Return to年代順邦画備忘録Top pageHOME PAGE
昭和十五年(1940)

[1] [2]

秀子の応援団長 ひでこのおうえんだんちょう
監督 千葉泰樹
公開年 1940年
評点[A’]
感想  今日は、高峰秀子主演の『秀子の応援団長』を観た。監督は千葉泰樹で、昭和十五年(1940)の作品。

 高嶋秀子(高峰秀子)は叔父(千田是也)が監督をしている職業野球(プロ野球)チーム“アトラス軍”を応援しているが、アトラス軍はエースを出征で失い、投手の人丸(灰田勝彦)は連敗中。秀子は女学校の同級生や近所の子供たちと語らい、皆で秀子作の応援歌を歌って応援すると、人丸やアトラスの選手たちはにわかに元気を出し始める。

 戦前は六大学野球、特に早慶戦の人気が圧倒的だったというが、この頃は“職業野球”も安定した人気を得はじめたのだろうか。野球には疎いのでよくわからないが、作中に実在の巨人軍やセネタース、阪神などが登場して有名選手たちもチラッと顔を見せるので、戦前野球に興味のある人にとっては資料的価値が高いかもしれない。
 内容は、途中までは全く観客の予想通りに展開する、高峰秀子を見せるための明るく楽しい明朗喜劇だったが、終盤は突然急展開してちょっと辛口な味が加わって驚かされた。これがあるので単なる明朗ドラマに終わらない印象が残り、佳作として記憶されることになったのかもしれない。
 それにしても、高峰秀子は丸顔だけど顔が小さくて戦前の人間の中では際立って頭身が高いな……。(2003/11/10)

化粧雪 けしょうゆき
監督 石田民三
公開年 1940年
評点[B]
感想  今日は、石田民三監督の『化粧雪』を観た。昭和十五年(1940)の作品。

 東京は木場の近くにある寄席「喜楽亭」はラジオに押されている上に主人(汐見洋)が長く病の床にあり、経営は苦しい。放蕩息子(大川平八郎)が家を出てしまっている中、娘の勝子(山田五十鈴)と下足番の善さん(藤原釜足)は何とかして寄席を盛り返そうとするのだが……。

 原作が成瀬巳喜男で脚本が岸松雄という顔ぶれ。戦前の成瀬作品に時々見られる、大衆芸能の世界を扱った作品になっている。
 他の大衆芸能を扱った成瀬作品同様、それらは滅びゆくもの・廃れゆくものとして描かれ、ラジオのある電器店に群がる人々と閑古鳥が鳴く寄席とを対比させる冒頭からして、滅びへの道はどうやっても抗えない宿命であることを示している。
 ストーリーはシンプルでキャラクターもいささか類型的であり、ちょっと地味な作品という印象になる。しかし、寄席や付近の街並みを捉える映像が美しく、台詞ではなく映像で言わんとすることをわからせてくれる部分も多い(撮影:山崎一雄/装置:久保一雄)。古い邦画にあまり興味のない人には少々退屈かもしれないが……戦前邦画が好きな人は雰囲気だけでも楽しめると思う。
 出演者では、寄席のために奔走する善さんの藤原釜足が実にすばらしく、その妻を演じた清川虹子も良い。もちろん、和服と日本髪の山田五十鈴はいつもながら美しく上手い。

 ただし、作中“軍需景気”や工場建設云々という台詞が出てきて、そういった世の中の動きに取り残された人々を描こうという多少の社会批判の意図が、もしかしたら原作者や脚本家にあったのかもしれない。
 まさか翌年に太平洋戦争が始まることを予想できていたはずはないから、明確に体制を否定する意図があったわけではないと思うが。(2005/08/14)

嫁ぐ日まで とつぐひまで
監督 島津保次郎
公開年 1940年
評点[B]
感想  今日は、島津保次郎監督の『嫁ぐ日まで』を観た。昭和十五年(1940)の作品。

 好子(原節子)と浅子(矢口陽子)の姉妹は母を失い、父(汐見洋)と三人暮らしをしていた。好子が婚期を迎えていることもあって、父が後添え(沢村貞子)をもらうことになったが、特に浅子は複雑な気分であった。

