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昭和十三年(1938)

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清水次郎長 しみずのじろちょう
監督 萩原遼
公開年 1938年
評点[B]
感想  今日は、大河内傳次郎主演の『清水次郎長』を観た。監督は萩原遼で、昭和十三年(1938)の作品。

 清水港の侠客・次郎長(大河内傳次郎)は、渡世の義理で保下田の久六(鳥羽陽之助)の敵を斬ってやったが、久六との仲はどうもしっくりしない。そんな次郎長のもとに博打好きの少年・石松(大村千吉)が子分にしろと押しかけてきたり、近所の娘お蝶(千葉早智子)が何かと世話を焼きに来たりしたが、ついには駆け落ちした男女まで飛び込んできた。

 清水の次郎長ものだが、まだ売り出し前という設定なのか一人暮らしで石松も少年(原作:小島政二郎/脚本:八住利雄) 。そのため次郎長ものではおなじみの子分の活躍や子分との掛け合いはあまりない。石松の大村千吉の演技はまだ若いし。それに中盤は不良少年石松を次郎長とお蝶が更生させようとする謎の展開(笑)。猫がかわいいけど。
 前半から中盤にかけては、萩原監督らしい庶民の生活の描写を観ることはできるものの、ちょっと地味な展開だが、後半に入って文字通り大河内傳次郎が走り出すと一気に映画が動き始める。殺陣の際に走っても上体がぶれない傳次郎はさすがだし、次郎長のあせりを示す映像表現も面白くて効果的(撮影:安本淳)。比較的保存状態が良いので、空に浮かぶ雲の美しさも印象に残る。
 終盤の傳次郎の迫力や殺陣はやはり素晴らしいので、前半から中盤にかけてもう少しコミカルでテンポ良くしたら、メリハリが利いてより印象が強い作品になったかもしれないので、惜しい気がする。(2004/05/13)

水戸黄門漫遊記(総集編) みとこうもんまんゆうきそうしゅうへん
監督 斎藤寅次郎
公開年 1938年
評点[C]
感想  今日も、NHK衛星で放映された『水戸黄門漫遊記』を録画して観た。昭和十三年(1938)年の作品。主演は横山エンタツと花菱アチャコで、監督は斎藤寅次郎。

 大工のコンビを演ずるエンタツとアチャコは、うっかり犬を家の下じきにして殺してしまう。生類憐れみの令が出ている折から、こりゃまずいと2人は高飛びする。旅先で偶然出会った爺さん(柳家金梧楼)と一緒に旅をしていたら、水戸黄門一行と間違えられてしまう。大名のお家騒動に巻き込まれたり仇討ちの助太刀をしたり山賊に捕らえられたり大騒ぎ。
 本物の黄門役として徳川夢声、仇の相手と山賊として高瀬實乘(一人二役)が出演している。監督の斎藤寅次郎は喜劇作品で有名だが、なんだか全体にテンポがイマイチだったなぁ…。この監督の全盛期はサイレント時代だというし、全体に動きで見せるギャグなので無声映画向きなのかも。それと、これが“総集編”のせいもあるかもしれない。おそらく前後編だったのが、今では編集された総集編しか残されていないのだろう。展開が唐突に見えるところもあるし。
 こういうのって、喜劇映画では『エノケンのちゃっきり金太』もそうだし、劇映画でも『暖流』や『愛染かつら』・『雪之丞変化』なんかも総集編しか残されていないから、日本の映画会社はしょうがない。作家の陳舜臣が正倉院を評して「日本人は保存の天才」なんて言ってるけど、そりゃ誉めすぎ(笑)。(2000/10/05)

路傍の石 ろぼうのいし
監督 田坂具隆
公開年 1938年
評点[A’]
感想  今日は、田坂具隆監督の『路傍の石』を観た。昭和十三年(1938)の作品。

 時は明治三十年代の中頃。愛川吾一(片山明彦)は母(滝花久子)と二人で苦しい生活をしていたが、賢い彼のため小学校の先生(小杉勇)や近所の稲葉屋の主人(井染四郎)はなんとか中学へ進学させてやろうとする。しかし、事情が許さず商家に丁稚奉公することになり、厳しい世間の荒波を浴びて成長していく。

 山本有三の原作の初映画化(脚本:荒牧芳郎/改編:高重屋四郎)。田坂監督の戦前の代表作の一つ。
 少年吾一の小学校時代の友人たちや母との生活と丁稚奉公してからの厳しい暮らし、双方とも誇張せず、しかし細やかな田坂監督の描写が心に残る。小学校時代の内職の手伝いや鉄橋の冒険など印象的なエピソードは吾一の人柄を如実に表している。父親(山本礼三郎)の極道ぶりがあからさまな台詞などではなく普通の会話や行動で表現されていたり、小学校時代は同級生だった奉公先の商家の子供たちの吾一に対する態度が変わっていく様子も極端ではなく巧みに表現されているのは、原作のおかげだけではないだろう。
 同じ田坂監督の『真実一路』でデビューしたという片山明彦は、まさにハマリ役。それ以外にも、滝花久子の地味な美しさや山本礼三郎が覗かせる不気味さ・小杉勇の実直さや吾一を励ます絵描きを演じた江川宇礼雄の豪快さ・吾一をいびる沢村貞子の意地悪さなど皆ハマっていて、この時期の日活俳優陣の層の厚さが忍ばれる。

