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昭和三十五年(1960)

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天保六花撰 地獄の花道 てんぽうろっかせんじごくのはなみち
監督 マキノ雅弘
公開年 1960年
評点[A’]
感想  今日は、市川右太衛門主演の『天保六花撰 地獄の花道』を観た。監督はマキノ雅弘で、昭和三十五年(1955)の作品。

 江戸城のお数寄屋坊主の河内山宗俊(市川右太衛門)は、ゆすりたかりで悪名が高いが、友人の森田屋(近衛十四郎)の実妹(丘さとみ)を吉原から救い出すため手を貸したり、松江藩士の金子市之丞(東千代之介)の仇討ちを助けたりする。

 原作は子母沢寛の『すっ飛び駕』(脚本:鈴木兵吾)。歌舞伎ネタの河内山宗俊と直侍だが、この作品では河内山宗俊を単なる悪役でもなく、かつまた過度に英雄化もせず、屈折のある面白い人物像に作りあげている。原作が良いのか(未読)、脚本が良いのか、あるいは演出のためか。市川右太衛門も、旗本退屈男シリーズとは違った好演。
 宗俊の弟分である小悪党の直次郎(中村賀津雄、のち中村嘉葎雄)も、実にセコくカッコ悪いキャラになっていて、ここまで徹底しているのは珍しいかも。ラストシークエンスはちょっと凄い。
 仇討ちや恋愛話や森田屋のエピソードなど、時代劇にしてはプロットが錯綜して複雑だが、割りと上手くさばけていると思う。ただ、河内山宗俊の話を粗筋だけでも知っていた方がわかりやすいが……。

 それにしても、『地獄の花道』という題名は、どうにかならなかったのかしらん(笑)。(2003/05/12)

酒と女と槍 さけとおんなとやり
監督 内田吐夢
公開年 1960年
評点[B]
感想  今日は、内田吐夢監督の『酒と女と槍』を観たです。昭和三十五年(1960)の作品。主演は大友柳太郎。

 槍の腕と酒の飲みっぷりでは天下に並ぶ者無しの富田高定(大友柳太郎)。主君の関白豊臣秀次が秀吉に切腹を命じられ、続いて殉死しなかったのを一族の者たちに責められ、公開の切腹ショー(笑)をやろうとする。大評判となって見物客が集まるが、多くの人から末期の酒を勧められ、残さず飲み干して一寝入りしてしまったら、秀吉からの上使がやって来て殉死を禁じられた。
 あくまで高定は腹を切ろうとするものの、秀吉を恐れる一族は手のひらを返したように寄ってたかって切腹を止めた。すっかり武士というものが嫌になった高定は彼を慕っていた采女を妻にして、いったん山里に隠棲する。しかし、彼が最後に選んだのは愛では無かった…。

 なんといっても、題名がイイねぇ。男の夢を三つ並べちゃって。「おんなとやり!」なんて、フロイト説を持ち出すまでも無い(←バカ)。内容の方は、ちょっと劇終が唐突だったかな、という感じ。それに、高定の昔の女で、采女の姉貴分でもある左近(淡島千景)の最後の登場シーンの意味がよくわからなかった。
 でも、豪快な男の描き方は内田吐夢監督らしかっただろうか。前田利長(片岡千恵蔵)に槍を見つけられたあとのシーンが特に良かった。(2000/08/15)

歌行燈 うたあんどん
監督 衣笠貞之助
公開年 1960年
評点[A’]
感想  今日は、市川雷蔵・山本富士子主演の『歌行燈』を観た。監督は衣笠貞之助で、昭和三十五年(1960)の作品。

 明治三十年代、伊勢に招かれた観世流家元・恩地源三郎(柳永二郎)の嫡子・喜多八(市川雷蔵)は、彼らの陰口を言いふらした地元の謡曲の師匠・宗山(荒木忍)を若気の至りからさんざん辱め、思わぬ重大な結果を引き起こしてしまう。その後、喜多八は宗山の娘お袖(山本富士子)と意外な形で再会する。

