の庶子・青江金五郎(河原崎長十郎)は街の裏長屋に住み、隣の遊び人・長次(中村鶴蔵)らと気ままに暮らしていた。しかし、金五郎は勤皇の志士である宮森(橘小三郎)たちとも親しく、町方同心の蠣崎新吾(中村翫右衛門)は執拗に彼を監視する。

 大佛次郎の原作の映画化(脚本:岸松雄・八住利雄)。翌年の『その前夜』(監督:萩原遼)同様、大きな変動の時代に生きる庶民を描いている。
 金五郎がバリバリの志士ではなく、最初は単なる世をすねた浪人でいながら、運命に導かれるように自らも時代の波の中に参加していく様子が丹念に描かれている。長次や蠣崎の描き方も丁寧で、各々それなりの魅力があるキャラになっている。蠣崎が単なる悪役ではなく職務と自分の信念に忠実である人間として描かれているのが良い。ただ、蠣崎の取り調べ方は実にリアルなのだが、なんせ前進座だからメンバーの中に思想上の理由で警察の世話になった経験のある人でもいたのだろうか。
 三村明の撮影は戦前の映像としてはシャープで、雨が降るとすぐどろどろになる路地など、貧しい長屋の暮らしを克明にとらえている。凧や傘などの小道具の使い方が巧み。
 一つだけ、同心が与力に出世云々ということは実際にはまずありえなかったので(家柄で決まっていたため)、それだけが気になった。原作からそう書かれているのだろうが。(2004/01/27)

田園交響楽(田園交響樂) でんえんこうきょうがく
監督 山本薩夫
公開年 1938年
評点[B]
感想  今日は、山本薩夫監督の『田園交響楽』を観た。昭和十三年(1938)の作品。

 北海道に住む敬虔なクリスチャン日野東作(高田稔)は、身寄りのない盲目の少女(原節子)を引き取り、雪子と名づけて愛情を注いで育てる。東作の弟・進二(佐山亮)が東京から北海道にやってきて積極的に雪子に近づくと、東作と雪子の心はかき乱される。

 アンドレ・ジイドの古典的作品を翻案して映画化したもの(脚本:田中千禾夫 )。
 盲目の少女を演じた原節子は、まだあまり上手くはないが、なかなか頑張って演じている。高田稔も、上品な二枚目という雰囲気が役柄に合っている。
 雪子が東作に発見されて互いに心を許しあうまでは、印象的な『田園交響曲』の演奏会のシーンなどを経て二人の心の動きが良くわかったが、進二と出会ってからはなんだか展開が急になり、キャラの心理がわかりづらくなってしまう。東作と進二の葛藤はよく描かれていたが、雪子の方が……。特に終盤が忙しくなったのは、検閲の影響? とも思った。77分ほどの中編だが、もう少し長くても。
 撮影は宮島義男(義勇)でおおむね美しいが、ちょっと原節子のアップが多いような気がした。キャメラマンではなく演出家の意向だと思うが。(2005/01/30)

出世太閤記 しゅっせたいこうき
監督 稲垣浩
公開年 1938年
評点[B]
感想  今日は、嵐寛寿郎主演の『出世太閤記』を観た。監督は稲垣宏で、昭和十三年(1938)の作品。

 のち豊臣秀吉となる木下藤吉郎(嵐寛寿郎)は、実父が戦で死に母(吉田一子)が再婚したことで無類のいたずら坊主となり、故郷を出奔して織田信長(月形龍之介)に仕えるようになる。藤吉郎は、いつか一城の主となって家族を呼び寄せ母と再会する日を目指して努力を続ける。

 少年時代から、“一夜城”を建てるまでの物語で、おなじみの太閤記もの。オーソドックスな展開と絵作りで特に傑出したところはないが、藤吉郎が単なる出世欲に駆られているのではなく母親への愛情を軸に描いているので、要領よく出世していく姿にも抵抗を感じないと思う。寛寿郎の藤吉郎はちょっと立派で、終盤に口ひげ・あごひげを生やしていた場面は貫禄があった。
 撮影は宮川一夫で、古い作品なので宮川一夫らしさはあまり明白でないが、擬似夜景の巧みさにそれを彷彿とさせるものがあるだろうか。(2003/06/19)