 惜しいのは、一般の観賞には向かないと考えられるほどの音声状態の悪さ。加えて現存版は公開時よりも10分ほど短くなっているようなので、もっと良いプリントが残っていないだろうか? あるいは、現存プリントを修復処理して改善できないだろうか。多額の費用がかかるらしいが……。(2005/01/06)

家庭日記 かていにっき
監督 清水宏
公開年 1938年
評点[B]
感想  今日は、清水宏監督の『家庭日記』を観た。昭和十三年(1938)の作品。

 生方修三(佐分利信)は経済的に困窮した実家のため、付き合っていた久枝(三宅邦子)と別れて富家の娘の品子(高杉早苗)の婿養子になり、辻一郎(上原謙)は親の反対を押し切って女給の卯女(桑野通子)と満州の大連に駆け落ちした。その後、二組の夫婦と久枝たちは東京で再会する。

 吉屋信子の原作の映画化(脚本:池田忠雄)。同年に東宝でも山本薩夫監督で映画化され競作になったという。
 久枝の妹として三浦光子、辻の母として吉川満子が出演していて、戦前松竹の女優陣の層の厚さを感じさせられられる。中でも存在感があるのは、やはりスレた女を演じた桑野通子。あばずれな面だけではなく後半では自分の前歴ゆえに悩む姿も印象的。高杉早苗もお嬢さま役にハマっているし、男性陣も柄に合った役。
 ストーリー的には、戦前のホームドラマという雰囲気で強い印象は残らない。生方の女性に対する残酷さが目立つような気がしたが、清水監督はそれを誇張しようとしたのだろうか。この映画はかなり原作に手を加えているそうなので。
 この作品は松竹オールスターキャストの原作ものであり主な舞台が東京なので、自然の風景・子供の描写や即興的な演出などの清水監督らしさはあまりない。大物俳優たちの演技を引き出して一般ウケを狙った作品という感じ。
 しかし、歩く人物を縦移動で、日本家屋を撮る際は部屋の仕切りの障子・ふすまを開けっ放しにして横移動でとらえる手法には清水監督らしさを感じた。終盤には、あまりストーリーには関係ないのに生方と辻の故郷である八王子の風景が強調されていたように見えた。また、メインキャストの女優が当時流行の洋装を着たり銀座が舞台の一つとなっているのは(これは原作どおりなのかもしれないが)監督のモダン好みの面が現れているのかもしれない。(2004/10/27)

鶴八鶴次郎 つるはちつるじろう
監督 成瀬巳喜男
公開年 1938年
評点[A’]
感想  今日は、成瀬巳喜男監督の『鶴八鶴次郎』を観た。昭和十三年(1938)の作品。

 明治時代、新内語りの鶴次郎(長谷川一夫)と三味線引きの鶴八(山田五十鈴)は、互いにかけがえの無い存在であることを自他共に認めていながらも、芸の上での考え方の違いが二人を隔てる。

 新派の代表的な演目にもなっている川口松太郎の原作の映画化(脚本:成瀬巳喜男)。私は題名しか知らず芸道ものというイメージだったのだが、前半は敢えて言えばラブコメ的な雰囲気だったが意外だった。若い二人の掛け合いが楽しい。当時まだ二十歳そこそこの山田五十鈴が長谷川一夫相手に堂々と渡り合っているのが凄い。
 二人が本格的に別の道を歩みだす後半は、前半の二枚目半的な雰囲気とはうって変わって、長谷川一夫が男の孤独をよく表現していた。ラストは台詞がちょっと説明的すぎるような気がしたが、良い。演出的には、きわめてオーソドックスだが完成度の高さを感じさせる。

 ちょっと調べてみたら、川口松太郎の原作は1934年の米映画『ボレロ』をヒントにしていたというので、ちょっとビックリ。(2003/08/05)

鶯(鴬) うぐいす
監督 豊田四郎
公開年 1938年
評点[A’]
感想  今日は、豊田四郎監督の『鶯』を観た。昭和十三年(1938)の作品。

 駅に急行も止まらぬ小さな町の警察署。一見すると平和なようで、そこには生き別れた娘を探す老婆(藤間房子)や母(清川虹子)の金を盗んだ娘(霧立のぼる)や鶏泥棒(藤輪欣司)や無免許の産婆(杉村春子)や鶯売り(堤真佐子)など様々な人々が集い、署長(勝見庸太郎)以下の警察官たちの仕事は充分にあった。