 雷蔵・富士子コンビの泉鏡花原作作品の第一作だという(脚本:衣笠貞之助・相良準)。
 衣笠監督の美意識を感じさせる美しい作品。“総天然色映画”が売りになっていた時代の作品らしく色彩感を強調した絵作りで、少々誇張しすぎているように感じられるところもあったが、実に美しい。明治時代を再現したセットもリアルで、明治時代に対する監督の思い入れが感じられる。また、横長すぎるネマスコープサイズを上手くトリミングしたような構図も良い(撮影:渡辺公夫)。
 演技陣も、山本富士子が実に美しい。この作品のテーマも、芸の道の厳しさ、それと同時に全てを包み込む奥の深さをも見せてくれる。全体として充実した作品だと思う。(2002/12/13)

皇室と戦争とわが民族 こうしつとせんそうとわがみんぞく
監督 小森白
公開年 1960年
評点[B]
感想  今日は、小森白監督の『皇室と戦争とわが民族』を観た。昭和三十五年(1960)の作品。

 神武天皇(嵐寛寿郎)が東征して橿原に都を定められてから、皇統は二千六百有余年連綿として続いてきた。昭和十二年の盧溝橋事件以来、日本は太平洋戦争への道をたどり、国民は敗戦の苦汁を嘗め国土は荒廃した。しかし戦後、日本国民は昭和天皇を中心として一致団結し目ざましい復興に成功したのであった。

 新東宝の『明治天皇と日露大戦争』以来の天皇ものの一つ。やはり嵐寛寿郎が神武天皇役を務める。さすがに、当時在位中だった昭和天皇は象徴的に表現され、役者が演技する姿は登場しない。昭和天皇の御真影や実写フィルムは使いまくっているが。
 序盤の神武天皇軍の東征シーンで、ハリボテに金紙を貼った八咫烏(やたがらす)が登場したときは、どうなることかと思った。今だったらCGでどうにでもなるが、当時でもアニメーション合成くらいできなかったのだろうか。予算の都合か。
 それが終わると、いきなり盧溝橋事件を昭和天皇に報告する御前会議の場面になり、それ以降太平洋戦争の終結に至るまで、昭和天皇が常に戦線拡大に反対し平和を願っていたことが強調される。そして、終戦後の後半は昭和天皇の地方行幸や皇太子(今上天皇)御成婚などの実写フィルムがほとんどで、あたかも皇室アルバムと化す。
 六十年安保当時の社会風潮に対する政治的意図が露骨で、映画としてはバランスの悪い作品。脚本(内田弘三)にも演出にも当時の新東宝社長の大蔵貢の意向が強く反映されているのだろう。

 ただし、中盤の宮中の場面や終戦に反対する一部青年将校たちが決起した事件の場面などは、俳優たちの緊張感ある演技によって見ごたえのある映像になっている。登場場面の多い木戸内大臣(佐々木孝丸)を始めとして東條英機(嵐寛寿郎、二役)・米内海相(近衛敏明)・近衛公(細川俊夫)など重臣を演ずる俳優陣は皆重厚さを感じさせてくれる。
 終戦反対工作の部分では、中心となる畑中少佐を演じた宇津井健がかなり良い。こういう硬い役柄が合っているのだろうか。他の作品ではあまり強い印象を残さない明智十三郎(殺害された森師団長の役)や沼田曜一(田中軍司令官の役)も、佐官や将官らしい威厳と迫力を感じさせる。日本の俳優は兵隊役だと外れがないというが、軍隊を生で知っている世代は特にそうなのだろう。今の人間がやると、ここまでハマるかどうか。若き日の菅原文太も決起将校の一人として登場。(2004/12/23)

暴れん坊兄弟 あばれんぼうきょうだい
監督 沢島忠
公開年 1960年
評点[A’]
感想  今日は、 沢島忠監督の『暴れん坊兄弟』を観た。昭和三十五年(1960)の作品。

 大名の江戸屋敷で昼あんどん呼ばわりされている典木泰助(東千代之介)が突然、主君の松平長門守(中村錦之助、のち萬屋錦之介)に国詰めを命ぜられる。国元では「殿様の意を受けた御目付役がやってくる」と、後ろ暗いところのある連中は戦々恐々。さらに、泰助とは正反対のせっかちな粗忽者である弟・泰三(中村賀津雄、のち中村嘉葎雄)も国元へ向かい、大騒ぎになる。

