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昭和二十五年(1950)
また逢う日まで またあうひまで
監督 今井正
公開年 1950年
評点[C]
感想
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また逢う日まで
また逢う日まで

 今日は、今井正監督の『また逢う日まで』を観た。昭和二十五年(1950)の作品。

 戦争末期、山の手に住む学生の田島三郎(岡田英次)は町で空襲に遭って避難した地下鉄のホームで偶然、小野螢子(久我美子)と出会う。たちまち惹かれあった二人だが、時代の波は容赦なく押し寄せる。

 極めて真面目な映画を作られた今井正監督だけに、徹底して主人公たちを戦争の犠牲者として描いている。しかし、田島が非常にセンチメンタルに戦争を嫌悪してばかりいるので、かえって現実逃避的な無責任な人間のように見え、現代人の私から観ると共感できない。これもまた、同時代に観ないと良さがわからない作品なのかもしれない。
 時々挿入される田島の甘ったるい声のモノローグも邪魔。若き日の久我美子の可憐さだけが見所か。日本映画ベストなんとかの本の類で上位にあるのが、ちょっとわからない。(2001/02/16)

憧れのハワイ航路 あこがれのはわいこうろ
監督 斎藤寅次郎
公開年 1950年
評点[C]
感想
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栄光の新東宝映画傑作選「憧れのハワイ航路/金語楼の子宝騒動」
新東宝映画傑作選
「憧れのハワイ航路/
金語楼の子宝騒動」

 今日は、斎藤寅次郎監督の『憧れのハワイ航路』を観た。昭和二十五年(1950)の作品。

 夜間中学に勤めるハワイ生まれの英語教師・岡田(岡晴夫)は、街で花売り娘の少女(美空ひばり)を助けた。彼女を下宿に連れて帰ると、下宿のおばさん(清川玉枝)は少女の顔に見覚えがあると言い…。

 『憧れのハワイ航路』などで当時人気の高かった歌手・岡晴夫と美空ひばりの歌がたっぷりのアイドル映画。離れ離れになっていた親子の再会が主なテーマで、全体に古〜い映画って感じがする。美空ひばりは前年の『ラッキー百万円娘』より成長していて、歌唱力も進歩している。しかし、なぜか『百万円娘』よりも画質・音質共に状態が良くない。
 主人公の同居人に古川ロッパ。下宿のおじさん役に花菱アチャコ。(2001/06/15)

てんやわんや てんやわんや
監督 渋谷実
公開年 1950年
評点[B]
感想  今日は、渋谷実監督の『てんやわんや』を観た。昭和二十五年(1950)の作品。

 出版社で全社員と社長(志村喬)が対立。社長と秘書の花輪兵子(淡島千景)は身を隠し、腹心の犬丸順吉(佐野周二)に機密書類を託して四国へ落ちのびさせた。犬丸は社長の旧知の人物に世話になるが、和尚(薄田研二)・越智(藤原釜足)・佐賀谷(三井弘次)ら妙な連中によって四国独立運動に引きずり込まれてしまう。

 獅子文六の新聞連載小説の映画化(脚本:斎藤良輔・荒田正男)。渋谷監督による獅子文六作品の映画化は4本にのぼるらしい。
 『自由学校』同様、戦前からの二枚目スターに優柔不断な男を演じさせているのが効果をあげている。宝塚から転じた淡島千景も、これが映画デビュー作とは思えないくらいアプレ世代の女性を伸び伸びと好演。同時期の黒澤映画では刑事や医者である志村喬がエロ社長なのも面白い。
 四国(伊予)でのエピソードは、奇人変人キャラクターと地元の“奇習”の大盤振る舞いで、いささかとっ散らかっていて、最後のまとめも放り出した感が。戦後社会の風潮に対する諷刺も、現在の目で観ると、この次の作品になる『自由学校』の方が時代を超えた普遍的なものを持っていると思う。
 しかし、やはり渋谷監督だけあってテンポの早さで観せられるし、ラスト近くも無理矢理ながらドライブ感はある。(2005/04/08)

宗方姉妹 むなかたきょうだい
監督 小津安二郎
公開年 1950年
評点[C]
感想
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宗方姉妹
宗方姉妹

 今日は、小津安二郎監督の『宗方姉妹』を観た。昭和二十五年(1950)の作品。

 父・宗方忠親(笠智衆)を京都に残して娘の節子(田中絹代)は東京でバーを経営し、妹の満里子(高峰秀子)と共に暮らしている。節子の夫・三村亮助(山村聡)は失業中で夫婦仲は冷え切っており、かつて節子と交際していた田代宏(上原謙)が再び節子たちの前に現れたことも、満里子と三村の心をかき乱す。