 豊田四郎の東京発声(J.O.)時代の代表作の一つ(原作:伊藤永之助/脚本:八田尚之)。
 グランド・ホテル形式というのか一箇所に集う人々の群像劇で、私は未見だが『警察日記』など戦後の警察署ものの元祖的作品になるのだろうか。一貫したストーリーはなく、多くのエピソードを順番に描いていく形だが、常に東北らしいしゃべり方の台詞が一つのリズムとなって、のどかな良い雰囲気を作っている。
 各エピソードもユーモアを感じさせる一方で、戦前の東北の農村の生活の厳しさをかすかにうかがわせるところもある。最後の締めのエピソードも、見事に幕引きしてくれて好ましい印象を残す。
 冒頭にフィルムセンター所蔵プリントという表示が出るが、状態は意外に良好。フィルムの傷や欠落はほとんどなく、解像度はあまり高くないもののコントラストのハッキリした画面。戦前の映画を同時代に観るとこういう感じだったのかな、という気がする。(2005/10/19)

忠臣蔵 赤垣源蔵・討入り前夜 ちゅうしんぐらあかがきげんぞううちいりぜんや
監督 池田富保
公開年 1938年
評点[B]
感想  今日は、阪妻こと阪東妻三郎主演の『忠臣蔵 赤垣源蔵・討入り前夜』を観た。監督は池田富保で、昭和十三年(1938)の作品。

 主家の浅野家が取りつぶされてから、実兄の塩山伊左衛門(香川良介)のところに居候して飲んだくれてばかりいる赤垣源蔵。嫂(あによめ)おまき(中野かほる)やその息子、そして下男下女たちも赤垣を蔑んでいて、彼の本心を誰も知らない…。
 これは『忠臣蔵』の講談ネタの「赤垣源蔵徳利(とっくり)の別れ」が元ネタ。ちなみに、赤垣という姓は史実では赤埴。元が短いエピソードなので、一本の映画としてはどうかな、という感じのところもある。阪妻の立ち回りは迫力あるが。
 しかし、この作品の見所、いや聴き所は、塩山家の下女お杉を演ずる大倉千代子という女優の口調や声が篠原ともえにクリソツなこと。戦前のトーキー作品としては音声がまずまずなので、よく聴き取れる。これは以前NHK衛星で放送されたのを録画したものだが、ビデオで出ていたら、確かめてみるのも一興かと。(2000/09/18)

月下の若武者 げっかのわかむしゃ
監督 中川信夫
公開年 1938年
評点[C]
感想  今日は、中川信夫監督の『月下の若武者』を観た。昭和十三年(1938)の作品。

 平家の落人が開いたという三輪の里に住む由良ノ三郎兼盛(長谷川一夫)は、あたりで恐れられている乱暴者の真刈ノ秀熊(高堂黒天)の一行と争いを起こす。その直後、兼盛は秀熊のもとに輿入れする桔梗姫(花井蘭子)を心ならずも奪い、怒った秀熊によって三輪の里は焼き討ちされてしまい……。

 主人公の由良ノ三郎兼盛や彼が兄と慕う乳兄弟の各務ノ十郎保盛(丸山定夫)、そして敵役の真刈ノ秀熊に至るまで全て初耳なのだが、戦前は知られていた人物なのだろうか。あるいは脚本の八木隆一郎が創作したオリジナルキャラクターなのか。
 登場人物になじみがなく時代設定もわかりづらいため、物語の中に入っていきづらい。主人公の兼盛の行動も行き当たりばったりで無責任。トホホな若者にしか見えず、全く共感できない。今残っている一時間弱のプリントは初公開時よりも20分ほども短くなっているのが大きな原因なのかもしれないが、ストーリーの展開も主人公の行動も唐突。
 また、長谷川一夫が未熟な若者を演ずるときの鼻にかかったような甘ったるい声の出し方はちょっと……。映像は所々雲など美しいが、夜のシーンが多いため、今のプリントでは何をやっているのかよくわからないところが多いのが残念(撮影:伊藤武夫 )。(2005/07/17)

弥次喜多道中記(彌次喜多道中記) やじきたどうちゅうき
監督 マキノ正博(雅弘)
公開年 1938年
評点[A’]
感想  今日は、マキノ正博(雅弘)監督の『弥次喜多道中記』を観た。昭和十三年(1938)の作品。

 町奉行の息子・遠山金四郎(片岡千恵蔵)は、家督の相続争いを嫌ってふらりと旅に出た。旅先で偶然、義賊の鼠小僧次郎吉(杉狂児)と出会い、二人が弥次喜多コンビと間違えられたのを幸いとして、互いに本名や素性を明かさず一緒に旅をする。再会を約した半年後の日本橋で二人は互いの意外な姿を見る。

 翌年の有名な『鴛鴦歌合戦』と同様に歌が多く、これも時代劇オペレッタと言われているが、本物の弥次郎兵衛(楠木繁夫)と喜多八(ディック・ミネ)や旅芝居の一座は歌を唄いまくるものの、金四郎と鼠小僧はほとんど歌わない。
 しかし、二人が旅芝居一座に入って見せるギャグが面白く、旅役者の姉弟との触れ合いのエピソードではジーンとさせられる、充実感のある作品。作品の保存状態が悪く、時々コマ飛びするのが残念。(2002/07/05)

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