 原作は山本周五郎の『思い違い物語』(脚本:鷹沢和善)。周五郎によくある、お家の改革もの。山本周五郎作品は映画化されているものが多いが、この映画はかなりコメディ色が強くカラッとした演出。
 のんきな兄とせっかちな弟、彼らを見守る家老(進藤英太郎)、兄弟に思いを寄せる家老の娘2人(大川恵子・丘さとみ)、悪役たち(山形勲・原健作など)といった役割がかなりハッキリしていて、劇画的なキャラクターになっている。それだけに登場人物の動きが面白いが、ちょっとステレオタイプすぎるように見えるところもあるかも。国元の人間が泰助の正体を知ったところや、泰助が切れるところは、もうちょっと押さえた演出でも良かったかも。終盤の大立ち回りは、カットのつなぎ方が見事で長さを感じさせない。
 気弱な侍を演じた田中春夫と貴公子然とした錦ちゃんが儲け役。作品に登場する“青年組”は、安保闘争当時の全学連あたりを皮肉ったものだろうか。(2003/03/29)

水戸黄門 みとこうもん
監督 松田定次
公開年 1960年
評点[C]
感想  今日は、NHK衛星で放映された『水戸黄門』を観た。松田定次監督で昭和三十五年(1960)年の作品。月形龍之介主演のシリーズ第13作目。

 江戸では放火が頻発。慶安の変の由井正雪の流れをくむ浪人たちによる謀反の噂が流れ、水戸黄門(月形龍之介)と助さん(東千代之介)格さん(中村賀津雄)は江戸に出て様子を探る。

 なんだか、“東映オールスター”と銘打っているだけあって、中村錦之助(のちの萬屋錦之介)やら大川橋蔵やら片岡千恵蔵やら市川右太衛門…とスターがいっぱいで、どれが見せ場かようわからん(笑)。話の筋がハッキリしない。言葉のなまり丸出しの浪人・井戸甚左衛門を大友柳太朗が演じたのはハマリ役。鳶の若親分の中村錦之助は冒頭で黄門サマを殴ってしまったり、威勢が良かった。(2000/10/03)

不知火検校(不知火檢校) しらぬいけんぎょう
監督 森一生
公開年 1960年
評点[A]
感想
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不知火檢校
不知火檢校

 今日は、勝新太郎主演の『不知火検校』を観た。監督は森一生で、昭和三十五年(1960)の作品。

 子供の頃から悪知恵が働く盲人・杉の市(勝新太郎)は、不知火検校(荒木忍)に弟子入りしてからも生首の倉吉(須賀不二男、のち須賀不二夫)や鳥羽屋の丹治(安部徹)と組んであくどいことで金を稼ぎ、ついに二代目不知火検校の座に昇りつめる。

 これまで二枚目役を演じていた勝新太郎が初めて悪役、しかものちの『座頭市』に通ずる役を演じてキャリアの転換点となったと言われている作品(原作:宇野信夫/脚本:犬塚稔)。
 とにかく主人公がワルで、自らの目が見えぬという障害まで利用してのしあがっていく手腕には感心して見入ってしまうほど。主人公のあまりのあくどさにはある種のブラックユーモアさえ感じられて笑えてしまうくらいで、ここまで悪に徹したキャラも日本映画では珍しいかもしれない。勝新の味が生きていて、二枚目から転向したのは大正解だったのだろう。私個人的には若い頃の勝新も好きだが。
 こういう作品は現在では問題視される部分もあるだろうが、例えば最近では身体障害者の性欲の問題が一部でとりあげられているように、障害者を全て無垢の聖人と見なすのも一種の偏見であり健常者と同じ欲も得もある人間と認めるべきなのだから、こんな作品が一本くらいあっても良いと思う。ただし、決して同情的には描いていないが、盲目の主人公が出世する唯一の手段として悪事を選んだということは読み取れるようだ。

 モノクロの光と影を強調した絵作りが、主人公の視界の闇と心の闇を強調していて効果的だった(撮影:相坂操一)。(2005/01/04)

妖刀物語 花の吉原百人斬り(花の吉原百人斬り) ようとうものがたりはなのよしわらひゃくにんぎり
監督 内田吐夢
公開年 1960年
評点[A]
感想  今日は、内田吐夢監督の『妖刀物語 花の吉原百人斬り』を観たっす。昭和三十五年(1960)の作品。