 島津監督のオリジナル脚本の作品。東宝に移って2作目だが、松竹時代を思わせるホームドラマ。
 ストーリーはシンプルでドラマ性は薄く、至極あっさりした印象の作品になっている。ただし、家庭の雰囲気や各出演者の演技は実に自然で、いかにもありそうな家庭を描き出すことには成功していると思う。
 個人的に目に付いたのは、原節子の役がのちの小津作品で演じた役の設定を彷彿とさせること。小津監督は、この作品を観たことがあるのだろうか。もう一つ、終盤に父親が浅子を叱る場面でBGMとしてジャズ(?)が流れ、いわゆる対位法的な音楽の使われ方がされていること。成瀬巳喜男監督の『妻よ薔薇のやうに』でも登場人物の一人が歌う『いなかの四季』が対位法的な効果になっていたし、一般に戦後の『酔いどれ天使』が先駆者とされている対位法的な音楽の使い方は、戦前にさかのぼるのではないだろうか。(2005/08/17)

宮本武蔵 みやもとむさし
監督 稲垣浩
公開年 1940年
評点[A’]
感想  今日は、片岡千恵蔵主演の『宮本武蔵』を観た。監督は稲垣浩で、昭和十五年(1940)の作品。

 剣の修行に励む宮本武蔵(片岡千恵蔵)は、お通(宮城千賀 )のことや仕官の夢などの煩悩を断てないことに悩みながら修行を続け、ついに佐々木小次郎(月形龍之介)との決闘を迎える。

 稲垣宏監督の最初の宮本武蔵映画。現在残されているフィルムは総集編的なもので、武蔵と伊織(宗春太郎)が江戸に来たところから始まるし、話の展開が妙に早いところもある。しかし、原作にあって内田吐夢監督版の『宮本武蔵』シリーズにないシーンもあり、お通やお杉婆(常盤みどり)の方から観た描写もいくつかあって、それらが魅力的。特に、愚堂禅師(東明二郎)に教えを求めるシーンの千恵蔵は若き武蔵の苦悩を見事に表現していていた。お杉の心境の変化も丁寧に描かれていて良い。
 映像的には劣化が目立つが、宮川一夫も撮影を担当しているので、所々印象に残るシーンがある。特に海を背景にしたところが良く、巌流島に旅立つ直前の千恵蔵の顔が美しい。決闘シーンも、もちろん良い。(2003/06/04)

新妻椿(総集編) にいづまつばきそうしゅうへん
監督 渡辺邦男
公開年 1940年
評点[B]
感想  今日は、渡辺邦夫監督の『新妻椿(総集編)』を観た。昭和十五年(1940)の作品。

 七里家の娘・文代(山田五十鈴)は両親を失い独り身だったが、婆や(藤間房子)と女中(加藤欣子)と平和に暮らしていた。しかし、隣りの醍醐家の子・邦夫(小高たかし)に誤って空気銃で目を撃たれて失明してしまう。婚約者の金田(立松晃)は文代から去り、傷心に付け入って七里家の財産目当ての大木(斎藤英雄)が近づいてくる。邦夫の兄の醍醐博(岡譲二)は文代を心配するが、口出しするわけにもいかず……。

 『人妻椿』などの小島政二郎の原作の映画化(脚本:渡辺邦夫)。『人妻椿』同様、若い人妻が主人公のメロドラマ。
 主人公が失明してしまうので、『人妻椿』に比べると悲劇度は高いものの主人公が自由に動けなくなるためジェットコースター度は低く、相手役の醍醐博の活躍度もいまいち。登場人物もステロタイプ度が強く『人妻椿』で笠智衆が演じたようなようなユニークなキャラがいない。
 第一、今から観ると、七里家は資産家なのだから顧問弁護士か後見する親類くらいいるだろうと思ってしまい、ストーリーが不自然な感は否めない。現代人が楽しむには話が大時代的すぎるだろうか。
 とはいっても、山田五十鈴はさすがに美しき悲劇のヒロインを見事に演じているし、渡辺邦夫監督の話の組み立てや映像の作り方はそつない上手さがあると思う。総集編になっても不自然さは感じさせない。映像は、文代と醍醐博が海岸を歩くシーンが特に印象的(撮影:友成達雄)。

