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昭和十四年(1939)

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新編丹下左膳 隻眼の巻 しんぺんたんげさぜんせきがんのまき
監督 中川信夫
公開年 1939年
評点[A’]
感想  今日は、大河内傳次郎主演の『新編丹下左膳 隻眼の巻』を観た。監督は中川信夫で、昭和十四年(1939)の作品。

 丹下左膳(大河内傳次郎)は、親の仇である明石の殿様を討とうとして左手に加えて左眼まで失ってしまう。吉野屋半左衛門(御橋公)に助けられた左膳は、吉野屋の娘お春(高峰秀子)と、ひととき平和な日を暮らす。しかし、同志の小田井三之助(黒川弥太郎)と故郷に残したお志保(山田五十鈴)のことを思うと、いつまでも安穏としていられないと思うのであった。

 おなじみ大河内傳次郎主演の『丹下左膳』シリーズだが、戦前の作品は貴重かな? 原作が川口松太郎ということになっているけど(脚色:貴船八郎)、林不忘の没後に書かれたので“新編”という言葉が冠されているのだろうか。
 丹下左膳の物語の粗筋を知っていなければストーリーがわかりづらい面もあるかもしれないが、お春と平和な生活をしている左膳と終盤に左手一本で血刀を振るう左膳との対比が凄い。小生意気な高峰秀子が可愛い。また、殺陣の場面で挿入される、落ち葉がつむじ風で渦巻く映像や御幣が風に揺らされる映像が効果的。(2002/11/11)

エノケンの弥次喜多(エノケンの彌次喜多) えのけんのやじきた
監督 中川信夫
公開年 1939年
評点[B]
感想  今日は、エノケン主演の『エノケンの弥次喜多』を観た。監督は中川信夫で、昭和十四年(1939)の作品。

 喜多八(榎本健一)は強盗を働いた夢を見て現実とかん違いし、むりやり弥次郎兵衛(二村定一)を連れて江戸から逃げ出した。途中で夢だったことに気づいたが、武田家の財宝のありかを記す絵図を巡る武田家の末裔の九重姫(若原春江)や泥棒(如月寛多)・浪人(山野一郎)らの争奪戦に巻きこまれて、なかなか江戸へ帰れず……。

 エノケン主演の弥次喜多ものだが、ストーリーはオリジナル(原作:波島貞/脚本:八住利雄)。
 昭和十四年の年末が公開初日のお正月映画なので、タイトルが出る前に操り人形(マリオネット)の弥次喜多が出てきて新年の挨拶をしたりする。作中に人形を使った特撮(?)もあるので、これは製作主任(チーフ助監督)として名前が出ている市川崑が担当したのだろうか。確か初演出作は人形アニメだったはずだから。
 弥次喜多ものなので旅が舞台のロードムービー風の作りで、絵図を巡る“追っかけ”などのアクションが主体の作品。アクションやギャグが盛りだくさんでそれぞれ工夫されているものの、上掲あらすじのキャラ以外にも仇討の姉弟がいたりしてメインキャラクターが多いこともあって、かなりまとまりを欠く印象がある。新春作品だし、同時代のエノケンファンなら楽しめたと思うが、現代人の目で観てしまうと、脚本の完成度が今ひとつでちょっと散漫な作品という印象が残る。
 とはいっても、人形の特撮や終盤に“アノネのオッサン”高瀬実乗が登場する部分は目を惹くものがある。特に妙なコスチュームの高瀬実乗は強烈。
 その他、新年の顔見せなのか、高峰秀子や堤真佐子など当時の東宝の若手女優たちが振袖姿で出てきて挨拶するだけのシーンがあったりするのが面白い。(2005/06/14)

鍔鳴浪人(正・続) つばなりろうにん
監督 荒井良平
公開年 1939年
評点[A’]
感想  今日は、阪東妻三郎主演の『鍔鳴浪人』正・続編を観た。監督は荒井良平で、昭和十四〜十五年(1939〜1940)の作品。

 勤皇の志士・楓月太郎(阪東妻三郎)と高窓一角(沢村国太郎)は、幕府が五百万両と引き換えに蝦夷地を売り渡す契約をしたのを知り約定書を奪おうとし、約定書を手に入れていた異人シェリコフ(志村喬)、横取りしようとする清国人・白大河(上田吉二郎)、そして幕府老中・井上河内守(原健作)らが入り乱れた争いが始まる。

 原作は角田喜久雄の時代小説(脚本:比佐芳武)。正続あわせても2時間強なので、現代の感覚だと2編に分ける必要もないと思ったが、昭和十四年の年末に正編、翌年の正月に続編を公開したお正月興行向けの作品だったらしい。
 戦前の時代劇映画に定番の勤皇の志士ものだが、メインキャラクターが多く彼らが交錯して争うので楽しめた。山中貞雄と交流のあった荒井監督の演出はテンポもまずまず良い。かつらをかぶって怪しげな英語を使う志村喬が面白い。そのため悪役らしさは足りなかったが。清国人を演じた上田吉二郎という人には中々凄みがあった。阪妻は持ち味の豪快さとユーモラスさを見せ、殺陣もまだ切れ味があり、一対多数の戦いでもスピーディで不自然さがない。
 全体に活劇中心という雰囲気なので、高窓の妹で楓の許婚でありながら身を捧げる千鶴(市川春代)や同じく彼らのために働く芸者おもん(川上朱美)という存在がありながら、その辺の突っ込みが甘く情感がちょっと足りないような気がした。正続編ある長編作品なので、もっとしっとり描いても良かったかも。これが監督の個性なのかもしれないが。(2004/07/02)

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