 小津監督の戦後4本目の作品。小津作品には珍しい原作もの(原作:大仏次郎)。これは他社作品(新東宝)であることも影響しているのか、のちの『東京暮色』を彷彿とさせるシリアスで暗い雰囲気の作品になっている。
 節子と満里子の行動原理が今ひとつ掴めず、特に三村が非常に暗いキャラクターで何を考えているのか理解できない。これらは原作のためかもしれないが、満里子がたびたび舌を出したり徳川夢声の真似のような口調で話す演出は正直言って寒かった。満里子のその他の言動も共感できないように見えてしまうので、今ひとつ高峰秀子を活かせていないように思える。
 小津監督は前年の『晩春』で“小津スタイル”を確立したといわれているが、まだ試行錯誤の段階でもあったのだろうか。また、『風の中の牝鶏』や『東京暮色』で観られるように、暗い雰囲気の作品では小津監督の人間に対するクールな視線が生で出すぎるようだ。(2003/10/19)

羅生門 らしょうもん
監督 黒澤明
公開年 1950年
評点[A]
感想
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羅生門 デラックス版
羅生門
デラックス版
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黒澤明
黒澤明:大映BOX
『羅生門』
『静かなる決闘』
『まあだだよ』

 今日は、黒澤明監督の『羅生門』を観た。昭和二十五年(1950)の作品。

 平安時代末期の雨の日、羅生門の下で雨宿りする男に、杣(そま)売り(志村喬)と旅法師(千秋実)が奇怪な事件を語る。ある日、侍(森雅之)が殺され犯人の盗賊・多襄丸(三船敏郎)が捕らえられたが、犯人と侍の妻(京マチ子)、そして巫女の口を借りて語った侍、3人の証言が全て食い違うという。

 ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、日本映画黄金時代の先駆けとなった作品(日本の劇映画で初めて海外受賞した作品だと言われることもあるが、戦前に田坂具隆監督の『五人の斥候兵』が同じくヴェネチア映画祭の民衆大臣賞を得ている)。原作は芥川龍之介の『藪の中』。最初と最後に少し『羅生門』が入ってる。
 有名な木の葉越しの太陽をとらえた宮川一夫のカメラが絶品。冒頭、降りしきる雨を描写したのは黒澤監督の美的センスだろうか。雨をああまで美しくとらえたのは、確かに外国映画には無いかも。
 ストーリーは、大映社長の永田雅一が「さっぱりわからん」と言ったように(笑)、人間の主観の不確かさを描いた不条理劇のような感じ。登場人物が正面切ってカメラを向いて長台詞を言うので舞台演劇のような部分もあり、話の構成にもう一工夫欲しかった部分もあるが、後半のサスペンス感は素晴らしい。俳優では、哄笑する京マチ子は恐ろしいくらいの迫力があった。
 ラストシーンは甘いと感じる人もいるかもしれないが、個人的には結構いいと思った。戦後の世相を反映したものだろうか。(2000/11/26)

雪夫人絵図 ゆきふじんえず
監督 溝口健二
公開年 1950年
評点[B]
感想
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雪夫人絵図/朝日は輝く(短縮版)
雪夫人絵図/
朝日は輝く(短縮版)

 今日は、溝口健二監督の『雪夫人絵図』を観た。昭和二十五年(1950)の作品。

 旧華族・信濃家の一人娘である雪(木暮実千代)は婿養子の直之(柳永二郎)を迎えていたが、彼は雪を欲望のはけ口のように扱う一方で京都に妾(浜田百合子)を持つなど放蕩の限りを尽くしていた。夫に悩まされている雪は、かつて信濃家の書生であった菊中方哉(上原謙)に想いを寄せているが……。

 舟橋聖一原作の映画化(脚本:依田義賢・舟橋和郎)。
 戦後、溝口がしばらく映画会社を転々とした時期の作品で、新東宝製作。雪夫人が理性では夫・直之を憎みながら肉体は離れらない矛盾に悩むことがテーマで、映画として表現するのはなかなか難しい主題だと思う。性的な描写はほとんど許されていなかった時期でもあるし。
 しかしながら、間接的な描写でそれをうかがわせることには成功していて、苦悩する雪夫人や彼女を見守る女中・浜子(久我美子)の存在感には溝口監督の女性描写の巧みさを見ることができると思う。
 ただし、華族を知らぬ現代人の目で見ると、雪夫人と菊中があまりにも無力で無為無策に見えて理解しづらいかもしれない。雪と菊中、特に後者がどういう人物であるか、もう少しわかりやすくしてほしかったような気がする。双方とも難役であるが。
 柳永二郎は役に対してちょっと老けすぎているような気もしたが、薄っぺらいお坊っちゃん的人物を表現できていたと思う。
 映像は溝口健二らしさ(長回し・クレーンの多用)はあまり感じさせないオーソドックスな美しさがある(撮影:小原譲治)。(2004/10/03))

鬼あざみ おにあざみ
監督 冬島泰三
公開年 1950年
評点[C]
感想  今日は、長谷川一夫主演の『鬼あざみ』を観た。監督・脚本は冬島泰三で、昭和二十五年(1950)の作品。

 明治維新前夜、上総の国は茂原の代官(香川良介)の息子・並木礼三郎(長谷川一夫)は、貧家の娘お光(山根寿子)と江戸に駆け落ちした。しかし、風雲急な江戸の街は二人の運命を大きくねじ曲げる。