エノケンの法界坊 えのけんのほうかいぼう
監督 斎藤寅次郎
公開年 1938年
評点[A’]
感想  『エノケンの法界坊』を観た。監督は斎藤寅次郎で、昭和十三年(1938)の作品。

 破戒僧の法界坊(榎本健一)は永楽屋の娘おくみ(宏川光子)に横恋慕するが、彼女は手代の要助(小笠原章二郎)のことが好きであることを知る。永楽屋の悪手代の長九郎(如月寛多)と組んでなんとかものにしようと画策するものの、ドジな法界坊ではなかなか上手くいかない。

 歌舞伎のネタの一つの法界坊をオペレッタ風の喜劇映画化した作品。法界坊の初登場シーンから「♪なむあみだーぶつ なむあみだ〜」と歌いながら登場する。キャラが時々唐突に歌いだすのが珍妙で楽しい。
 ドタバタギャグに古さは感じるが、元ネタどおりに(?)最後はちょっとシンミリさせて、予想以上に面白い作品だった。画質・音質とも今ひとつで、さらにフィルムが一巻分丸々抜けてしまっているのが残念。(2003/01/09)

按摩と女 あんまとおんな
監督 清水宏
公開年 1938年
評点[A’]
感想  今日は、清水宏監督の『按摩と女』を観た。昭和十三年(1938)の作品。

 山深い湯治場に、例年どおり元気者の按摩・徳市(徳大寺伸)と福市(日守新一)がやって来た。徳一は、東京から来た若い女(高峰三枝子)のことが気になって仕方ない。彼女は、子連れの男(佐分利信)と親しくなってしまうが、どこかぬぐいがたい陰があった。

 清水監督お得意の牧歌的な風景を背景にした、そこにたまたま集う人間たちの触れあいを描いた作品。
 当時のことだから登場する按摩(マッサージ師)たちは全て盲人で、彼らが“めくら”と自称したり他の登場人物が彼らをからかったりする描写もあるので、現在ではテレビ放映はもちろんソフト化も難しいかもしれない。しかし、清水監督が彼らを決して“かわいそうな人たち”として描いてもいないことにも注目すべきだろう。
 あまりにぎわっていないひなびた湯治場の雰囲気がよく描かれていて、ドラマティックな展開があるでもない登場人物たちの関係の微妙さが巧みに表現されていて心に残る。大変に地味だが、これもまた佳作の一つと言えるだろうか。(2003/09/13)

闇の影法師 やみのかげほうし
監督 稲垣浩
公開年 1938年
評点[A’]
感想  今日は、阪東妻三郎主演の『闇の影法師』を観た。監督は稲垣浩で、昭和十三年(1938)の作品。

 時は大政奉還の頃。譜代大名の土井家は佐幕の方針を固め、家老の川勝丹波(香川良介)が中心となって勤皇派を弾圧していたが、“闇の影法師”と名乗る謎の人物が志士たちを助けていた。その頃、領内の商人宿“南屋”に煙草の行商をしている松造と名乗る男(阪東妻三郎)が長逗留していた。

 のちに『無法松の一生』など多くの傑作を生んだ阪東&稲垣コンビの第一作だという。冒頭からエンドマークが出るまで画面に大雨が降りまくりなのでビックリ(笑)。ただし画質は酷いが音声が意外とクリアなのでストーリーがわからないほどではない。しかし、フィルムの欠落が多い。
 定番ネタの勤皇の志士ものかと思ったら、冒頭の立ち回りが終わって場面が南屋に移ると雰囲気が明るくなり、明朗時代劇の雰囲気になる。南屋の息子と嫁(沢村国太郎&中野かほる)、南屋の娘おつる(轟夕起子)と松造の掛け合いが楽しいし、泊り客の猿回し(市川百々之助)もいい味を出している。それと、南屋の隠居(藤川三之祐)が寝ている寝床にはビックリ。誰のアイデアだろう……監督か脚本家か(原作・脚本:飯沼成治)。
 娘おつるの松造に寄せる淡い想いもストーリーの核の一つで、おつるが胸の内を打ち明ける海岸のシーンでは叙情あふれる稲垣演出が炸裂。懸命に想いを語る轟夕起子とそれを聞く阪妻の無言の演技、砂浜のきらめく波が相まって忘れがたい名場面となっている。宮川一夫の撮影も光る。
 脇役では、とぼけた妙味を感じさせる沢村国太郎と市川百々之助の他に、松造の同志・嶺秀坊を演じた山本礼三郎もチラッと登場するだけなのに存在感がある。