 顔の右半分一面を覆う醜い痣(あざ)のある織物問屋の主人、佐野次郎左衛門(片岡千恵蔵)は、初めて吉原へ行き、そこでも下っ端の遊女(水谷良重、現・二代目水谷八重子)をあてがわれる。しかし、生まれて初めて人に優しくされた彼はすっかり入れあげてしまい、家産を傾ける。金の切れ目が縁の切れ目…と愛想づかしをされ、だまされていたと知った次郎左衛門は妖刀“籠釣瓶”を抜き、彼から巻き上げた金で太夫の披露をする女の行列に斬り込んだ…。

 歌舞伎の『籠釣瓶花街酔醒』(かごつるべさとのえいざめ)を元にしたこの作品、脚本は依田義賢。溝口健二と組んでいた人だ。
 昭和三十五年は、邦画の全盛期を過ぎかけていたとはいえ、まだまだ映画に金をかけられた時代で、遊廓の建物はもちろん調度品に至るまでリアルに復元されている。最近の吉原を舞台とした映画には無い格調を感じる。これは俳優のせいでもあるだろうけど。
 題名から想像するよりも殺陣は意外と短いが、内田吐夢監督の時代劇はアクションシーンをダラダラ分散させず、終盤にまとめるから迫力があるんだな。(2000/08/29)

笛吹川 ふえふきがわ
監督 木下恵介
公開年 1960年
評点[B]
感想  今日は、木下恵介監督の『笛吹川』を観た。昭和三十五年(1960)の作品。

 戦国時代、甲州の武田家が絶え間なく起こす戦に翻弄される、おじい(加藤嘉)・息子の半平(織田政雄)・半平の子の定平(田村高廣)・その嫁おけい(高峰秀子)・そして定平とおけいの子供などの一族の約半世紀にわたる物語。

 木下恵介監督による『楢山節考』に続く深沢七郎原作の映画化(脚本:木下恵介)。
 貧しい百姓の一家を一貫して戦の被害者として描いている非常に反戦メッセージの強い作品。今の目で観てしまうと、展開が一本調子でどうしてもそのメッセージ性の強さが気になってしまうし、登場人物たちが常に被害者的で庶民の強さがないので、もう少し視点の広さが欲しいような気もする。原作が原因なのかもしれないが。
 とはいっても、ここまで悲惨さを徹底するのも大したものだとも思う。合戦シーンの格好よさを排除した乾いた描き方も印象的。田村高廣と高峰秀子の老け演技はちょっと頑張りすぎだけれども。定平の少年時代を田村高廣の弟の田村登志麿(阪妻の次男)が演じていて、俳優にはならなかった彼の唯一の出演作らしい。
 映像的にはモノクロ画面に一部着色した特殊カラーで有名な作品(撮影:楠田浩之)。面白いが、ちょっと前衛的過ぎる。(2005/06/22)

おとうと おとうと
監督 市川崑
公開年 1960年
評点[B]
感想
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おとうと
おとうと

 今日は、市川崑監督の『おとうと』を観た。昭和三十五年(1960)の作品。

 ある大作家(森雅之)の家では、母(田中絹代)がリューマチの持病で体が不自由なので、ほとんど娘げん(岸恵子)が家事をし、弟・碧郎(川口浩)の世話をしていた。母は継母であるため家庭の中はしっくり行かず、碧郎は不良仲間と付き合うようになり、無頼な生活の中で結核を病む。

 幸田露伴の娘である幸田文の自伝的小説の映画化(脚本:水木洋子)。撮影は宮川一夫で、“銀残し”という特殊な手法で処理されているそうだが、私が観たのはビデオ版なので、残念ながら単に褪色したように見え、銀残しの色合いは味わえなかった。
 母親の田中絹代が体を病んだため心まで歪んでしまっている様子や妙に色気のある娘の岸恵子が家庭の中で神経をいらだたせる様が執拗に表現され、岸田今日子が登場することや、芥川也寸志の奇妙な音楽ともあいまって、前半は一種のホラー的な雰囲気さえ漂う。
 弟が病に倒れる後半は、濃厚すぎるほどの姉妹愛や家庭的には無力だった父親が最も息子を可愛いと思っていたことが知られ、なんだかホッとする。
 海外だと姉と弟の関係が近親相姦的に解釈されることがあるというのは、川の字で寝る習慣が無いことも一因だろうか。

 市川崑作品のラストは唐突に見えることが多いが、この作品は姉の心を映して上手いと思った。(2002/05/24)

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