 それにしても、現在のいわゆる韓流ドラマでも“失明”は基本アイテムの一つらしいので(その他のアイテムは“記憶喪失”など)、改めてメロドラマの基本的なパターンは既に戦前にできていて、いつまで経っても変わらないものだな〜と思った。(2005/08/28)

エノケンの誉れの土俵入(エノケンの譽れの土俵入) えのけんのほまれのどひょういり
監督 中川信夫
公開年 1940年
評点[A]
感想  今日は、エノケン主演の『エノケンの誉れの土俵入』を観た。監督は中川信夫で、昭和十五年(1940)の作品。

 力自慢の勇蔵(榎本健一)は村相撲で庄屋の息子(成田孝)を投げ飛ばして重傷を負わせてしまい、村から出奔せざるを得なくなる。勇蔵は比類のない大飯食らいのため、どこへ行っても飯のことでしくじり、江戸へ流れて相撲の力士になるが……。

 エノケンとその一座総出演の作品で、1時間に満たない短編(原作しかし、短編だが、その中には様々なアクションやギャグがいっぱいに詰まっていて見た後の満足感は2時間の作品にも劣らないと思う。
 この作品のギャグは“反復”が非常に効果的に用いられている。相撲のシーンも“しょっきり”のようなコミカルなものを見せたかと思うと、身体を張ったアクロバティックなアクションも見せる。
 この尺の短さから現在残っているプリントは短縮版なのかと思っていたら、最初からこの長さだったらしい。徹底的に無駄を削ぎ落としテンポを良くした、この思い切った編集も作品に貢献していると思う(編集:後藤敏男)。小品ながら、佳作を超えた良作とも言っていいかもしれない。(2005/11/30)

美しき隣人 うつくしきりんじん
監督 大庭秀雄
公開年 1940年
評点[B]
感想  今日は、大庭秀雄監督の『美しき隣人』を観た。昭和十五年(1940)の作品。

 東京で働いていた秋本邦子(水戸光子)は兄(笠智衆)が出征して母(飯田蝶子)一人になったため、会社を辞めて帰郷する。馬の世話など忙しく働く中、幼なじみの清(高倉彰)が満州開拓団に加わる夢を語り一緒に来ないかと言うが、邦子は母一人を置いていく気になれず……。

 冒頭に「指導 農林省馬政局」という字幕が出るので、作中で紹介される“軍用保護馬”という制度の宣伝が主題らしい(脚本:武井韶平)。
 軍用保護馬制度の他にも満州開拓団など出てくるので、体制協力色は濃い。頽廃的な都会人と堅実な地方人との対比という感じの描写もあったりする。しかし、その都会的な部分の描写が生き生きしているのが、作り手の好みが正直に出てしまっているようで面白い。
 ただし、松竹映画だけあって俳優たちの演技は巧みだし、田舎暮らしの描写も素朴な良い味を出している。前年の『暖流』(吉村公三郎監督)で人気絶頂となっていた水戸光子には輝きがあり、飯田蝶子も良い。
 脚本に所々矛盾があったり(山のスキー場に雪が積もっていても邦子の家の周りに全く雪がなかったりする)、やはり登場人物が“良い子”ばかりという感じはするが、水戸光子の魅力を見せることことには成功している一本。(2005/08/04)

幡随院長兵衛 ばんずいいんちょうべえ
監督 千葉泰樹
公開年 1940年
評点[A’]
感想  今日は、千葉泰樹監督の『幡随院長兵衛』を観た。昭和十五年(1940)の作品。

 時は慶安年間。太平の世が続いて無聊をかこつ水野十郎左衛門(中村翫右衛門)ら旗本たちは旗本奴となって江戸の町を横行し、対する町奴の旗頭である幡随院長兵衛(河原崎長十郎)はそれを苦々しく思っていた。老中の松平伊豆守信綱(汐見洋)は、その状況を利用することを図る。