 海岸のシーンだけでも見ごたえがある作品なので立ち回り部分の欠落や話が所々飛ぶのはあまり気にはならないが、やはりもう少しマシなプリントは残っていないだろうか。戦前の日活作品だから、残っているだけでもありがたいと思わねばならないが……。(2004/07/14)

長曽禰虎徹(長曾禰虎徹) ながそねこてつ
監督 並木鏡太郎
公開年 1938年
評点[A’]
感想  今日は、並木鏡太郎監督の『長曽禰虎徹』を観た。昭和十三年(1938)の作品

 大名の松平加賀守(大崎時一郎)は大の武具マニア。あるとき、名人が作った刀と兜(かぶと)はどちらが強いかと悩み、据え物斬りで雌雄を決することにした。兜師の長曽禰虎徹(丸山定夫)と刀鍛冶の陀羅尼善九郎勝久(高堂国典)との勝負は世間の好奇心を集め、虎徹の心は穏やかではなく……。

 「新刀なれども長曽禰虎徹」や「今宵の虎徹は血に飢えている……」の名台詞で有名な長曽禰虎徹の映画(原作:岡本綺堂 )。脚本は“鏡二郎”という名義だが、並木監督の筆名だろうか?
 溝口健二監督の『名刀美女丸』と同じく刀匠が主人公の作品なので、いわゆる芸道ものに分類される生真面目な作品だと思っていたが、いざ観てみると当の職人以外の連中は好奇心をあらわに勝負を煽ったり賭けをするなど、コメディ的な味や諷刺色もある一作になっている。
 66分ほどの上映時間の中にぎっしりエピソードが詰め込まれていてちょっとまとまりに欠け、また展開がちょっとお約束的なので意外性が欲しい気もするが、刀鍛冶という硬い題材から娯楽性を引き出すことには成功していると思う。原作は未読だが、脚本・演出の功績も大きいような気がする。
 途中、かなりの時間を割いて刀作りの工程が描写されていて興味深い(刀剣鍛錬指導:月山貞光/撮影:河崎喜久三)。頑固な職人という役作りのためだとは思うが、丸山定夫の演技は少々硬いような感じもした。(2004/12/29)

愛染かつら あいぜんかつら
監督 野村浩将
公開年 1938年
評点[B]
感想  今日は、田中絹代&上原謙主演の『愛染かつら』を観た。昭和十三年(1938)の作品で、監督は野村浩将。

 津村病院の看護婦・高石かつ江(田中絹代)は、かつて夫と死別して、さらに子供がいることを隠して勤めていた。そんな彼女に、病院の御曹司の津村浩三(上原謙)が一目ぼれして恋人同士を必ず結び付けてくれるという“愛染かつら”の木の下で将来を誓い合おうと言う。だが、運命は二人の前に紆余曲折を用意していたのであった。

 往年の松竹大船撮影所お得意の作風であった“すれ違いドラマ”。原作は川口松太郎で、脚本は野田高梧。「♪花も嵐も踏み越えて」が有名な主題歌『旅の夜風』が大ヒットした。
 いわゆるメロドラマの基礎となった作品で、今観ると新味はほとんど無いと思う。冒頭、かつ江が未婚を装っていたことを看護婦の同僚たち全員で責めていたのに、かつ江が事情を話すと一発で皆同情して味方になってしまったのは笑えた。婦長(岡村文子)や津村浩三の妹(森川まさみ)も典型的なキャラで漫画的。婦長が口癖で「きっとですよ」を何度も繰り返すところも面白い。
 しかし、やはり田中絹代は上手いし若い頃は可愛い。それと、現在残っているのは全四篇をわずか89分にまとめた“総集編”だけで、すれ違うドラマの割りに話がポンポン進みすぎるような気もするので、当時の尺の長さのものも見てみたい。(2002/04/11)

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