 冒頭とラスト近くは明治維新直後で、回想形式で主なストーリーは展開する。回想の中の長谷川一夫は若作りしているが、ちょっと厳しいものがある。特に、幼さを表現するため鼻にかかったような甘ったるい喋り方をするのが気になった。むしろ冒頭の、二枚目らしからぬヒゲ面の方に意外な魅力を感じた。
 何度も偶然が作用するストーリーに無理があり、その上、キャラクターも自己中心的に見え、酷い目に遭うのも自業自得のように思えてしまった。山根寿子の哀れそうな雰囲気はリアルだったが。見どころは終盤の緊迫感ある展開くらいか。(2004/03/03)

レ・ミゼラブル あゝ無情 れみぜらぶるああむじょう
監督 伊藤大輔・マキノ雅弘
公開年 1950年
評点[A]
感想  今日は、伊藤大輔・マキノ雅弘両監督の『レ・ミゼラブル あゝ無情』を観た。昭和二十五年(1950)の作品。

 茶碗一杯の飯を盗んだ罪で獄に繋がれた岩吉(早川雪洲)は出獄後も荒んでいたが、ミリエル司教(F・シュバリエ)の温情により改心して名を変え前歴を隠し、社会のため尽くそうと働いて財を成すに至った。かつて瀕死の女お絹(小夜福子)に託された小雪(早川富士子)の成長のみを楽しみとして生きていたが、法の権化である熊谷警部(薄田研二)はそんな彼の過去を執拗に追う。

 題名が示すように、かのビクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』の舞台を明治維新頃の日本に翻案した作品(構成:八木保太郎/脚本:棚田吾郎・舟橋和郎)。前編・後編で4時間近くなる大作映画だったようだが、私が観ることができたのは前後編を合わせて2時間11分ほどにした総集編。それでも山場たっぷり見どころたっぷりの大作だった。
 若い頃は一時キリスト教に傾倒し後に共産主義運動に移ったという伊藤大輔監督の原作に対する思い入れが強いのか、演出もロマン主義的(?)で出演者たちが目一杯の演技を繰り広げる。今の人間の目で観ると大芝居だが、シラケや照れのない真正面の力押しの演出でしか生まれない感動を味わえるのも確か。設定を日本に置き換えるとちょっと不自然なところをものともせず感動のラストシーンまで突き進む。
 サイレント時代のアメリカで大俳優だった早川雪洲は大熱演でジャン・バルジャンの岩吉を演じきる。熊谷警部(ジャベル)の薄田研二もあの鋭い顔立ちと痩身がぴったりハマっている。小雪(コゼツ)の早川富士子は雪洲の娘だそうで、特に上手さは感じさせないが可憐ではあった。出演者は全体に大芝居だが、お絹(ファンティーヌ)の小夜福子はちょっとやりすぎだったような……。
 前編が伊藤監督で後編がマキノ監督らしいが、総集編で観るとトーンは一定しているので、マキノ監督が伊藤監督に合わせたのだろうか。総集編でも不自然なところは感じさせないけれども、山田宏一が『次郎長三国志 マキノ雅弘の世界』(ワイズ出版)という本で書いていた、この作品の印象的なシーンのいくつかが無かったりしたので、できれば前後編を観てみたい。残っているかな?(2004/11/09)

女優と名探偵 じょゆうとめいたんてい
監督 川島雄三
公開年 1950年
評点[C]
感想  今日は、川島雄三監督の『女優と名探偵』を観た。昭和二十五年(1950)の作品。

 自称名探偵(日守新一)は銀座でぶつかってきた若い女(西條鮎子)に謝られてニヤニヤしていると、財布をすられていたことに気づいて呆然。ボロアパートに待ち受けていた金融業者(河村黎吉)やアパートの管理人(坂本武)から逃れるように町に出て、女スリを見つけて後を追うと、彼女はなぜか松竹大船撮影所に入っていった。

 川島監督の9本目で、上映時間31分の短編。“原案”として監督の瑞穂春海の名がある(脚本:中山隆三)。
 主人公の探偵がちょびヒゲを生やしてステッキを持っていることが示しているように、チャップリンその他の外国製喜劇映画を意図的にパクっている作品。ドタバタも最初のうちは面白いが、そのうち少々くどく感じられるようになってくる。以前、川島監督自身が「自作を語る」で「おまえはあいているから、というんで、短編の仕事がまわってきました。意気消沈の時で、ただやっている、という感じ」と語っているのを読んでしまっていたので、先入観が影響したのかもしれないが。
 ただし、終盤のナンセンスな展開は川島雄三らしさが多少なりとも感じられるような気がする。とは言うものの、映画館の番組の埋め草的な印象は否めないと思う。
 佐野周二に始まって、田中絹代・高峰三枝子・木暮実千代・淡島千景などなどの当時の松竹スターたちがカメオ出演しているのと、撮影所内の様子が見られることは興味深い。(2006/01/12)

昭和二十五年(1950)
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