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平成十六年(2004)
丹下左膳 百万両の壺(丹下左膳 百万両の壷) たんげさぜんひゃくまんりょうのつぼ
監督 津田豊滋
公開年 2004年
評点[B]
感想
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丹下左膳 百万両の壺 特別版 (初回限定生産2枚組)
丹下左膳
百万両の壺
特別版
(初回限定
2枚組)

 今日は、豊川悦司主演の『丹下左膳 百万両の壺』を観た。監督は津田豊滋で、平成十六年(2004)の作品。

 お藤(和久井映見)の矢場の用心棒をしている丹下左膳(豊川悦司)が世話をすることになった子供ちょび安(武井証)は汚い壺を金魚鉢代わりにしていた。それは実は大名の柳生家に伝わる百万両のありかを隠している壺で、柳生家とそこの次男坊で江戸の道場の婿養子になっている源三郎(野村宏伸)が探し回っていた。

 山中貞雄監督の伝説的な作品『丹下左膳余話 百万両の壺』のリメイク作(脚本:江戸木純)。オープニングとエンディングに山中貞雄の名とオリジナル脚本の三村伸太郎の名が明記されている。
 全体にオリジナル版にかなり忠実で、エピソードのいくつかとオリジナルキャラを何人か追加したような格好。基調はコミカルな雰囲気で時折ペーソスを交えていることや、あるカットでキャラが言った台詞と次のカットでのキャラの行動が正反対の“反語”的展開を時々見せるのも『余話』と同様だが、テンポの良さやリズム感はオリジナル版に一歩譲る。監督が撮影と編集も担当しているそうだが、もう少し思い切って詰めた編集にしても良かっただろう。映像も、江戸時代とは思えないほど全体に明るすぎてテレビドラマ(それも現代劇)みたい。
 また脚本的にも、全体的にオリジナル版に忠実であるため、それ以外の独自の要素の部分がどうしても冗長に見えてしまって損しているかも。オリジナリティを出すのなら、あまり原作を踏襲しすぎない方が良かったかもしれない。
 出演者は、豊川悦司は頑張っているが江戸弁の台詞回しがちょっと気になった。殺陣は、現代劇の役者としては及第点と言えるだろうか。背が高すぎて腰高になるのは仕方ないが。和久井映見のやたら気が強いお藤は意外と良かった。怒っている場面以外では、もう少し柔らか味が欲しいが。

 色々言ったが全体の作りは丁寧なので、山中版『丹下左膳余話 百万両の壺』を観たことがない人ならまずまず楽しめる出来だと思う。しかし、オリジナル版を知っているとどうしても比較してしまって点が辛くなるのは、リメイク版の宿命か。
 一つ非常に気になったのは、最初に壺を手に入れる屑屋(くず屋)のことを“回収屋”と言っていること。回収屋なんて20世紀の日本語だと思う。屑屋と称するとナントカ団体から抗議がくるのだろうか。
 テレビでもなく金を払って見に行く劇場用映画でも言葉狩りがおこなわれているとしたら、この世は闇だ……(苦笑)。(2005/08/24)

ハウルの動く城 はうるのうごくしろ
監督 宮崎駿
公開年 2004年
評点[A’]
感想
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ハウルの動く城
ハウルの動く城

 今日は、宮崎駿監督のアニメ映画『ハウルの動く城』を観てきた。平成十六年(2004)の作品。

 家業の帽子屋でコツコツ働いている少女ソフィー(声:倍賞千恵子)は、街で魔法使いの美青年ハウル(声:木村拓哉)に声をかけられ不思議な体験をするが、ハウルを追っている荒地の魔女(声:美輪明宏)にも目をつけられ、呪いをかけられて90歳の老婆にされてしまう。密かに家出して山野をさまようソフィーはハウルの住む“動く城”と出会い、そこに入りこむ。

 いつもながら前評判・観客動員数ともに高い宮崎監督の最新作。ダイアナ・ウィン・ジョーンズ『魔法使いハウルと火の悪魔』の映画化(脚本:宮崎駿)。
 日本を舞台とした前作から一変して架空のヨーロッパ風の王国が舞台となっている。しかし、自分が本当にやりたいことを見つけられないでいる少女ソフィーと、一見なんでもできる魔法使いであっても実は臆病で精神的には自分の“城”の中に引きこもっている若者ハウルが主人公になっていて、物語のテーマは『千と千尋の神隠し』を彷彿とさせるものを感じた。老婆と化したソフィーがハウルの城に住むようになるのも、単なる居候ではなく“掃除婦”として入り込む点も似ている。
 さらに今作では、ここ数年の世界情勢に対して監督は思うところあるのか、強い反戦的メッセージもあるようだ。

 以上のようなテーマ性/メッセージ性の強さと、その割りに核となるストーリーがあっさりしていて物語性は薄めであること、加えて主役二人の声をアニメでの実績がほとんどない有名芸能人が担当して、やはりどうしても専門家の声優には及ばない点があることから、この作品には厳しい評価も与えられているようである。
 しかしながら、ハウルの城その他メカの造形のユニークさや、道化役キャラであるカルシファー(声:我修院達也)とカブのユーモア、そして魔法の描写の天衣無縫さなど、観客の目を惹きつけて離さないものは確かにあると思う。日本の妖怪変化的世界が舞台だった前作よりも開放感・躍動感がある。

 それにしても、ここのところの宮崎作品は、ますます観客を力でねじ伏せるような作風になっているように感じた。いわば、日本料理ではなく肉汁たっぷりのステーキと言おうか、あっさりタイプの作風とは対極に立つ、黒澤明的な流れに属する作風になったような気がする。
 言い換えれば、無駄なものを徹底的に削ってフォルムを絞り込んだ零式艦上戦闘機(ゼロ戦)と、パワーと重装甲にものを言わせて押しまくる超空の要塞B-29の違いとでも言えるだろうか。宮崎監督は自らが嫌悪するアメリカ的B-29タイプに属するのが皮肉だ。テーマやモチーフを描き尽くしたベテラン監督が、映像の方面に重点を置くようになるのは仕方ないところもあるが。

 私の個人的な好みはゼロ戦タイプだが、宮崎監督が現在の日本の映画監督(実写を含めて)の中ではいまだにトップクラスの“力”を持っていることは事実だろう。(2005/02/01)

平成十六年(2004)
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