 歌舞伎などでおなじみの幡随院もの(原作:藤森成吉/脚本:山本嘉次郎・吉田二三夫)。元々歌舞伎の前進座だけあって、皆役にハマっていて江戸時代の雰囲気が素晴らしい。セットも良く、特に元禄以前は天井がなかった芝居小屋をリアルに再現しているのには驚いた(美術:小池一美/撮影:中井朝一)。
 前進座総出演の作品だけあって、幡随院ものとはいっても歌舞伎で描かれる義理や男伊達の世界ではなく、長兵衛は論理的な考え方で水野との対決を決意することや、松平信綱が事の黒幕であるところが特色となっている。長兵衛が論理的だったり階級意識が強い点(前進座らしいが)はキャラがちょっと近代的過ぎるし、他の町奴連中も物わかりが良すぎるような。
 ただし、今の目で観るとひとひねりした部分にそれなりの面白さも感じられるし、長十郎・翫右衛門以下の前進座の面々の演技もいつもながら良い。水野十郎左衛門の初登場の時の傾き者(かぶきもの)っぷりにはウケてしまった。(2005/05/11)

支那の夜 しなのよる
監督 伏水修
公開年 1940年
評点[C]
感想  今日は、長谷川一夫&李香蘭主演の『支那の夜』を観た。監督は伏水修で、昭和十五年(1940)の作品。

 ある日、初めて上海に来た日本人船員の長谷哲夫(長谷川一夫)は、街で日本人にからまれていた中国娘の桂蘭(李香蘭=山口淑子)を助ける。反日的であった彼女も、長谷の優しさに触れて心を開いていく。その二人を襲う風波。

 日本人でありながら中国人女優として喧伝された李香蘭の代表作。戦前の国策映画だけあって、お約束の展開といいますか…例えば、「かたくなな女が病気で倒れ、男に看病されて心を開く」というのはマンガなどでいくらでもあるパターンだが、これって戦前からあったんだ(笑)。こういうのが、かえって当時の観客にはウケたのかなぁ。
 それと、脇役が完全に台詞をトチっているシーンが2ヶ所あったのに、何事も無かったように進められていた。現地調達した素人の日本人でも使ったのか、あるいは時間に追われて早撮りしたのか…。
 撮影は名キャメラマンの三村明なので、映像は美しい。上海や蘇州の風景がたっぷり出てくるのは、海外に行く機会はまず無かった当時の日本人向けだろう。

 ラストは別の意味で意外な展開なので、それで全てを許せてしまうか、あるいは怒ってしまうかは、受け手次第(謎)。(2001/04/05)

嵐に咲く花 あらしにさくはな
監督 萩原遼
公開年 1940年
評点[A]
感想  今日は、萩原遼監督の『嵐に咲く花』を観た。昭和十五年(1940)の作品。

 江戸幕府最後の年の慶応四年、慶応義塾の塾生・蜆平九郎(黒川弥太郎)は塾長の福沢諭吉(大河内傳次郎)や親友の鮫島(三田国夫)が止めるのも聞かず、塾を脱走して官軍に身を投じた。しかし、会津二本松の戦いで目を負傷してしまう。蜆は世話してくれた増水けい(山田五十鈴)に恩義と恋心を感ずるが、別れ別れになってしまう。明治になると、蜆は横浜に流れて……。

 冒頭部分を観て、昭和十五年にもなると勤皇ものを作らざるを得なくなったのか……と思ったら大間違い、官軍に攻められる二本松藩の視点からも描かれているし、主題は勤皇運動ではなくむしろ明治維新によって運命を狂わされた男女を描いているので、この時点ではまだこういう作品が作れたのかと少々驚いた(原作:木村毅/脚本:山崎謙太)。
 蜆と増水けいが出会うまでと、会ってから別れてしまうまで、そして再会と、おおむね三つの部分に分かれていて、多彩なキャラクターが登場する。若い頃の黒川弥太郎は青年の客気をにじませていて、山田五十鈴はいつもながら見事。蜆を慕う横浜のチャブ屋の女お秋(志賀暁子)というキャラも面白い。演出的には、萩原監督らしい“物”を使って異なる時間と場所を繋ぐ手法がこの作品でも用いられている。
 保存状態が良いので、構図が巧みでシャープな映像を楽しめる(撮影:安本淳)。(2004/09/20)

[1] [2]

昭和十五年(1940)
掲示板 Return to年代順邦画備忘録Top pageHOME PAGE